【閑話】失踪した子どもと神呪の書付

 トゥルムツェルグの現在の領主である父上は、割と吞気な性格だ。

 領地が元々豊で、災害なども起きにくいのが、吞気さに更に拍車をかけているように思える。


「父上、今年の収穫はどうですか?少しは余裕ができそうですか?」


 私は、パンをちぎりながら聞いた。穀倉領とも呼ばれる、ここトゥルムツェルグで採れるのは米のはずなのだが、王都から来たのではパンが口に合っているだろうと、わざわざ作らせたらしい。

 気遣いは有難いのだが、相変わらず少々ズレている。


「去年とそう変わらない見込みだよ。道の舗装にどれだけ回せるかは難しいところだね」

「……領都から他の町までの道くらいは整備しておかなければ、何かあった時の情報の遅れは悪手につながるのでは?」


 私は少し困った表情を作る。老若男女にキレイだと評されるこの顔は、便利に使えば便利だ。

 本当は、町だけではなく各農村の庄屋の家まで舗装しておきたいところなのだ。情報はあらゆる角度から迅速に集めたい。最近、いろいろなとろで、異常気象などの話しを耳にする。


「東のランドルからダヌスカ、メルヤまでは敷いたよ。だが、ある程度町に裁量を持たせないと反発も大きくなるからね。迅速さも大事だが、慎重さも必要だよ。ナリタカ」


 父上には、私の作られた表情など通じない。私は基本的に王都に住んでいるので、領民との細かい駆け引きは分からない。父上は吞気だが愚かではないので、ここは任せるのが一番だろう。


「分かりました。余計なことですね。申し訳ありません」

「構わないよ。君の指摘はいつも一考に値するからね。ところで、今日は何をするんだい?明日には王都に戻ると聞いたが」

「ちょっと領都へ下ります。探し物ができましたので」

「そうか、ああ、領都へ行くのならついでにガルス薬剤店に寄ってくれないか?また糠漬けを持って来てほしいと伝えてくれ」

「は?糠漬け?」


 聞き慣れない単語な上に、父上に似合わない言葉が飛び出てきて、少し驚く。あまり煌びやかな形はしていないが、これでも父上は王族だ。それなりの容姿をしている。


「そうだよ。最近店主がハマっているらしくてね。一度持って来てくれたんだが、それがなんとリンゴの糠漬けだよ?ちょっと、どうなのかと思ったが、食べてみるとこれが美味しくてね」

「……分かりました。伝えましょう」


 作った笑顔で答える。正直言って、私は漬物にそれほど興味を持てない。






「急にどうされたんです?ナリタカ様。僕、今日は若い子たちと楽しく研究する日だったのですが」


 客室に入って来たアーシュが恨みがましく言う。私以上にわざとらしい表所を作る男だと思う。


「従者として来ていた神呪師が荷物を盗まれたらしいんだ。窃盗犯は捕まったんだけどね、私が以前渡していた書付がその中に入っていたらしい。なのに、押収物にはその記載がなかった」


 従者としてあり得ない失態に、アーシュが眉を顰める。アーシュはこう見えて、結構厳しい。


「見られたらマズいものということですか?」

「例の神呪の一端」

「ああ……4年前の事故の」


 4年前、当時12歳だった私は、野外活動に出向くという神呪師たちと共に、荒涼地帯に向かっていた。荒涼地帯の手前にある鉱山領から、神物が出たという報告を受けたのだ。

 境壁の向こうの不可思議な力で生み出されると言われている獣だ。一度この目で見てみたかった。

 同じように、神物が入って来た境壁の穴の方を見てみたいという神呪師たちと共に、討伐隊に守られての旅となった。


 私は、境壁の手前で神物の討伐を見物し、そのままそこに野営していた。神呪師たちは、少数の護衛と共に境壁まで進んでいたので、後は、野営しながら神呪師たちが戻って来るのを待ち、一緒に帰るだけだった。だが。


「あの後、神呪師たちの遺体が数体は見つかったけど、一緒にいたはずの神呪師が数名行方不明になってる。何か知っているに違いないからね。あの神呪は切り札とするために取っておきたい。他人の目に触れる前に回収しないと」


 一行の中にはまだ小さな子どももいた。あの子どもがどうなったのかも、気になっている。


 何かに夢中になると、周囲の声が耳に届かなくなり、その度に、小さな頭を世話係の男に叩かれていた。大人の男と小さな子どもの組み合わせがなんだか滑稽で、思い出すと、今でも笑いが込み上げてくる。

 あまりに頻繁で、さすがに可哀そうに思い、叩かれる前におもしろい話をしてあげたり、甘いお菓子を鼻先に突き付けたりして正気に戻していたのだが、そのうち何故か私を見ると避けるようになった。私がいると集中できなくなると思ったようだ。そんな思考展開があるのかと呆気にとられたものだ。


