水骨車

 今日は輪番の日だ。

 わたしはお土産の糠漬けを持って、ダンと家を出た。今日用意した糠漬けは、豚肉と卵とじゃがいもだ。どれも庄屋さんの家では見たことがない。喜んでもらえるといいけど。


「ん?アキちゃん、それ何?」


 いつも通り避難所の空き箱に腰掛けてぼんやりしていると、警邏のお兄さんが声をかけてきた。


「糠漬けだよ。庄屋さんの奥さんにあげようと思って」

「庄屋さんとこなら、自分で漬けたものがあるだろう?」


 警邏のお兄さんが、仕方がないなという風に笑う。でも、漬けるものが違えばそれはもう別物だ。いつもと違う糠漬けは、庄屋さんにも喜んでもらえると思う。


「ちょっと違うの漬けたの。食べる?」


 わたしは卵の糠漬けを一つ出した。卵は4つしかなかったんだけど、このお兄さんには以前ブランを追加でもらう時にお世話になったので特別だ。


「お、ありがとう」


 お兄さんは、奥に行って糠漬けを切って持ってきた。他の人にも分けられるように小さめに切られている。思った通り、いい人だ。


「お、なんだそれ?」

「糠漬けだって」

「は?卵だろ?」


 切り分けられた卵に釣られるように、奥から他の警邏のお兄さんやおじさんがわらわら出てきた。みんなヒマなのかな?


「なんか、色がちょっとだけ変わってる気がするよなぁ」

「どんな味だ?普通に糠漬けか?」

「いや、糠漬けっつっても野菜じゃないんだぜ?味、違うだろ?」


 警邏のお兄さんやおじさんが糠漬けを囲んでああでもないこうでもないと雑談を交わしている。楽しそうだが、とりあえず食べてみればいいんじゃないかと思う。


「じゃあ、とりあえず、お前がもらったんだからお前、食べてみろよ」


 警邏のお兄さんが代表で食べることになったようだ。話の流れが大変失礼だ。


「あ、美味い」


 一つ摘まんで口に入れたお兄さんが、目をぱちくりさせながら驚いたように言う。


 ……そうでしょう、そうでしょう。


 当然である。ゾーラさんのお店では、豚肉に並ぶ、人気の裏メニューだ。


「へぇ、ホントだ。美味いな」

「なんかもっちりしてるな」

「お、ちょっと締まったかんじか?」


 小さく切ったので、黄身が多い人や白身ばかりの人もいて、感想はバラバラだ。でも全体的に気に入ってもらえたみたい。


「アキちゃん、これ、もっともらえる?」


 お兄さんが聞いてきた。いい人仲間なので気前よくあげたいところだが、卵はかさばるので多く漬けるのは無理だ。


「うーん……これ以上たくさん漬けるのは無理なんだよねぇ……。卵もなかなか手に入らないし」

「そうか……。奥さんにも食べさせてみたかったんだけどね。お酒に合うと思うから絶対喜ぶと思うんだよな」

「お、新婚さんだねぇ。仲が良くてうらやましいよ」


 周囲が冷やかしている。そうか、お兄さんは新婚さんだったか。


「じゃあ、新婚のお祝いに、今度別の糠漬けで良ければ持ってくるよ」

「ホントかい?ありがとう!楽しみにしてるよ」


 喜んでくれればわたしも嬉しい。


 ……何にしようかな。次の市で探してみよう。


「それにしても、糠漬けって面倒なんだろう?農家でしか出ないと思ってたよ」

「そうそう。オレ、子どものころ輪番で食べて美味かったからさ、母さんに作ってって言ったら、あれは農家の人にしかできないんだって言われたぜ」

「領都だと働くっつったら外だもんなぁ。毎日家にいないとなかなか手が回んねぇんだとさ」


 なるほど。たしかに、農家の女将さんは基本的に家の中で仕事をしている。ちょっと合間に糠床の手入れなどもやり易いだろう。領都では、女の人も工房だったりお店だったりと外で働く。家に誰もいなくなることも多いので、手間がかかる糠床の世話は難しいだろう。


