ホフさんの懸念

 できることを増やそうと決心したわたしだが、結局、相変わらず糠漬けを漬けている。まだ子どものわたしにできることなど、限られているのだ。


 いずれ独立してしっかり身を立てることを考えたら、やっぱり神呪師になるのが一番安定している。でも、今は派手に神呪を使うことができない。これから先、できるようになるかどうかも分からない。そうなると、今、わたしができることは糠漬けを漬けて売るくらいなのだ。


「では、アキさん。焼き石灰を3袋ですね」

「ありがとう、セインさん」

「いえいえ、アキさんの糠漬けはなかなか手に入らない幻の糠漬けですからね。こうして頂けるのは、こちらこそ有難いです」


 セインさんが笑いを含んだ声で言う。

 変わったことといえば、焼き石灰を定期的にもらうようになったことだろうか。笑いを含んでいるのに、セインさんが言うとからかわれてる感じがしない。あくまで穏やかだ。こういう人っていいなと思う。


「店主も大変喜んでおりますよ。しかし、まさかこれを焼き石灰と交換で手に入れているとは、誰も思わないでしょうね」


 セインさんがおかしそうにフフッと笑う。

 わたしも、お米と交換でもらうより、糠漬けと交換の方が嬉しい。何と言っても、割安なのだ。


「もう少したら、またお魚の行商さんが来るから、お魚がもらえたら漬けてくるね」


 お魚は、行商のおじさんからもらうと約束しているので、おじさんを待たなければならない。


 別に、騙されているとか、子どもだからいいようにあしらわれているというわけではない。

 普通にお店で買うと、手が回らなくなるのだ。


 前回の市場が閉じた後、行商さんが来ないからとお店でお魚を買って漬けて、ゾーラさんに納品していたら、おきゃくさんから催促されるようになったのだ。

 初めは嬉しくて、毎日のように納品していたのだが、なにせお魚は傷むのが早い。お店から買った魚がすぐに傷んでしまったことがあった。


 それはそれは、大変な事態となった。


 傷んだお魚の匂いが充満する部屋は、それだけで猛毒が撒き散らかされているようだった。

 ダンには当然怒られたが、わたしもとてもダメージを負った。臭くて寝ることすらできないのだ。仕方がないので、ダンのベッドに入れてもらったが、ダンの部屋まで臭くなっていた。ダンも辛そうだったが、わたしも辛かった。

 お魚を漬けていた糠床は次の日、ダンが壺ごと領都の外の土に埋めてきたそうだ。


 ……お魚用に壺を分けておいてよかった。


 糠床を一つダメにしたが、わたしは仕事をするということがどれ程大変なことなのか、身をもって思い知った。ダンもザルトも、ゾーラさんもヤダルさんも、そして研究所で働いていたお姉さんも、きっとこういう経験を乗り越えてきたのだろう。わたしも、これが良い経験だったと言えるよう、頑張ろうと思う。そして、お魚の糠漬けは、時々現れる幻の糠漬けという形にしようと思う。限定販売というやつだ。






