薬剤店のお客様

 今日はガルス薬剤店の工房に向かう。今日は鋼の日なので、研究室を使わせてもらえるのは、あと2回だけだ。途中、アーシュさんの都合がつかなくなった日が3日ほどあったが、わたしたちがいかない間もアーシュさんがいろいろと試してくれいるので、研究は概ね順調だ。


 お店に入ると、セインさんがすぐに気付いて声をかけてくれる。ドアの脇に立っている厳つい二人にももう顔を覚えてもらったようで、ドアを開くと「いらっしゃい」と気さくな笑顔で挨拶してくれるようになった。


「はい。セインさん。今日は卵の糠漬けなんだよ」

「いつもありがとうございます。アキさん。アキさんの糠漬けは店主にも好評なんですよ。この先も時々分けて頂けるとありがたいのですが。もちろん、お支払いは致しますよ」

「ホント?じゃあ、後でまたそのお話してもいい?」


 収入が増えるのは大歓迎だ。ただ、ゾーラさんにも量を増やして欲しいと言われている。部屋に置ける糠床の数は限られているので、ちゃんと考えて引き受けないと約束を守ることができない。


「もちろんです。お帰りの際にでも声をかけてください」


 セインさんに連れられて研究室に行くと、アーシュさんが先に始めていた。


「こんにちは。アーシュさん」

「やあ、いらっしゃい。早速だけど、これ、ちょっと持ってもらっていい?」


 アーシュさんが、手のひらに乗るくらいの大きさの、布の袋を二つ差し出してきた。


「持てばいいの?」


 わたしはザルトと顔を見合わせながら、一つずつ布袋を受け取った。袋が少し濡れている。


「あ……え?なんか、あったかい?」

「ん、ホントだ。なんかだんだん温かくなってる」


 濡れた部分が温かい。


「ちょっとそのまま持っててね」


 アーシュさんが、それぞれ別の液体で濡らした布を緩く絞って、それぞれの布袋にトントンと付ける。

 布袋がすこし湿って、持っているとそこがだんだん温かくなる。


「アーシュさん、これ、何?」

「ザルトくんの方は、焼き石灰に少し水をかけたもの。で、アキちゃんのは鉄の粉に塩水をかけたものなんだ。それぞれ混ぜ物をしてるけどね。どっちも発熱するものだよ」

「え!鉄!?鉄って熱くなるの!?」

「へぇ、そういや、工房の人がそんなこと言ってたっけ……」


 ザルトが何でもないように言う。そういうことは早く教えて欲しい。


「発熱させるだけならどっちでもいいんだけどね、鉄だと塩が必要なのが少し面倒かな。ちょっとザラザラしちゃうよね」

「ホントだ」


 温度が上がって水が蒸発したら、塩が残る。


「あと、鉄に塩水をかけると発熱するけど、塩水に鉄を入れてもあんまり温度が上がらない」

「え?」


 どういうことだろう?鉄と塩と水が混ざっていることには違いがないのに。


 ……鉄に塩水をかける……。


 手のひらを広げて想像してみる。ここに鉄があって、そこに塩と水が触れる。


 ……塩水に鉄を入れる……。


 わたしはコップに入った塩水をじっと見る。塩と水がある。その中に鉄がドボンと入る。塩水に鉄が入っている。


「あ……空気?」

「正解」


 わたしが考えるのをじっと待っていたアーシュさんが、満足気に頷いた。


「いろいろ試したんだけどね、鉄だとどうしても空気と塩が必要なんだ。手に入りやすいのは鉄の方だけど、アキちゃんが言ってた、壺を樽の水に入れて温めたいなら、焼き石灰が良さそうかな」


 本当にいろいろ試してくれたみたいだ。鉄のことは知らなかった。アーシュさんはさすがにいろんなことを知っている。でも、わたしとしては、壺と樽の組み合わせに拘りがあるわけではない。これは始めの部分から考え直した方がいいかもしれない。


「量を間違えると大変なことになるから、石灰が必要なら水を弾く神呪が入った小袋に入れて渡すように言っておくよ。水が入った樽一杯につき、袋三つ分くらいかな」

「はーい」


 アーシュさんが王都に帰っても、セインさんにお願いすれば売ってくれるようにしておいてくれるそうだ。これで、夜になっても糠床が冷える心配がなくなる。庄屋さんの奥さんにも教えてあげたら喜んでもらえるだろうか。


「で、次はこの米石けんなんだけど……」


 アーシュさんが、ほんの少し黄土色がかった白い四角い石けんを出してくる。


「泡は悪くないんだ。あんまり固くない泡でふわふわしてる」


 アーシュさんが泡立てながら言う。初めのころはあんまり泡立たなかったのだが、アーシュさんが、他の物をいろいろ混ぜ込んで試していた。ずいぶん石けんらしくなったと思う。ちなみに、作業しているところを見ているので、何を入れているかは分かったが、入れている量は大まかにしか分からない。どこかに書いてあるんだろうが、詳しく知りたいと思うほどの興味はない。どうせ高くて作れないし。


