蜂の巣箱

「ジャーン」


 わたしは、馬車を降りてコスティを呼び出すと、手に入れた帽子を掲げて見せた。


「……よく、手に入ったな」

「ふふん、人脈っていうやつだよね」


 驚くコスティにわたしは気を良くする。最近しょんぼりしてしまうことが多かったので、なおさら気分が良い。張っていた胸を逸らしてふんぞり返る。


「で、金は誰が出したんだ?まさかクリストフさんにたかったりしてないだろうな」


 コスティの冷たい眼差しにそっと目を逸らす。

 クリストフさんに、網網帽子が欲しいということを話すと、次の日、炭を卸に行った帰りに手に入れてきてくれた。

 ダンが恐縮して代金を払おうとしていたが、新品を買ったわけじゃないからと受け取らなかった。


 ……中古だってお金は払ってると思うんだけどね。


 クリストフさんは、どうやらわたしがコスティに構うのを歓迎しているらしい。


「……出世払いするんだよ」

「出世ねぇ……」


 コスティの冷たい視線がもはや氷点下だ。


 わたしは、これ以上この話題には触れないことにした。






「昨日からずっと境光が出てるから、今日は早めに帰るぞ」


 ハチミツ小屋に着くと、コスティは早速網網帽子をかぶり、手袋をする。


「ハチミツは採らないの?」

「採蜜は時間も手間もかかる。やる時は朝早くからやるんだ」


 なるほど。ちょうどそのタイミングで来れるだろうか。何とか自分でここへ来る手段を考えなくては。


「いいか。オレの指示通りに動けよ。素早い動きも大きな声もダメだ」

「蜂さんは音が分かるの?」

「分かる音は限られてるらしいがな」


 ……知らなかった。それじゃあ、蜂さんも仲間同士でおしゃべりとかできるのかな?


 わたしも急いで防護服を着る。今日は二人とも肌は出ていない。服も、コスティに言われた通り、黒っぽくないものを着てるし、手袋だってしてる。ズボンは、ダンの服をもらって裾を折って着ている。わたしの髪は黒いので、それも紐で縛って服の中に隠してしまった。完璧だ。


 先にコスティが出て、合図が来れば、わたしも出ていくということになった。

 コスティは、手に、何かの草を乾燥させた束と何故かランプを持って外に出た。境光は出ているが、ランプには火を灯している。特に緊張する様子もなく箱に近くと、草とランプを地面に置いて、周囲をゆっくり見て回っている。地面を見ているようで、時々屈んで何かしている。一周回って気が済んだのか、今度は箱の蓋を開け始めた。これはとても慎重にやっているようだ。蜂の巣箱は、大人がやっと抱えられるかくらいの大きさがあるので、わたしとそれほど年が変わらなそうなコスティが蓋を取るのは大変そうだ。


 ……そういえば、コスティって何歳なんだろう?


 穀倉領にいた時にわたしの周りにいた子どもたちと比べると、とても大人びている。というか冷めた表情をしている。知識も豊富そうだし、ちょっと不思議な子だ。


 そんなことを考えていると、コスティがそっと蓋を持ち上げた。蜂が何匹も飛び出す。刺されないのかとドキドキするが、コスティは特に慌てる様子もなく蓋をそっと横に置き、草の束にランプから火を付けた。だが火が目的ではなかったらしく、すぐに消してしまう。そのまま、ゆらゆらと煙が上る草の束を箱の淵から巣の表面にかけるように揺らす。


 しばらくすると、草の束を踏んで火を消し、革袋に突っ込む。煙をかけることに何か意味があったのだろう。コスティがこちらを向いておいでおいでと合図を出した。わたしは深呼吸して、心の準備を整えて、そっと小屋のドアを開けた。あれだけ蓋に蜂がくっ付いていたのに、コスティは刺された様子がない。蜂が本来攻撃的ではないというのは本当なのだろう。こちらに敵意がないと分かれば襲っては来ない。


