クリストフさんの助言

「ダン、網網の帽子が欲しいの」

「は?」

「帽子の淵にね、こう……網が垂れ下がってんの」

「……全く分からねぇな」


 結局、コスティが蜂の巣箱の点検をするのを、小屋から見つめるだけで終わったわたしは、ダンにおねだりすることにした。要は、あの防護服が二人分あればいいのだ。自分で作れないかと草とか蔓とかで編んでみたりもしたが、やっぱり無理だった。つばを広くするとへなへなっとなって、とても網をぶら下げられる状態にならないのだ。


「ん~っとねぇ、こう、草みたいなので編んで作られてる、広いお皿みたいなのをひっくり返した感じで……あ、蜂のお世話をする時にかぶるやつだよ」


 だが、ダンも蜂の世話のことは分からないらしく、わたしが欲しいものが伝わらない。


「…………後でクリストフさんに聞いてみるか」


 結局伝わらなかったようだ。クリストフさんは分かるのかな?


「そういや、今日は窯での作業らしいが、お前も来るか?」

「あ!行く行く!」

「…………繋いどく紐が必要かもな」


 身を乗り出して参加表明するわたしを面倒臭そうに眺めて、ぼそっと失礼なことを言う。


「ちゃんと最初に言ってもらえれば、聞けるよ」

「嘘つけ。興味が湧いたら全ての記憶を捨て去るだろうが、お前は」

「うーん……でも、思い出すこともあるよ」

「お前を別世界から引き戻すのは大変なんだよ」


 なるほど。別世界。ぴったりな表現だと思う。


「そっかぁ……。じゃあ、ダン以外にも引き戻せる人がいないと、将来困っちゃうね」

「……いるのか?そんな奴」


 どこまでも失礼だ。いなくては困るのはダンのはずなのに。


「あ、じゃあ、ヴィルヘルミナさんも誘って見学しよう」

「う~ん……まぁ、迷惑かけないようにしろよ。あと、服装は夏の服に上着で調整しろ。暑いぞ」






 ダンが先に家を出て、わたしは食器の後片付けをしてから向かう。途中、ヴィルヘルミナさんも誘ったが、お昼の準備をしてから行くと言われた。手伝おうとしたが、いいのよ、とおっとりした口調で言われると、なんとなくそれ以上は言い張れなくなる


 わたしが炭やき小屋に行くと、ちょうど、窯の入り口を開けるところだった。


「少しずつ開けていく。空気が急に入ると炭が痛むんだ」


 クリストフさんが、ダンに説明しながら、窯をふさいでいた壁を少し壊す。窯の中は薄暗いが、赤く光っている。


「徐々に温度が上がる」


 始めは薄暗かった窯の中の赤が徐々に広がっていく。


「半日かけて温度を上げる」

「半日!?」

「ああ。木の周りの皮を徐々に焼いていくんだ。じっくりやらないと良い炭にならない」


 ダンはクリストフさんの説明を熱心に聞いている。それにしても、ここまでの作業で一度も動具が出てきていない。


「どうして窯の火を動具で調整しないの?」

「細かい調整が必要だからだ。あとは、温度が高すぎる。これ程の高温は神呪では出せないと聞いた」


 ……なるほど。火に関する神呪はまだ多くない。


「空気の量で燃え方を調節するんですか?」

「ああ。空気と燃料の両方でだ。ここからは寝ずの番になるぞ」

「はい」


 クリストフさんとダンが真剣な顔で窯の様子を見ている。二人とも汗が流れているが気にしている様子はない。でも、わたしはもう限界だ。


 ……熱い。


「お昼ご飯を持ってきたわ」


 わたしが体の力をぐったり抜いて熱さに耐えていると、清涼剤のようなヴィルヘルミナさんの声が聞こえた。


「はい。ここに置いておくわね。アキちゃんはもう中に入ってらっしゃい」


 ヴィルヘルミナさんは、熱さで完全にやる気を失っているわたしを見てクスクス笑う。


 ……こうなることが分かってたから、ヴィルヘルミナさんは来なかったのか。


「もう、いいのか?」


 わたしは、熱さに気力を奪われながら、コクンと頷いた。声を出すのはちょっとムリ。


 ……でも、おもしろかった。


 わたしはヴィルヘルミナさんについて歩きながら、、少しずつ明るさを増して金色に輝いている窯の中を振り返って満足した。


 ……今度は熱さ対策を考えてから見学しよう。


 クリストフさんに見送られながら、わたしはリタイヤした。


 それからダンが帰って来たのは、3日後の夕方だった。もう、ぐったりして言葉もない。幽霊のような影の薄さでわたしの前をすーっと通り越し、浴室でザっと水だけ浴びて、すぐに2階に上がって寝てしまった。


