糠漬けから神呪
今日は、一月ぶりの市に、ザルトと一緒に来ている。
中央広場では、月に二回市場が開かれるが、一回目と二回目では行商さんが違う。毎回必ず同じ行商さんが来るとは限らないはずなのだが、だいたい同じ顔触れが、定位置に並ぶ。毎月来ることが決まっているのかと尋ねたら、行商はそれぞれ道程が決まっているので、だいたい同じになるのだそうだ。いつも来ている行商さんが来ていないと、どうしたのか心配して噂になったりするらしい。
「おじさん、今日は何かおもしろいお魚ある?」
わたしは、前回糠漬けをあげたおじさんのところに言って声をかけた。
「ああ、アキちゃん。良かった、来てくれて。今回は、いくつか種類を代えて仕入れてみたよ。どうだい?糠漬けにできるかい?」
「どうだろう?お魚なんて普段漬けないから、やってみないと分かんないな」
「じゃあ、ちょっとこの3種類を頼むよ。手間賃として、それぞれ1匹ずつあげるからさ」
お魚3種類を3匹ずつもらう。明日、お魚の糠漬けを手に入れられることが決まった。ザルトにお裾分けするためにも、ちゃんと食べられるように頑張ろう。
「んー、糠漬けにしなくても美味しいお魚、ある?」
「ああ、それならこれだな。塩を振って焼くだけで美味いよ」
おじさんは、手のひらより少し大きいくらいの魚を指した。
「じゃあ、それ一匹買うから、もう一匹おまけしてくれる?」
「ええっ?アキちゃん、駆け引きが上手くなったなぁ……しょうがない、他を糠漬けにしてくれるならいいよ、これもつけよう」
「やった!じゃあ、はい。これ、お裾分け」
糠漬けもいいけど、そのままのお魚も食べてみたかったのだ。
「いや、アキ、お前それ捌けんの?」
ザルトの言葉にハッとする。今夜のおかずを手に入れたが、たしかに初めて食べるお魚だ。捌き方が分からない。
「これは、新鮮だから内臓も食べられるぞ。苔を食ってる魚だから臭みがないんだ」
「へぇ~」
ザルトも知らなかったようだ。たしかに、ここ穀倉領で新鮮なお魚ってあんまり見たことがない。
「じゃあ、ザルトも食べようよ。おじさん、お魚もう一匹買うよ」
「お裾分けもらったからな。おまけしてあげるよ」
「えっ!?」
苦笑気味に言うおじさんに、ザルトがびっくりしている。
「お前、いつもこんなにおまけしてもらってんの……?」
「こんなに気前よくくれるのはこのおじさんだけだよ」
「アキちゃんは面白いことをするからね。先行投資なんだよ」
呆然としているザルトにおじさんがウインクしてみせた。
「その代わり、わたしも糠漬けあげてるんだよ。ね、おじさん。じゃあ、明日ね~」
「ああ。いつも変わった糠漬けで楽しみなんだ。また頼むよ……って、え?……トマト?」
おじさんが、糠漬けが入った袋を除いて驚いた声をあげた。
一昨日、薬剤店を出る時に、ドア脇のお兄さんに引き止められてたくさんもらったものだ。糠漬けのお礼だとセインさんから言付かっていたらしい。小さいトマトはもう漬かったが、大きいものはもう少しかかりそうだ。次に薬剤店に行くのは明後日なので、大きいトマトはその時に少し持って行こうと思う。
今日はこのままゾーラさんのお店に納品に行くのだ。わたしは、預かったお魚を持って、ザルトと共にお魚屋さんを後にした。トマトは、ザルトと宿屋の女将さんにもお裾分けするつもりだ。
「お、アキちゃんだ」
ザルトと分かれて、中央広場から北に向かう大通りに入ってすぐ、名前を呼ばれた。アキという名前は珍しい。というか、他に聞いたことがないとよく言われる。お母さんのお友達が付けてくれた名前だそうだが、由来は、そのお友達が見た夢に出てきた女の人なんだそうだ。なんでも、歴史に名を遺す偉人になるだろうと言われたそうだが、意味がよく分からない。だって、夢なんだよ?
