紙切れの神呪

「次の輪番は来月か?」


 ダンが、鳥の肉と野菜を塩で炒めたものを、箸で摘まみながら言った。肉はほんのちょっとしか入ってないけど。


「うん。次は稲刈りだね」

「んじゃあ、そこまでは汚れねぇな。農作業用の上着が必要かもなぁ」


 稲刈りの季節には、少し寒くなっている。今のうちに用意しておいた方がいいだろう。


「わたしが手伝いに行けるようになって、もう一年だよ」

「ん?ああ……もうそんなになるのか。早いな」


 ダンが顔を上げて、思い出すように言う。


 農家の手伝いは7歳からなので、夏の終わり頃が誕生日のわたしに、初めて輪番が回ってきたのが、去年の稲刈りだった。まぁ、迷子になって行けなかったけど。


「もうすぐ8歳になるんだよ。成人なんて、あっという間だね、きっと」

「そうだなぁ……」


 あれから、ダンとは戸籍の話しはしていない。当然、タトラさんとの結婚の話も出ない。ダンが話さないなら、わたしも突いたりしない。今の、この猶予期間をできるだけ有効活用しなければならない。わたしはまだ、一人で暮らすことなどできないのだから。


 タトラさんのことだから、ダンと結婚することになってもわたしを追い出すようなことはしないだろう。だが、新婚さんの間に何も気にしない顔で割って入れるほど、わたしも野暮ではいられない。


「とりあえず、あと2年で、ちゃんと働く場所探さないとね」

「今のままでいいんじゃないか?子どもの割には稼げてる方だろ?」

「それじゃ、後につながらないもん」


 成人してからは、本格的に給料をもらって働くことになる。10歳からの5年間で、その後自分が働く仕事を探すのだ。子どもの手伝いは、子ども自身と職場の両方が、適性を見極めるための期間になる。


 所詮手伝いなので、辞めることもできる。そうそう手軽に辞めたり転職したりできるわけではないが、きちんと手順を踏めば可能だ。だが、成人してすぐに働けるようになるためには、その前に何年か働いて仕事に慣れておかなければならない。実質2年以上は必要とされているので、わたしのように、何をするのか、何ができるのかハッキリしない子どもは、10歳になる前から、先に手伝いに行っている子どもに聞いたりして職場の下調べをしなければならない。最初の3年で決めなければならないので、のんびりしている暇はないのだ。


「糠漬けを頼りに、お総菜屋さんとかかなぁ……。でも、これ以上糠床増やせないからなぁ……」

「ああ、お前の寝る場所がなくなるな、きっと」


 ダンは笑って言うが、本当に狭いのだ。温度管理のための樽が、幅を取り過ぎている。


「あ、ガルス薬剤店とか、何か雇ってくれないかな?店番とか」

「お前に店番なんて勤まるのかよ」


 ダンがクッと笑う。


「客のことほったらかして新しい商品とか考え始めるんだろ?」

「うっ……。じゃあ、薬剤師とか?」

「薬剤師なら資格がいるな」

「え、そうなの?」

「ああ、試験もあるが、店に入って何年か経験つまないとそもそも試験が受けられねぇ。神呪師同様、狭き門だ。全く関係なく育ってきた奴を受け入れる店なんて、そうそうねぇからな」


 ……アーシュさんもエリートだったのか。


 というか、領主様とも関係を持つほどの大店なんだから、店員さん全員エリートだ。


 ……うん。エリートっぽかった。やっぱりダンがおかしい。


 でも、ガルス薬剤店の薬剤師はおもしろそうだった。そのうちセインさんに聞いてみようと思う。とりあえず、ガルス薬剤店に入ってセインさんとお話しするために、糠漬けが必要だ。仕事のことは2年の間に考えるとして、今はとりあえず、糠漬けしかない。





 わたしには現在、ダンの結婚の他にもう一つ気になっていることがある。オジルさんにもらった紙切れだ。派手なことはできないが、自室でこっそり眺めるくらいなら、別に害はないだろう。糠漬けしかないと考えると不安になってしまうので、神呪からは離れないようにしたい。


 複雑に絡まり合った線は、時々太くなったり、途切れたりしている。途切れている部分が神呪の一つの区切りになっているのか、その途切れた合間も含めて一つの意味を成しているのか、それすらも分からない。一見するとただ子どもがグチャグチャに落書きしたようにしか見えない模様の中に、見知っているものがないか目を凝らす。


 ……これ、もしかして…………炎、かな?