「わたしは糠床の温度をあんまり気にしなくていいからなぁ。しょっちゅう気にしなきゃいけないのは大変かもね」


 わたしは糠床の壺を入れている樽を思い出しながら呟いた。神呪がないって不便だ。


「水の温度を、沸かしたお湯じゃなくてもっと簡単に何とかできればいいんだけど……」

「水の温度?」

「なんの水だ?」

「さぁ……」


 警邏の人たちと話していると、ザルトがやって来た。もう時間だ。わたしはお手洗いを済ませて避難所を出ながら、ふと思い立って振り返った。


「あ、わたしの糠漬け、ゾーラさんのお店で出してるよ。なんの糠漬けかは日によって違うんだけど、食べたければゾーラの口って食事処に行って裏メニューをお願いすれば、出してくれるんじゃないかなぁ?」


 わたしはそのまま、ザルトと共に馬動車に乗った。ゾーラさんのお店は人気店だ。みんな、入れればいいんだけど……。






 今日の作業は田んぼの水入れだそうだ。水はもう入ってると思うんだけど。


「これから稲がどんどん大きくなるからね。水が大量に必要になるんだ」


 庄屋さんの息子さんが、畦道沿いの水路に移動しながら教えてくれる。 


 広い田んぼの間を流れている小川から、桶で水を汲んで田んぼに入れるのだそうだ。想像するだけで力仕事だと分かる。わたしにもできることがあるんだろうか。


「川から水を汲み上げるのは、あの動具を使うんだよ」


 指さされた方を見ると、川になんだか長い動具が設置されている。

 

 長い板に羽が生えたように板が組まれたものが、背中合わせになるように幅を開けて組み合わさっている。その長い動具の下の部分には、同じ長さの樋がついていて、そっち側の羽板達は、樋の中に入り込んでいる。

 近づいてよく見ると、長い板も、羽板の部分で切れ目がある。繋がって見えるから長く見えるだけだ。横に歯車がついているので、この長い部分は樋の中を通ってぐるぐる回るのだと思う。横に3箇所、同じ神呪が描かれている。

 そんな動具が、水路に斜めに置かれているのだが、とにかく大きい。大人二人分くらいの長さがあるんじゃないだろうか。


「水骨車というんだ。ここが神呪だよ。この作動が子どもの役目だね」


 庄屋さんの息子さんは、神呪が描かれている3箇所を指した。


 周りを見回すと、同じ機械が他に何台かあって、同じように水路に斜めに突っ込まれている。

 大人より大きな動具が斜めに、何台も水路に突っ込んでいる様子はちょっと不気味だ。


「アキ、こっち」


 ザルトに呼ばれて神呪に触れる。一番背の低いわたしは、一番水路に近い神呪だ。動具が斜めなので、一番先端の神呪は結構地面から離れている。わたしには無理だ。


 人の体には、生きている限り、この世界を覆っている神呪と同じ力が流れている。動具に使われる神呪には、それを自動的に引き出す作用がある。

 普段、この力は意識されていない。神呪に触れれば勝手に力が流れるのだが、神呪が描かれている部分には、薄い皮のカバーがかかっているので、むやみに触れることはないからだ。訓練すればある程度コントロールできるようになるけれど、どれくらいの訓練が必要かは人によって違う。結構難しいのでできない人が多いし、できないものとして動具が作られている。


「この動具、ちょっと覆いが取れてしまっているんだ。間違って神呪に触れないように気を付けて」


 庄屋さんの息子さんが注意を促している。気を付けなければ。


 ……間違って触っちゃった時に、無意識にコントロールしてしまうと怪しまれちゃうかも。


「おいアキ。もう動かしていいぞ……ってなんでそんなにカクカクしてんだよ」

「ちょっといろいろ気を付けなきゃいけないことが多いんだよ」


 わたしはごく普通の動きで神呪に触れ、ごく自然に力を流した。


 全ての神呪から力が流れ始めると、水骨車が動き出す。


「うわーっ!すごい、すごい、すごい!水が上がってくる、上がってくる!」


 羽の板がついている部分がゆっくりと回り出すと、羽板が水に入っていき、下に付いている樋に沿って上がりながら、樋に水を掻き込む。樋に上がった水が戻る前に、次の羽板が次の水を樋に掻き上げる。そうやって、いくつもの羽板がぐるぐる回って繰り返し、徐々に水が上がってくるのがおもしろい。一番上までくると、水骨車の先端から水が注ぎ出る。