……気に入ってるからいいんだけどね。
「バル、どうした?」
一緒にいたおじさんも立ち止まる。警邏の見回りは基本、二人一組で行う。何かあった時、一人が現場に残り、もう一人が援護を呼びに行くためだそうだ。
「オジルさん、この子ですよ。糠漬けの子」
「おお、みんなが言ってた子か。小さいなあ」
…………糠漬けの子。……いいんだけどね。
神呪より糠漬けで覚えられるのは都合が良い。良いのだけれど、なんだかちょっと残念な気分だ。
「すごく頭がいいんですよ。字も書けるし」
「へぇ、こんな小さいのにか?」
「神呪師の娘さんなんですよ。ほら、ダンさん」
「ああ、ヤダル工房の。へぇ。……ん?ヤダル工房?」
「娘じゃないけど、ダンはわたしの保護者だよ」
オジルさんは、何か考え込むように顎を撫でている。
わたしはいい人なお兄さんを見上げる。いい人仲間のお兄さんの名前はバルさんというらしい。
「バルさん、ゾーラさんのお店、行った?」
「いや、ちょっと忙しくてさ」
新婚さんならば忙しいだろう。結婚はだいたい春先にする。春先に結婚のお披露目をして、そこから少しずつ、一緒に住む家を整えていくのだそうだ。結婚して2~3ヶ月なら、まだまだ忙しいのだろう。
「じゃあ、今度新婚のお祝いに糠漬け持って行ってあげるね。避難所に持って行っていい?」
「ホントかい?ありがとう!でも避難所だと他のみんなに羨ましがられちゃうなぁ」
「じゃあ、お家に持って行くよ。お家、どこ?」
「うーん……いや、アキちゃんの家にもらいに行くよ。うちはちょっと南西側なんだ。万が一ってことがあったら困るからね」
南西側には貧民街がある。南西と言っても領都の端だ。バルさんは領主様に直接雇われている警邏隊なのだから、貧民街までは行かないだろうけれど、それでも7歳の女の子が一人で南西の方をうろうろするのはあまり良くないのだろう。
貧民街は、南西側の領都の裾沿いに張り付くように広がっていて、領都の外にまで広がっている。領都の外だと正式な住所じゃないと聞いたけど、ちゃんと住めるのかな。
「アキちゃんだっけ?糠漬け、美味いんだって?」
「うん。みんな美味しいって言ってくれるよ」
オジルさんという人とは初めて会う。お裾分けしたものを食べたことがないのだろう。
警邏の人たちは輪番がないので、農家にはほとんど行かない。糠漬け自体、食べたことがあまりないそうだ。
「自分で漬けてるんだよな?」
「そう」
「オジルさん、どうしたんですか?」
バルさんが不思議そうに聞く。オジルさんの糠漬けへの食いつき方はちょっと変だとわたしも思う。
「いや、なんかこの前、領主様が糠漬けにハマってるって話を小耳にはさんだからさ。ヤダル工房がなんとかって聞いて、工房と糠漬けとなんの関係があるのかって不思議に思ってたんだよ」
……領主様か。
咄嗟に、あの、薬剤店で見たキレイな人が浮かんで、ほんの少し、警戒心が頭をもたげる。
……所作が、全然違う人。
歩く時の歩幅。手の握り。顎を引く角度。視線の動かし方。呼吸。
お城で時々見かけたあの人たちと庶民とでは、体の隅々まで、その動かし方が違うのだ。
「わたし、少しの間、ガルス薬剤店に糠漬けを持って行ってたの。ザルトと一緒に行ったからヤダル工房の名前が出たんじゃないかなぁ」
「ガルス薬剤店?」
「うん。すごい大店だったよ。ああいうお店って、領主様との付き合いもあるんじゃない?」
「ああ、そこから行ったのか。すごいなアキちゃん。領主様御用達の糠漬けじゃないか」
バルさんが冗談めかして言う。
よく考えたら、警邏隊の人たちも、領主様に直接雇われている立場だ。なんだか、糠漬けで出世して行けそうな気がした。王都にまで行っちゃったら困るけどね。
「こんにちはー」
今日は、避難所にリンゴの糠漬けを持ってきた。農家の市で売られているものを、ダンが大量に買ってきたもので、糠漬けにしたのは、ちょっとしたお試しだった。リンゴの味が残ったまま、糠漬けの塩味や酸味が移っていて、意外なことに美味しかったので、オジルさんに持って行ってみようと思ったのだ。
バルさんの名前が判明した翌日、お魚屋さんのおじさんにお魚の糠漬けを持って行き、分けてもらったものをザルトの家までお裾分けに行った。
お世話になっている人のところを一日で回ることができそうになかったので、他の人たちには、このリンゴの糠漬けを持って行くことにした。
最近、お世話になる人が増えている。宿屋の女将さんにゾーラさん、タトラさん。バルさんも良くしてくれるし、アーシュさんやセインさんには毎回美味しいお茶とお菓子をもらっていた。本当は庄屋さんの奥さんにも味見してもらいたかったのだが、さすがに庄屋さんの家まで歩いていくのは無理だ。輪番もないので、渡す手段がない。
……糠漬けしか、お礼できるものがないんだな、わたし。
神呪はダメだし、ガルス薬剤店で作っていたのは発熱材だ。お礼に向かない。
……わたしができることって、本当に少ないんだな。
アーシュさんとは、あれから会っていない。最初の約束ではもう一日あったはずなのだが、お客様と出て行ったアーシュさんは、そのまま王都に戻ってしまったそうだ。米糠石けんはどうなったんだろう?