 ……蜂さんを見るだけだよ。怖がらせたりしないし、わたしも怖がってないよ。平気平気。


 心の中で呪文のように唱える。わたしが怯えていると、きっと相手にも伝わってしまうだろうし、何よりわたし自身がおかしなことをやらかしそうだ。

 わたしは、ドキドキする心臓の音を聞こえないふりで、普段通りにゆっくりと歩く。


「……手と足が同時に出てるぞ」


 ……多少は、いつもと違う部分もあるかもしれない。許容範囲内だ。


「いいか。動くなよ」


 箱に近づくと徐々にヴーヴーという騒音が強くなる。箱のところまで来てようやく、それが蜂の羽の音だと分かる。耳を塞ぎたくなるほどの大きさだ。いったいどれだけの蜂が中にいるのか。

 コスティは、わたしに箱の横に立ったまま動かないように指示し、箱の中の一番手前の板をそっと引き抜いた。縦に差し込まれるように設置されていた板を引き抜くと、六角形模様の板の表面に蜂がびっしりくっ付いている。


「うっわ……!」


 コスティが持ち上げた板にはまだら模様が出来ていて、なんだかウゴウゴと蠢いている。よく見ると、それが蜂の塊だと分かってつい驚愕の声が出る。


 ……気持ち悪っ。


「これがハチミツだ。巣の中がキラキラするの、分かるか?」


 体を引き気味にして見ていたわたしを気にする風もなく、わたしにも見えるように、コスティが少し体の向きを変える。


「え……?」


 思わず目を見開いて凝視してしまう。


 わたしが板だと思っていた部分は蜂の巣であり、コスティが引き抜いたのは、指の長さくらいの幅の板がぐるっと囲んでいる、木の枠だったのだ。つまり、中が空洞の木の枠に蜂が巣をびっしり作っていたのだ。


「まだ少ないな」


 よく見ると、蜂の巣の中でも、キラキラ光っているのは上の方の真ん中部分だけだ。これがハチミツだとしたら、これで壺いくつ分になるのだろうか。少ない気がする。


「これがいっぱいになるの?」

「ああ。今の季節は花が多いからな。すぐ溜まるだろう」


 そう言って、コスティは板枠をそっと元に戻す。いくつか並んでいる枠を、同じように確認しては戻す。

 次に、コスティは、その枠が収まっていた箱ごと抱えた。そっと横に降ろして、また、革袋から取り出した草の束に火を付ける。


「それ、何やってるの?」

「煙をかけると蜂が大人しくなるんだ」


 コスティが煙を巣箱にかけながら説明してくれる。煙で大人しくなるなんて不思議だ。わたしなら咳き込んで怒ってしまいそうだけど。


「ホントに怒ってる時なんかはあんまり意味がないけどな」

「へぇ~」


 草の束を革袋にしまって上下を分けている板を持ち上げると、また、さっきと同じように枠板を持ち上げる。今度は、同じ六角形だが、蓋のようなもので塞がれている部分がある。


「ここは卵を産む場所だ」

「え?場所が決まってるの?」

「ああ。上が蜜を集める場所で、下が子どもを育てる場所になってる」

「……それ、コスティがそうさせるの?」

「いや、蜂が勝手に分ける」


 言いながら、コスティは巣を掲げ持って蓋の中を透かし見る。それを、設置されている枠の分繰り返していく。コスティが黙ってやるので、何を見ているのかは分からない。ただ、枠を戻す時に満足そうにしているので、上手く行っているのだろうなということだけが分かる。それにしても、枠を出すたびにすごい数の蜂がくっ付いてくる。蜂って何人家族なんだろう……。


「よし、蓋を閉めるからお前は先に小屋に戻れ。小屋に蜂が入らないように注意しろよ」


 最後の枠を元に戻しながらコスティがわたしの服をチラリと見た。つられて見下ろすと、蜂が数匹服に留まっているのがいるのが見えて、息を飲む。


「払ったりするなよ。ゆっくり歩いてればそのうち離れる」


 コスティに言われた通り、わたしは蜂など気付いてもいないかのような自然体で、優雅に小屋に向かう。


「……カクカクし過ぎだ。もっと普通に歩けよ」


 ……多少は、自然体と違うかもしれない。っていうか、普段、どうやって歩いてたっけ?