 だが、神呪師としてのセンスは抜群だった。信じられないほどの才能だった。さすがは両親とも優秀な神呪師の子どもなだけある。正直、妬ましくさえ思った。あの才能は失くすにはあまりに惜しい。どこかで生きていてくれればいいと思うが。


「ハァ。分かりました。すぐ出ましょう」

「あ、そういえば、父上が何か、漬物が美味しかったと言っていたな」


 私は、先導するセインについて歩き出しながら、父上からの伝言を伝えた。


「ああ、糠漬けですか。お口にあったようですね」


 アーシュが小さく吹き出しながら言う。父上は、王族として、感性が少しズレている。まぁ、領地にいる限りは特に問題もないのだが。


「普通は農家の者が漬けているものなので農家でしか出ないそうなのですが、領都で職人の子どもが作り始めたみたいなんですよ。なかなか美味しいですよ。食べられました?」

「いや……城ではなぜか王都風の食事しか出されないんだ。王都の料理なんて王都に帰ればいくらでも食べられるんだけどね……」

「ククッ。相変わらず気遣いがズレてますね」


 アーシュとの付き合いはもう10年になる。父上の性格なんかもいろいろと知られている。


「ああ、そういえば、さっき店にいた子ども、見ました?」

「子ども?」


 アーシュが、店を出たところで聞いてくる。そういえば、随分くたびれた服を着た子どもが二人いた。いくつか年下の少年と、まだ小さな女の子だ。この店でああいう格好の人間を見るのは初めてだったので多少気にはなったが、特にこれといった特徴があるようには見えなかった。顔もよくは見ていない。


「二人いた?」

「ええ。あの子はおもしろいですよ」

「へぇ」


 私は少し興味を惹かれた。アーシュは人当たりはいいが、実はなかなか手厳しい。有能だと思った者には親切だが、付き合っても利がないと判断すれば、すぐに切り捨てる。そのアーシュが、将来有望だとかではなく、おもしろいという表現を使うのだ。いったい何をしたのだか。


「でも、あの大きさだと、もうどこかで働いているだろう?引き抜くのか?」

「は?ああ、いや。男の子じゃなくて、女の子の方ですよ」


 私は驚いてアーシュを見返す。

 これは更に珍しい。女児は成人するとすぐに結婚・出産するので、能力があっても実際には使えない者が多い。アーシュが女児に目をかけるところなど見たことがない。


「あれはあれで、ずいぶん小さかった気がするが?」

「ああ、去年の秋に初めて農家に行ったって言ってましたから7歳ですね。3年あれば十分教育できますよ」


 なるほど。薬剤師として育てるつもりらしい。世の中には有能な子どもがずいぶんいるものだな。


「あの子が糠漬けの売り主ですよ。領主様の覚えもめでたくていいこと尽くしでしょう?」

「ふぅん」


 アーシュが笑う。ではあと数年後には、あの子どもを城で見かけることになるということか。顔を見ておけば良かった。



 



 城に送られて来た窃盗犯の報告書には、神呪のことは何も触れられていなかった。だが、もしかしたら、神呪と気付かれなかった可能性もある。


 それを確かめるため、窃盗犯を捕まえた者が担当している避難所へ赴いた。生憎、捕まえた者は不在だったが、他の警邏の話によると、何やら落書きのようなものが書かれた紙切れを拾ったことは間違いないらしい。だが、ゴミだと思い、捨てたと言う。一応、神呪師組合にも見せたと言うが、特に何も注意は受けなかったので、気にしなかったということだ。


 これが王都であれば、この者たちは職を追われることになっただろう。大した失態だ。押収したものは、例えどんなものであろうが、勝手に捨てるなど、あり得ない。


 だが、他の補佐領もそうだが、領民は神呪にそれ程詳しくない。組合も、新しい神呪に興味がある者などいないのは承知の上だ。アーシュは目を細めて剣呑な空気を出しているが、特に誰かの手に渡ったわけでないのであれば、ここは不問とした方が良いだろう。下手に騒いで興味を持たれても厄介だ。