「アキちゃん、最近何か困ってることでもある?」


 午前中、ゾーラさんのお店に納品に行くと、タトラさんが心配そうに聞いてきた。急に何だろう。


「最近、変わり種の糠漬けをあまり見なくなったから。前はとっても楽しそうにいろんな物を漬けてみてたでしょう?もう、楽しくなくなっちゃったのかなと思って」


 タトラさんが、ちょっと困ったように言う。

 そうか、変わり種がないと、お客さんに何か言われるのかもしれない。


「ううん。この前お魚の糠床を一つダメにしちゃったから、糠床がまだできてないの。変わり種の実験は別の糠床で試さないと、失敗した時大変だから……」

「あー……。そうか。そうよね。分かったわ」


 お魚の失敗を思い出してどんよりしてしまったわたしに、タトラさんがそっと目を逸らしながら言う。お魚の惨劇はタトラさんにも話してある。


「あ、でも大丈夫。最近焼き石灰が手に入るようになったから、糠床の管理が前よりもっと楽になったの。あと何日かすれば出来上がるよ」

「そう、良かったわ。じゃあ、また楽しみにしてるわね」


 タトラさんはほっとしたように言うと、糠漬けを持って厨房の方に入っていった。


 ゾーラさんのお店の裏口を出ると、ちょうどホフさんが買い物から帰って来たところだった。


「こんにちはー」


 わたしは、軽く挨拶して通り過ぎようとした。ホフさんとは、いまだにまともに話したことがない。


「……なぁ、うちの母さんに付け入ったのは養父の差し金か?」


 ホフさんが睨むようにして、意味の分からないことを言い出した。


 ……差し金って、何か企んでるってことだよね?


 わたしは、ちょっと首を傾げて考え込んだが、わたしがゾーラさんと親しくなることで、ダンが嬉しいことなんて考え付かない。


「このお店に、何かダンのお得になることがあるっていうこと?」

「……タトラだ」

「へ?」


 思わぬ名前が挙がった。タトラさんって何か特別な人だったんだろうか?


「母さんは丸め込まれたようだが、オレは反対だからな」


 ……んん?


 わたしは更に首をひねった。なんのことだかさっぱり分からない。


「そもそも神呪師なんて胡散臭い仕事してる上に、余所者だ。しかも、お前もこそこそと何かやってるんだろう」


 神呪師は、木工や金属加工と違って何をやっているかが分かり辛い。傍目にはおかしな落書きをしているだけにも見えるだろう。厨房にも神呪を使った動具がたくさんあるのだが、それでもやはり胡散臭く感じる人がいることは知っている。そもそも、領地には神呪師が少ないので、さらに謎めいて見えるのだろう。神呪師への敬遠の感情は、わたしでも時々感じる。


 ……わたし、何か怪しまれるようなことしたっけ?


 分からないのは、わたしへの部分だ。わたしは割と大っぴらな性格だと思う。こそこそ何かやった記憶がない。ホフさんてわたしが神呪描けること知ってるのかな?


「ホフさん。わたしみたいな、ちょっと賢いだけの7歳の女の子の何を疑ってるの?」

「お前、密かにおかしな動具を持ってるらしいじゃないか」

「おかしな動具?」

「輪番の時にはあめ玉を配ってると聞いた」


 ……おお、たしかにわたしの秘密動具だ。なんで知ってるんだろう?


「今日も持って来てるよ。いる?」


 わたしがあめ玉が入った袋をホフさんの前に差し出すと、ホフさんが引きつった顔で一歩下がった。まるで、袋自体が得体のしれないものだと言わんばかりだ。


 なんだか怯えてる様子がかわいそうになってきたので、わたしはホフさんの目の前で袋からあめ玉を一つ取り出し、ゆっくりと自分の口に入れた。


 ……なんだか、野生の動物を相手にしてるみたいだ。


「毒とか入ってないよ。一つ食べてみたら?」


 目を見開いて、凝視しているホフさんの前に、あめ玉が入った袋を差し出す。


「……なんで、飴が丸いんだ……」

「へ?」


 よく聞き取れなかったので、聞き直す。


「なんで、真ん丸なんだよ!」


 聞き間違いじゃなかったみたいだ。

 ホフさんが怯えているのは、あめ玉の形状だった。ますます意味がわからない。


「どんな型を使ったって、丸い形なんか作れるわけがないんだ!」


 ……ああ、なるほど。


 分かった。これは、わたしが失敗だった。


 あめ玉を作ること自体は別に難しいことではない。砂糖と水を煮詰めて放っておけば、飴になる。キレイな形を作ろうと思えば、作りたい型を用意して、煮詰まった飴が固まる前に型に入れて放置すればいい。だが、どんなに頑張っても、放置する以上どこかが平らになる。