「よし、運ぶぞ」


 わたしたちの足元にたくさん置かれた桶を一つ取って、水を汲んだ男の人が田んぼの方に向かい、そこに立っていた人に桶を渡して戻ってくる。また、足元の桶を取って水を汲み、次の人に渡す。

 渡された人を見ていると、その人も少し先に立っていた人に桶を渡して戻ってくる。そして、また同じように、渡された水を次の人に渡して戻る。

 改めて見回してみると、そうして、水骨車から田んぼまでの間に点々と大人たちが並んで一直線になっていた。なるほど、一人一人が田んぼと水路を往復するより遥かに楽そうだ。


 遠くの方を見ると、なんだかそれぞれ同じ場所を行ったり来たりしていて、蟻の行列を思い出した。ちょっとおもしろい。


 ……はぁ。これで空が青かったらなぁ……。


 広い広い田んぼの景色を見ると何故か、空が重たい色なのがとてももったいなく思える。


「すごいね。あの仕組み、誰が考えたの?」

「ああ、水骨車かい?よく分からないが、修理なんかは王都の職人に頼むから、王都の職人だろうね」


 領都の職人では直せないのだろうか。でも、わたしが聞きたいのはそれじゃない。


「ううん。あの、みんなで並んで水を運ぶやり方」

「へ?ああ、あれは……誰だろうね?もうあのやり方で何年かになるよ」


 庄屋さんの息子さんは、そこにはあまり興味がなさそうだった。でも何年かってことは、つい最近まで、一人一人が小川と田んぼをえっちらおっちら桶を運んでいたのだろう。それはとても効率が悪いと思う。


 ……この仕組みを考えた人は、もっと感謝されてもいいんじゃないだろうか。








「あ、アキちゃん。さっきは糠漬けありがとう。はい、これ」


 お風呂から上がって馬動車を待っていると、庄屋さんの奥さんがブランを持って来てくれた。


「あ、ブランだ。いつもありがとう」

「こちらこそ、美味しい糠漬けをありがとう。残りのブランはダンさんに預けるわね」


 帰りの馬動車は子どもが一番先だ。できることが少ないため、子どもが一番に田んぼから戻り、先にお風呂に入る。次が女の人で、最後が男の人だ。

 庄屋さんのお家では、お風呂に浴槽があるので嬉しい。領都の狭い家では、桶にお湯を入れて体を拭くくらいしかできない。領都には何件か湯屋があるが、一般的に子どもは利用しない。汗をかいたりすごく体が汚れたりする、工房の職人さんが入るのだ。王都でもそれは同じだった。


「お昼の用意してるときに少し食べさせてもらったんだけど、ホントに美味しかったわ。卵なんて、糠漬けにできるのねぇ」

「うん。美味しいよね。でも、卵は卵だからあんまり置いとけないんだけどね」


 漬物ではあるが、卵は野菜と違って傷みやすい。それは生でも漬けた後でも同じだ。


「前に、ブランをいっぱい欲しいっていってたでしょう?もしかして、たくさん漬けてるの?」

「うん。今、糠床入れた壺が8個あるよ」


 ゾーラさんのお店用に6つ。うち用に1つ。お魚用に1つだ。最初1つから始めたのに、ずいぶん増えたものだ。


「8つ!?そんなに管理できる?」

「温度の調節が必要ないから、混ぜたり塩足したりするだけなの。そんなに大変じゃないよ」

「ああ、ちょうどいい季節だものね。でも、これから少し暑くなってくるから気を付けてね。暑くなり過ぎてもダメだから」

「大丈夫。温度はずっと同じになるようにしてるから」


 わたしは、庄屋さんの奥さんから糠漬けをもらって馬動車に乗り込んだ。




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