「石けんとしては、これでも悪くはないんだけど、特産とするには特徴が足りないんだ。何か、これという特徴がないと、わざわざ買う理由がないだろう?」


 アーシュさんは、穀倉領の特産品となるような石けんを開発していた。ならばちょうど良い。


「アーシュさん、わたし考えたんだけど、米糠を入れたらどうかなぁ」

「米糠?」


 アーシュさんとザルトが怪訝そうに聞いてくる。ザルトは何も言わないけど、表情が「また糠か……」と言っている。でも、わたしには分かる。糠は絶対肌にいいはずだ。

 わたしは、糠漬けとは別に持って来ていた糠の袋を、トンとテーブルに置いた。


「そう、米糠。わたしね、糠床作り始めてから一度もクリーム使ってないの」

「は?一度も?」


 ザルトが驚いている。当然だ。お皿洗いは子どもの家事手伝いの代表格だ。洗濯ほどではないが、石けんを使うのでだんだん手が荒れて痛くなってくる。子どもから嫌われるお手伝いの代表格でもある。しかも、わたしは洗濯も自分でやっている。手が荒れないなんてあり得ないのだ。


「女の人って、肌がキレイになりたいものでしょう?米糠を入れて、これを使うとお肌がつるつるになるよって言えば、わざわざ買うんじゃない?」

「へぇ、糠の成分に何かあるってことかい?それはすごく興味深いね……」


 アーシュさんの目が光っている。いつものキラリではなくギラギラって感じだ。何かが職人魂を揺さぶっているのだろうか。


「庄屋さんの奥さんも、いつも手がキレイだなって思ってたんだよね。きっとこのせいだよ」


 アーシュさんが、袋から糠を少し取り出して、じっと見る。指先でつぶして見たり、臭いを嗅いだりしている。


「甘い匂いがするね。発酵してるのかな、ちょっと温かい……」


 アーシュさんがぶつぶつ呟いていると、ドアがトントンと叩かれた。セインさんだ。


「アーシュ様、少しよろしいですか?」

「うん?何?あ、二人はちょっと休憩してて」


 アーシュさんが軽い口調で言って、ドアの外に出る。わたしたちには聞かれちゃいけないお話のようだ。

 セインさんが出してくれたお茶とお菓子を食べながらしばらくして待っていると、アーシュさんが申し訳なさそうに戻ってきた。


「ごめん、二人とも。今日はちょっと用事ができちゃったんだ。今日はこれでお終いにさせてもらえる?」


 わたしたちはアーシュさんに招いてもらっている身だ。残念だが仕方がない。


「さっきの米糠はもらっていい?ちょっと僕の方でもいろいろ試してみたいんだ」

「いいよ。足りなければまた持ってくるよ」

「ありがとう。……ハァ、残念だな。研究、やりたかったよ……」


 珍しく、アーシュさんが気の乗らない口調で言う。目の前におもしろいものがあるのに、他のことをしなければならないのは、辛い。わたしにもその気持ちはとてもよく分かる。


「いや、お前は欲望に忠実にやりたいこと続けるだろ……」


 ザルトが余計なことを言う。たしかにわたしは途中で止めることなんて滅多にない。だが、だからこそ止めたくない気持ちが分かるのだ。


「そんなに大事なご用なの?」

「うん。ちょっと大事なお客さんが来てるんだ。しばらく来ないと思ってたんだけどね。ごめんね」


 アーシュさんがしょんぼりと言う。




 アーシュさんに送ってもらってお店に戻ったところで、セインさんが慌てたようにやって来て、小声で話しかけてきた。


「申し訳ありません、アーシュ様。すぐに出られるそうです」

「えっ!?あー……じゃあ、ごめん。アキちゃん、ザルトくん。僕もう行かなきゃ。次は都の日だね。楽しみにしてるよ」


 アーシュさんとセインさんはバタバタと廊下を戻って行った。あの二人があんな風に慌てているところなんて初めてみた。


 なんとなく二人でぼんやりと見送っていると、廊下の奥へ向かっていたはずのセインさんがすぐに引き返してきた。後ろにお客様を連れているようだ。早い。アーシュさんも一緒かな?


 わたしとザルトは何となく、薬棚に隠れるように体をずらす。


「なんで隠れるんだよ、アキ」

「え?ザルトが隠れるならわたしも隠れた方がいいかなと思って」


 小声のザルトと普通声のわたしが棚の隅で話していると、アーシュさんとセインさんがお客様を連れて横の扉から入ってきた。背が高い。そして若い。ザルトよりは年上だろうが、まだ成人するかしないかくらいだろう。だが、ザルトがセインさんの方くらいの身長なのに対して、そのお客様はセインさんより拳一つ分くらいの大きい。ザルトがあと2~3年経ったとして、あんなに伸びる気がしない。


 ……領主様の関係者かな。


 歩いているだけで目を引く品のある所作は、さすがアーシュさんが慌てて出迎えに行くだけはある。

 王都のお城で、ああいう感じの人を何度か見たことがある。金色の髪のとてもキレイな人だ。


 …………すっごくキレイ、なんだけど……。


 お兄さんなのかお姉さんなのかよくわからない。服装は何の飾りもない白いシャツに濃い灰色のズボンだが、体つきが細いので、男物の服を着た女の人かもしれない。


 わたしが、男なのか女なのかと首を傾げて考えていると、ふと、お客様がわたしたちの方を見た。


 ほんの一瞬。


 チラリと目を向けられただけだったが、目が合った。

 紫の、宝石みたいな目だった。温度があるように見えない。


 ……なんか、人間じゃないみたいだ。


 キレイ過ぎてちょっと怖い。


 アーシュさんもキレイな顔立ちをしていると思う。濃い茶色の髪に緑がかった薄い灰色の目で、いかにも上品そうな所作もあって、市場にいると違和感があった。でも、人間だなと思う。何が違うんだろう?


 わたしはお客様をじっと見つめたが、何が違うのか、結局わからなかった。


 ……目が3つあるとかだったら、ああ、人間じゃないんだなってすぐ分かるのにね。




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