 基本的に、神呪師は腕力はない。神呪の研究なんかで徹夜することなんて当たり前だし、必要ならば研究のために旅にも出る。だが、熱い中で重い鉄の棒を扱ったりするような体力や腕力は期待できない。


 ……向いてるとは思えないんだけどね。


 こんなに大変な思いをしてまでも、神呪師ではなく炭やきの仕事を選んだ理由がよく分からない。






 次の日、ダンは休みをもらったらしいが、部屋から出て来なかった。声をかけたら唸るような返事が聞こえてきたから生きてはいるのだろうが、もしかしたら疲れすぎて起きられないのだろうか。

 穀倉領で田植えの時に食べていた、おにぎりを作ってダンの部屋に持って行ったが、今日はもう何もできなさそうだ。


「ヴィルヘルミナさん、蜂の世話をする時に被る、網網の帽子、知ってる?」

「う~ん……ごめんなさい。わたしは分からないわ。兄さんに聞いてみてくれる?窯のところで作業してるわ」

「じゃあ、ついでにクリストフさん呼んでくるね」


 ヴィルヘルミナさんがお昼ご飯の準備をするのを手伝いながら、網網帽子のことを聞いてみたが、ヴィルヘルミナさんは知らないらしい。ハチミツを作るのってあんまり一般的じゃないのかな。


 クリストフさんを呼びに行くと、窯の前で箱に炭を詰めているところだった。時々キンという金属音が聞こえる。何の音だろう。


「クリストフさん、お昼ご飯ができたよ」

「ああ、今行く」


 わたしが覗き込むと、箱を見せてくれる。


 ……白い?


 なんだか、わたしが知っている炭と違って白っぽい。パッと見だと普通の木に見える。


「オレが作るのは白炭と呼ばれるものだ」


 そう言いながら、クリストフさんが炭を入れるとまた金属音がする。


「え……?この音、炭?」

「ああ。オレが作る炭は金属のように硬くなる」


 そういって、クリストフさんが炭同士を打ち付けて見せると、キーンという硬質の音が響く。


「この前の作業で、ゆっくりと温度を上げて行くことで樹脂を落としきって、硬い炭になる」


 あの後のダンの疲労困憊ぶりを思い出す。だからこそ、クリストフさんの炭は特別になるということだろう。


「火が立ちにくく燃焼時間が長いので、城の料理人なんかが好むと言われている」

「言われている?」

「オレは商人に卸すだけだからな」


 ……なるほど。ここも工房だったか。


 世の中にはいろんな工房があるものだ。


「穀倉領にも炭やきの仕事ってあったのかな?」

「あるかもしれないが、穀倉領は木が少ないからな。多くはないだろう」

「ああ、そうだね。田んぼばっかりだった」

「川の上流には林があるから、そこでならやっているかもしれないな」


 クリストフさんは物知りだ。そして、穀倉領に住んでいたわたしは、穀倉領のことを知らない。川があるのは知ってたけど、上流に何があるのかなんて考えたこともなかった。


「……じゃあ、行商さんが持って来てた川魚って、もしかして上流で採れたものなのかな」

「川魚なら、そうだろうな。川下まで来ると臭くて食えない」

「…………じゃあ、行商のおじさんは、魚釣りの人から買ってたんじゃないんだ……」


 穀倉領で、お魚の糠漬けを渡していた行商さんは、川下の方から行商に来ていた。通りがかりに定期的にお魚を手に入れるのは難しいだろう。あんなに色んな話をしていたのに、どうやってお魚を手に入れてきていたのか、わたしは知らない。


「……わたし、どうしてこんなに何にも知らないんだろう」

「…………そうだな」


 ため息交じりにぽつりと言うわたしに、クリストフさんが少し考えるようにして頷いた。


 ……そんなことはない、とか言ってくれないんだな。


「お前は、人を怖がっているからな」


 軽く落ち込むわたしに、クリストフさんが作業しながら続けた。


 ……怖がる?わたしが、人を?