 混乱したわたしが、普通歩きがどんな歩き方だったかいろいろと検証しながら小屋に向かっていると、服に留まっていた最後の蜂が、ブーンと羽音を鳴らして離れて行った。結局、普通歩きがどういう歩き方だったか、正確に再現できたかは分からない。


 ホッと息を吐いて小屋に入ったわたしの少し後から、コスティも戻ってきた。どうやらスムーズに閉められたようだ。


「クリストフさんに買ってもらったハチミツは、食べたか?」


 何かの空き箱のような木箱に座りながら、コスティが聞いてきた。改めて見回すと、空き箱がいくつかあるだけの、何もない小屋だ。


「ううん、まだ。なんだかもったいなくて……」


 お金がもったいないとかいう訳ではない。ハチミツは蜂が集めてきたものだと聞いた。それを聞いてしまうと、それがどういうことなのかを知らないで食べてしまうのがもったいない気がしたのだ。どうせなら、いろいろと知ったうえでじっくりと味わいたい。


「そうか」


 コスティが頷くのが、ちょっと意外だった。早く食べろよとか冷めた表情で言われるかと思った。


「……蜂一匹が一生の間に集められる蜜の量は、スプーンに一杯くらいなんだそうだ。あの壺の大きさのハチミツを集めようと思うと、蜂数匹分の一生がかかる。そうやって集められたものだと知らずに食べるより、知って食べる方がいいと、オレは思う」


 目をぱちくりするわたしを見て、ちょっと目を逸らし気味にコスティが言う。自分の考えを口にするのにあまり慣れてないのかな。


 ……でも、なるほど。そう考えると価値観が違ってくる。


 わたしもその辺の木箱に適当に腰かけながら考え込む。


「ハチミツを売る時に、それも一緒に教えられたらいいのにね。そしたら、値段にももう少し納得してもらえるかもしれないよ」


 壺の横に、説明書きのようなものを添えておくのはどうだろう。


 ダンも、ハチミツというものは知っていても、どうやって採れるのか、詳しいことは知らなそうだった。とりあえず採れにくいから高い、というだけでは、10,000ウェインという高額にはなかなか理解を得られないのではないかと思う。でも、これだけの蜂の協力と、それを採る側の危険が必要だと分かれば、少しは変わるのではないか。


「それを言うなら、狩人だって同じだけどな」


 コスティが肩をすくめて言う。たしかに、森で狩りをするのも命がけだ。


 ……というか、それを言い出したら何の仕事でも大変だったよね。


 売る側の苦労の量と、売るものの金額のバランスが、必ず取れるとは限らないのかもしれない。わたしの壺一つ分の糠漬けは、最終的に焼き石灰3袋と交換になった。米の小袋12袋分だ。どう考えてもバランスが取れていない。でも、セインさんがそれでいいというのなら、糠漬けにはわたしが想像できないだけで、それだけの価値があるのだろう。商売って難しい。


「うーん……何か、特別な価値があれば納得してもらえるのかなぁ……」


 アーシュさんが、そんなことを言っていた気がする。


「……というか、あの出店は試しに出してみたんだ。きちんと商売できる程、まだ採蜜できる量が多くない」

「そうなの?」

「ああ。去年試しに始めたばかりだからな。今年はもう少し巣箱を増やそうと思ってるけど、巣箱を用意するのも結構大変なんだ」


 たしかに特殊な箱だった。手作りなのだろうか。


「木材を買うにも釘を買うにも金がかかるからな」


 コスティがため息交じりに言う。わたしは、コスティの家とお父さんを思い出して納得する。お父さんの協力が得られそうな気もしないもんね。


「わたしも手伝っていい?」

「え?お前が?」


 コスティがびっくりしたように目を瞬く。だが、これはわたしにとっても美味しい話なのだ。


「うん。でさ、いっぱいハチミツ作って一緒に商売していっぱい売れたらわたしにお給料ちょうだい」


 とりあえず、わたしには糠漬けに代わるものが必要なのだ。




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