 まず、底。飴が固まる前に型から流れ出たりしたら大変なので、放置できるように、底が平らでなければならない。


 そして、上部。百歩譲って、固まるまでずっと支えているとして、底は丸くてもなんとかなるかもしれない。だが、型には必ず、飴を流し込む穴が必要だ。真ん丸い型を作ったとしても、飴を流し込んだ上部だけは、平らになるはずなのだ。こればかりは、どうしようもない。


 実は、わたしがそのことに気付いたのは、ダンに連れられて工房に行った時だったのだ。でもその時にはすでにあめ玉動具を作っていたので、まぁいっか、と流していた。


 ……だって、そんなとこに引っかかる人がいるなんて思わないよ。


「何か特殊な動具でも使わなけりゃ、そんなものは人間の手では作れっこない。あの養父が作ったのか?それとも、お前か?そんなものが作れるのに、なんで穀倉領になんているんだ!」


 ……なるほど。腕がいいのにこんな田舎に潜んでるなんて、罪人に違いないとか思われてるのかもね。


「しかも、お前、警邏に媚び売ったり領主様に近づこうとしているだろう」


 いろいろと聞いて回ったようだ。わたしがお店に来るときにホフさんとあまり会わなかったのは、わたしと入れ替わりに職人街へ行ってたってことかな?

 7歳の女の子相手にそこまで真剣に身辺調査するとは……ちょっと引く。


「ガルス薬剤店にしてもそうだ。あんな大店、本来ならオレたちのような庶民が関わり合いになることなんかないんだ。どんな手を使ったんだ!」


 たしかにそうだと思う。


「お前はおかしいんだ。お前の養父だって、腕がいいのを隠してるって噂だ。お前たち、何者なんだ。オレ達を利用して、この街で何をしようとしてるんだ」

「……ふぅ」


 わたしは軽くため息をついた。

 正直、面倒くさい。わたしこそ、この人とはこれ以上関わりたくない。


「別に何者でもないよ。生まれた家に急に帰れなくなっちゃって、全然知らない土地に来ることになって、ダンにお世話になりっ放しじゃダメだから、何もできることなんかないけど、それでも何かしなきゃって考えて、やってみて……今でもいつも、考えてるだけだよ」


 ……そうだ。わたしにはできることがあまりに少ない。


「……急に帰れなくなって……何があったんだよ」


 突き放すように言うわたしに、ホフさんが訝しむように聞いてきたけれど、それはわたしが聞きたいくらいだ。


「知らない。知らないし、たとえ知ってたとしても言わない。ホフさんこそ、自分が絶対信用できる人間なんだって、どうやってわたしに証明できるの?」

「…………」


 ホフさんが黙り込む。でも、納得してるというよりは、言い返したいのに言い返す言葉が見つからないだけのように見える。わたしやダンへの不信感は消えないようだ。これがゾーラさんの関係者じゃなければ、完全に無視して帰っているところだ。立場の弱さが苦い。


 ……ハァ。あめ玉の形一つでこんなに警戒されるなんてね。


「で?何かに反対してるって話だったと思うんだけど、そもそも、それ何の話?」

「タトラをお前の養父の嫁にしようって話が出てるだろ」

「…………ぇぇえええっ!?」


 顔を歪めて唸るように言われた内容は、あまりに予想外だった。


 何となく、ダンのお嫁さんにはわたしの知らない人が来るものだと思っていた。ちゃんと想像したこと自体が、実はなかったのかもしれない。


 ……ダンが?……タトラさんと?


 でも、考えてみればダンは27歳。そしてタトラさんはたしか18歳だと言っていた。ちょうど良い年回りだ。そういえば、ダンに戸籍のことを聞いた時、わたしの方に聞くとは思わなかったというようなことを言っていた。もしかしたら、ダンにはどこからかこの話が持ちかけられていたのかもしれない。


 ……思ってたより早かった。


 頭が真っ白になってしまったわたしは、まだぶつぶつと文句だかなんだかを言ってきているホフさんに背を向けた。

 どうやって家に戻ったかは覚えてないけど、気がついたら、ぼんやりとベッドに寝転がっていた。




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