「分かりました。ご苦労様です」


 私が丁寧に労うと、一同がホッとしたように、力を抜いた。だが、私が聞きたいことは他にもある。


「ところで、最近、領都で許可のない動具が使われているという話を聞いたのですが?」

「は!……は?動具……ですか?」

「ええ、何か、子どもがどうとか。報告書では不明瞭な点が多かったので、直接聞かせてもらいたかったのですが……心当たりは?」


 今回、私がこのトゥルムツェルグに帰還したのは、このためだった。

 子ども、神呪とくれば、自ずと思い浮かぶ者がある。生き延びることが、できていたのだろうか。


「いや……動具……ですか?」


 警邏の者たちは、顔を見合わせている。全く根も葉もない話だということはないと思うのだが。


「ああ、神呪師の娘で、一人賢いのがいますが……」

「いや、あの子がいつも持っているのは動具じゃなくて漬物だろう?」

「たしかに。神呪の話なんか聞かないよな」


 警邏隊の者たちが笑いながら口々に言う。


「神呪師の娘?」

「はぁ、ヤダル工房の神呪師の娘です」


 そこで、アーシュが思い出したように言う。


「あ、そうそう、店で見たあの子ですよ。確かに神呪のことも多少話してましたが、大部分は糠漬けの話ですねぇ」


 さっき話に出た子どもの事らしい。7歳と言っていたので、違う。年齢が合わない。4年前に4歳だったので、今はもう8歳か9歳になっているはずだ。


「そうですか。分かりました。何かあったら城に知らせてください」


 私は、少なからず意気消沈した。まぁ、人生そんなものだろう。






 王都に戻った私の元に、例の神呪師親子が姿を消したという報告が入ったのは、それから一月半程経ってからのことだった。


「アーシュ、どういうことだ?」

「分かりません。が、セインが言うには、家には家財一式が残っていて、家人だけが消えたということです」


 アーシュが珍しく苦り切った表情で答える。


「ですが、動具の件は証言が出ました」

「証言?」

「はい。町医者の親子が、娘がサラサラと神呪を描くところを見ています」


 私は目を見開いた。神呪を描いた?7歳の娘が?何故周囲の者は、それを見逃していたんだ!


 成人している神呪師ですら、神呪を描くときは慎重に慎重を重ねる。サラサラとなど、描ける者の方が少ない。


「その親子が、例の事故の生き残りという可能性は?」

「……ですが、年齢が……」


 眉をひそめて問う私に、アーシュが考え込むように答える。だが、そもそもアーシュが7歳だと言っている、その情報は本当に正しいのか。


「7歳だというのは誰が確認したんだ?」

「……戸籍はありませんでしたが、周囲の者はみな、そう思っています。本人の言にも怪しい所はありませんでした。少なくとも、あの親子が領都に現れたのは、3年前で間違いないと思います」


 たとえどれほど賢かろうと、8歳か9歳くらいの娘がそこまで嘘をつき続けられるものだろうか。しかも、周囲の大人全てを完全に欺ききっている。このアーシュも含めて。


「……どういうことなんだ?」


 親子だという。では、親の方はどうなんだ。神呪師だと言う話だったはずだ。状況は十中八九、一つの可能性を指しているというのに。


「親という男が子どもを拐かした可能性は?」

「周囲への聞き込みからすると、それは考え辛いようです。むしろ親の方が振り回されていたと。仲の良い様子だったようです」


 ……では、やはり誘拐ではなく失踪なのか。


 子どもは自らの意思で動いていたということになる。


「医者の娘の言ですが、『あめ玉も自分で作った動具で作ってくれてたみたいだし、おかしな動具を使っている子どもというのなら、アキしかいないだろう』と」


 ため息交じりのアーシュの言葉にハッと息を飲む。


『おい、こらアキ』


 そうだ。そう呼ばれていた。一度だけ、名を呼ばれているのを聞いたことがあった。


「……『アキ』」


 ……よりによって、この私が忘れていたなんて。


「たしかにあの子は賢い子どもでしたが、明るく呑気な子で……そんな過去を抱えているようにはとても……」


 アーシュが眉を顰め、首を振りながら言う。随分目をかけていたのだろう。まさか自分が欺かれていたとは、いまだに信じられない様子だ。


「いや……その娘だ。たしかにその名で呼ばれていた」

「……名を、変えていなかったのでしょうか」

「ああ、珍しい名前だから目立つだろうにな……」


 薬剤店で会った時、顔をよく見ていなかったのが悔やまれる。

 いや、あの時もう一人いた子どもは何だったのか。


「もう一人は保護者が務める工房の子どもで、付き添いでした。保護者が過保護なようで、一人ではあまり出歩かせなかったようです」

「そちらは何と言っているんだ?」

「……無言を貫いています」


 アーシュが、痛ましそうに顔を曇らせる。その子どももまた、欺かれていた中の一人ということだ。いや、突然の別れに、捨てられたような思いを抱いているかもしれない。どちらにしても、心に受けた傷は大きいだろう。


「ザルトはアキを妹のように思っていたようでしたから。恐らく本人も、まだ状況が整理できていないのだと思われます。ですが、ザルトもアキが7歳だというのを疑っている様子はありませんでした」

「……そうか」


 報告によると、警邏や食事処、市場の行商に庄屋一家にと、随分可愛がられていた様子が伺える。


 可愛がってくれる者たちを、全て欺いて。


 思い出が詰まっているだろう家も家財も、全て捨てて。


 ……今、どこで、何を思っているのだろう。

 嗤っているいるのだろうか。それとも、泣いているのだろうか。






 トゥルムツェルグで神呪師の親子が失踪したと思われる前日、領都の一区画が突然闇に包まれて、一瞬の後に元に戻ったという報告が届いたのは、神呪師失踪の報を受けてから、さらに五日が経った後だった。


「アーシュ、すぐに追わせろ!失踪した神呪師の親子を捕まえるんだ!」


 あの書付が、その親子に渡ったことは、間違いないだろう。


 



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