 火に関する神呪はただでさえ複雑だ。火は風や湿度や燃やす素材など、形が変化する要素が多い。動具として使用する許可が出ている神呪の中でも、火に関するものはほとんどないのだ。

 線を目で追いつつ、時々目を細めて少し遠くから全体を眺める。一瞬、知っている部分があった気がするが、線が複雑すぎて、すぐに分からなくなってしまう。


「どうしたらいいかなぁ……」


 そもそも、神呪の書き出しの部分が分からないので、どこから意味がつながるのか、全く読めない。


「他に何か残ってないか、オジルさんに聞いてみようかな」


 明日、避難所に行って聞いてみることにした。






「ああ、オジルさんなら何日か前から領主様の遣いに出てるんだ」


 オジルさんを訪ねて避難所に行ったが、あいにく外出中だった。バルさんもいないようだ。見回りに出てるのかな。それにしても、オジルさんはやっぱり偉い人だったっぽい。領主様にお遣い頼まれるなんてすごいね。


「前にオジルさんに見せてもらった、ひったくり犯の家から見つかったって紙切れのことで聞きたいことがあったんだけど……」


 なんとなく、神呪が描いてあるとは言わない方がいい気がして、ちょっと遠回りに言う。オジルさんに迷惑がかかるといけない。


「ん?なんだろう……。紙切れ?」

「そう。グニャグニャ模様が描いてるの。犯人は心当たりがないらしいから、ひったくったカバンとかにでも入ってたんだろうって」

「ああ、なんかそんな話、してたな。いや、でも別に大したものじゃなかったはずだよ。保管する必要はないだろうって話してたし。もう捨てたはずだよ」


 ……保管する必要は分からないけど、わたしがもらって良かったのかな?


「なんか、引きちぎったようになってたでしょ?その、ちぎれたもう片方は残ってなかったのかなと思って」

「うーん……ちょっと待ってろよ」


 お兄さんは一旦奥に行き、しばらくして、紙束を抱えて戻って来た。お兄さんは紙束をめくっているが、わたしの横でめくるので、わたしにも見えている。


「……わたし、部外者だけど見てていいの?」


 研究所では、依頼主の情報などは部外者に見せないようにしていた。子どものわたしも当然部外者なので、研究や実験自体は見せてもらえても、対人の情報が載っている書類などは見せてもらえなかった。


「ああ、これは正式なものじゃないからな。細かい規則はないんだ。覚書みたいなものだからね」


 警邏の見回りでは、見まわった後に必ず日誌をつけるのだそうだ。

 ひったくり犯の検挙と自宅への踏み込みは、警邏の見回りの最中に起こったので、当時関わった警邏の人が日誌に書いておいたらしい。後日、改めて検証が行われたそうだが、その前に踏み込んだ時の記録なので、犯人の持ち物が全て記録されている。もちろん、日誌を書いたお兄さんの目に留まったものだけなのだが。


「ん~……特になさそうかな?まぁ、金目のものでなければすぐ捨てられただろうしなぁ」

「どのカバンに入ってたのかも、分からない?」

「ああ。カバンは数点見つかっているが、紙切れは部屋の隅に落ちてたみたいだからね。犯人が気づかない間に落ちちゃったんだろう」


 見つかったカバンは4点で、明らかに女の人のものだと思われるものが3点。あとの1点は、体に斜めにかけるタイプだったようで、男物か女物かはっきりしない。


「……体に斜めにかけてるカバンを盗まれるって、どういうこと?」


 ……不可解だ。


「ああ、それは食事処でやったらしい。食事中で床に置かれたカバンを持って出たんだそうだ。相手は男だったってさ。男相手にはあんまりやらないそうなんだがな」


 ……ああ、男の人が相手だと、捕まっちゃいそうだもんね。しかも、捕まった後が怖そう。


 きっと、見るからに軟弱な感じの相手だったのだろう。ダンなどは、ガラが悪いから狙われなさそな気がする。


「おー、ジラグ、どうした~?」

「ん~?ほら、ひったくり犯のうちで見つかった紙切れあっただろ?なんか落書きのやつ」

「ああ、あれ。なんだ?あれ、なんか大事なものだったのか?」


 他の当番の人も寄ってきて一緒に日誌を見てくれる。いつも思うけど、警邏の人たちはとても親切で、結構ヒマそうだ。


「そういや、わざわざ聞きに来た奴がいるんだって?」

「そうそう。なんかすっげぇキラキラしてて、オレちょっとヤバかったわぁ~」

「いや、お前、何がヤバかったんだよ!」


 楽しそうに盛り上がるのはいいが、だんだんみんな日誌から目線が離れて行っている。ただおしゃべりしたいだけじゃないか。


「……お兄さん、これは?何か動具が入ってたの?」


 わたしが一人、真面目に日誌を見つめていると、気になる記述を見つけた。


「ん?ああ、なんか、火を付ける動具みたいなのが入ってたらしいぞ」

「火を付ける?……みたいなの?」


 火を付ける動具は各家庭にあるので、見慣れているはずである。みたいなのという曖昧な言葉が引っかかる。


「そ。今はもう保管庫に回されてるけどな。なんか、最新式かなんかで、普通の動具とは形が違ったみたいだぞ」


 ……最新式の、火の動具か。


「分かった。お兄さん、ありがと。はい、今日は大豆の糠漬け」

「お、やったぁ!酒のつまみが来た!」


 警邏の人は人数が多いので、差し入れは小さいものを大量に持ってくることにしたのだ。正解だったようで何よりだ。

 



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