米糠石けんがどうなるのか気になるところだが、所詮うちは貧乏だ。ガルス薬剤店で扱うような高級石鹸にはそもそも縁がない。それよりも、焼き石灰の方が問題だった。率直に言うと、高い。
わたしがゾーラさんからもらえるお給料は、日に米の小袋2つ分。ガルス薬剤店で売ってくれる焼き石灰は小袋1袋分で、わたしが使いたい分量の2日分。損するわけではないが、お湯を沸かす手間を省くだけと考えると、あんまりお得じゃない。
「お、アキちゃん」
考え込んでいると、オジルさんが声をかけてくれた。今日は見回りの当番ではないのだろう。
「オジルさん、リンゴの糠漬け持ってきたよ。みんなで食べてね」
「お、ありがとう!それにしても、リンゴ?リンゴって果物だよな?」
「うん。でも意外と美味しかった」
「アハハ、意外だったのか。いろいろ試してるわけだな?がんばってるなぁ」
オジルさんが、若いお兄さんにリンゴの糠漬けを渡す。お兄さんは当然のように受け取って、奥に入って行った。リンゴを切って来るんだろう。もしかして、オジルさんって結構偉い立場なのかな?
「字も書けるんだろう?がんばり屋なんだなぁ」
オジルさんが感心したように言う。
「字を覚えるのはおもしろいよ。字を覚えたら本が読めるようになるから、もっとおもしろい」
「へぇ、勉強が好きなのか。将来はアキちゃんも神呪師になるのかい?」
一瞬ドキッとした。だが、神呪師に育てられているのだ。将来の夢として憧れたっておかしくない。
……別に、深い意味があって聞いてるわけじゃない。
「そうだね。なれたらいいけど、難しいだろうね」
…………難しいだろう。隠さなきゃいけないくらいなのだから。
いつまで今の状態が続くのか分からないが、神呪師になろうと思うなら早く専門の勉強をしなければならない。こうしてのんびりと暮らしている一日一日、神呪師から遠ざかっている。
わたしは思わずため息を吐いた。
「お、そうだそうだ」
無意識に俯いてしまったわたしを見て、オジルさんが慌てたように奥から何かを持ってきた。
「神呪師になるんなら、これ、あげるよ。なんだかよく分からないんだけどさ、たぶん神呪だと思うんだよな」
オジルさんは、ゴチャゴチャグニャグニャと線が入り乱れた模様が書かれた紙切れを持ってきた。破れて模様の一部が分からなくなってしまっている。
「なんか、ひったくりの常習犯の家に落ちてたんだ。本人は知らないって言うから、ひったくったカバンのどれかに入ってたものなんだろうな。神呪師の組合に持って行ったんだが、今は忙しいし、見たこともない模様だから分からないって持って帰らされちゃってさ」
基本的に、研究熱心な神呪師は王都から離れたがらない。研究所から出される論文をいち早く手に入れようとするからだ。領都にいる神呪師は、知らない神呪を見ても、面倒くさいという気持ちの方が強いらしい。研究好きなダンがぶつくさ言っていた。
「ただの紙切れと言えばただの紙切れだからさ、保管する義務もないんだよ。どうしようかと思ってたんだ」
なるほど。神呪が作動するわけでもないので、ただの、わけの分からない模様が書きなぐられた、紙切れだと言われれば、たしかにそうだ。
「アキちゃんが将来有名な神呪師になったあかつきには、解明して教えてくれよな」
オジルさんがニヤリと笑う。わたしを元気づけようとしてくれているのが分かる。体よく押し付けられた感もあるけど。
「そうだね。分かった。ありがとう、オジルさん」
わたしは元気を取り戻して頷いた。神呪師になれるかどうかは分からないけれど、少なくとも、これがあることで、わたしは神呪に触れていられる。だって、解明して教えてくれって言われたんだもん。解明しないといけないだろう。
わたしから神呪の話をしたわけではない。神呪が欲しいとも言っていない。あくまで、相手から押し付けられただけだ。
……別に、ダンにわざわざ言わなくてもいいよね?
どうせ破れた未完成の神呪だ。何ができるわけでもない。わたしは、紙切れを握りしめて、弾むように帰宅した。
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