「人間を、ではない。人と関わることを、だろう」


 わたしが首を傾げるのを見て言い足してくれるけど、更に分からない。わたしは割と色んな人に話しかけるし、お世話になっていると思う。


「……お前はヴィルヘルミナのしゃべりかたが少し変わっていることは、知っているだろう?」

「うん。時々、発音がはっきりしないよね」

「何故だか分かるか?」


 これは、わたしも疑問に感じたことだった。


「……耳が聞こえ辛いのと関係ある?」

「ああ。自分の声の聞こえにくいから小さい声でしゃべっていると時々そうなる」


 ……そうか。わたしは自分の発音が合っていることを自分の耳で確認してるのか。


「ヴィルヘルミナは大きくなってから耳が聞こえにくくなった」

「へぇ……」


 だんだん聞こえなくなっていったのだろうか。


 ……病気とかかな。それは怖いな。


 自分がそうなったらと考えると恐怖だ。でも、そんなこともあり得るんだと、先に知っていればまだ対処できるかもしれない。聞いて良かった。


「……お前はヴィルヘルミナに興味を持っていない」

「……へ?」


 うんうん頷いているわたしの様子をじっと見ていたクリストフさんが、静かに言う。


 そんなことはない。ヴィルヘルミナさんの作る料理は美味しいし、ヴィルヘルミナさんはキレイだなと思う。


「ヴィルヘルミナのやることや現状に至った理由の方に興味は持つが、それはヴィルヘルミナ自身への興味ではない」


 ……よく分からない。


 ヴィルヘルミナさんがやることと、ヴィルヘルミナさん自身は別物なのだろうか。


「相手のことを知りたいと思わないのは、相手に好かれたいと思っていないからだ。お前は誰にも執着していない」


 ……執着ってこだわるってことだよね。


「お前の世界には、まだダンしかいない」


 世界って、世界のことだろうか。わたしの中全部ってことかな。首を傾げて考える。


 ……いや、でもザルトとかゾーラさんとか……。


 そう思いかけて、そういえばザルトやゾーラさんに好かれたいと思ったことはなかったかもなと気が付いた。気が付いて、ギクリとする。


 ……あ……そうかも。


 わたしが手を離されないようにと執着するのは、ダンだけだった。


 ザルトに対してですら、いざ穀倉領を出ることになっても、辛くはあったがどうしても離れたくないという程の思いはなかった。ダンが離れると言うのなら当然離れるものだと受け入れた。他の人もそうだ。あれ程お世話になっていると、お返しが難しいと自覚しておきながら。


 …………わたし、薄情なんだ。


 ザルトたちを思って胸が痛むが、それでもやはり、誰か、どうしても離れたくないと思う者がいるかと言えば、そんなことはなくて。


「…………ホントだ。……わたし、ダンしかいない……」


 それはとても寂しくて、少し怖いことに思えた。だって、ダン一人しかいなかったら、そのダンがいなくなったら……。


「……それが悪いということではない。それはお前がまだ保護されるべき子どもだということだ」

「…………子ども?」

「子どもは自分では生きられない。確実に自分を守ってくれる者を求めるのは自然なことだ。特に、お前の状況は特殊だ」

「自分を守ってくれる者……」


 ……そうか、たしかにそれは、ダンしかいない。


 わたしにとって、わたしを確実に守ってくれると信じられる人が、ダンしかいない。

 ザルトも、ゾーラさんも庄屋さんの奥さんも宿屋の女将さんでさえ、わたしの事情を何も知らない。わたし自身でさえ、何も知らされていないのだ。


「ダンはお前をしっかり掴んでいる。必死にしがみ付いていなくても、よそ見をしていても、放り出されたりはしない」


 胸がドクンとした。


 ……知ってる。だけど。


 急に親も何もかもを失って、ダンだけが残った。ダンまで失うことにはならないと、信じ切ることが難しい。何があったか分からないからこそ、この先も何かあるのかと不安になるのかもしれない。


 ……わたしは何も知らないから。


「……少しずつ世界を広げればいい」


 わたしが混乱しているのが伝わったのか、クリストフさんが頭に手を置いて撫でる。大きな手で、グラグラと揺さぶられるのかと思ったが、そっと乗せられた手は意外と優しくて、ざわついていた心が落ち着く。


「お前はこれから、少しずつ大人になって行くんだ。お前から手を離すまで、ダンが手を離すことはない」


 クリストフさんを見上げて、ああ、クリストフさんはやっぱりヴィルヘルミナさんのお兄さんなんだなと、なんだかすとんと胸に落ちた。





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