薬剤師さんの誘惑

 荒ぶるダンをなだめて食事を頼み、途中で挨拶に来たゾーラさんに、目立ちたくないのでメニュー表から名前を消してもらえるようお願いして、家に帰った。食事は美味しかった。とても美味しかったのだ。ちょっと心が動揺してしまっていたせいで、料理の詳細が記憶に残っていないだけだ。


「お前、黙って立ってれば普通の子どもにしか見えないのに、なんでこんなに目立ってんだよ……」


 ダンが項垂れて疲れたように呟いたが、わたしが目立とうとしたわけではない。わたしが目立つようなことを周りの人がやらかしてしまっただけだ。わたしは何もしていない。


「お前はもう少し、自分の言動を第三者の目線で振り返る練習をしろ」


 どうすればいいのかよくわからないが、とりあえず、一つ一つの言動を第三者に確認すれば良いだろうか。


「わかった。薬剤店に行くときはザルトと一緒に行くから、ザルトに一つ一つ確認するようにするよ」

「……オレはザルトに同情するよ」


 ……そうか。たしかにザルトは大変かもしれない。今度糠漬けをいっぱいあげよう。あ、あめ玉の方がいいかな?






 ザルトとアーシュさんの都合が合う日のは、それから10日後のことだった。アーシュさんは随分忙しい人らしい。もうすぐ次の市が立つ。

 お魚の行商さんは次の次の市にしか来ないけど、壺は買えるだろうし、糠漬けにできそうな珍しいものも並ぶかもしれないので、それまでに糠床を整理したい。あの白い石の準備は間に合うだろうか。


「こんにちはー」


 今日はアーシュさんからの手紙にあった日だ。わたしはちょっとワクワクしながらガルス薬剤店にやって来た。神呪の話題には触れない約束だけど、いろいろ考えて試してまた考えてって作業はやっぱり楽しいと思う。ちなみにザルトは今日は普段着を着ている。別に作業着でいいと思うんだけどね。


「はい、こんにちは。アキさん、ザルトさん」


 前回アーシュさんを呼んできてくれた店員さんが、すぐに気づいて返事をしてくれる。他の店員さんは薬棚を触っていたり、他のお客さんとお話ししているが、この店員さんは仕事をしないのだろうか。


「アーシュ様に伺っております。申し遅れましたが、私はガルス薬剤店の番頭を務めております、セインと申します。どうぞよろしくお願いします」


 ……番頭さんって、偉い人だよね。


 わたしが普段買い物するようなお店は小さいので、店主一人か、店員がいても一人か二人くらいだ。あとは、子どもが店番していたりとか。番頭さんなんて役割があるのは大店だけだ。そんな大店の、番頭さんなんて役割の人が、アーシュ様って、様付で呼んだ。


「番頭さんって、お店の中でも偉い人だよね?」

「一応、店内を仕切らせて頂いております」

「じゃあ、アーシュさんはもっと偉いの?一番偉いの?」

「お、おい、アキ……」

「いえ、アーシュ様は店主の親戚筋に当たります」


 ……なるほど。一番偉い人の身内なのか。


「番頭さんのお仕事って、他の店員さんと違うの?」


 次々と質問をぶつけるわたしにザルトは焦っているが、疑問に思ったことは疑問に思った時に聞かなければ、タイミングを失って聞けなかったときにもやもやするでははいか。


「そうですね。では、研究室に向かいながらお話ししましょうか」


 セインさんは、店内をチラリと見回して言った。高価な薬なんて買いそうもない子どもが二人もいたのでは、他のお客さんに不審に思われてしまうのだろう。

 

 店内には、ヒラヒラした装飾の多いスカートを履いた女の人や、キラキラしたボタン付きのシャツを着た王都風の服装の男の人が何人かいて、みんな従者を連れている。いかにもお金持ちだ。わたしが知る限り、役人はあまり装飾の多い服装はしないので、あの人たちは商家の大店の主とかだろうか。

 そんなお客さんの相手をしている店員さんも、きちんとした服装で背筋がピンとして、しっかり教育されているというのが分かる。さすが大店だ。お金持ちの相手はお金持ちにしかできないんだろうと思う。そして、お金持ちのお客さんほど警戒心が強いのだろう。信用は大事だ。


 わたしたちは、セインさんについて、薬棚の横の扉をくぐった。




「私が番頭として頂いているお仕事は、店を回すこと全体ですよ」


 セインさんは、約束通り歩きながら話してくれる。


「店員の配置や在庫の確認。売上げの確認やお客様のご要望を把握することもですね」

「え?じゃあ、他の店員さんは何をするの?」

「一つ一つの細かい部分を店員が担っていますよ。私の仕事はその全てを把握して、調整したり店の売上げに繋げていくことです」

「そっか、宰相とか副所長みたいなものかな……?」

「……宰相なんて言葉、よくご存じですね」


 わたしの呟きに、セインさんがビックリしたように立ち止まって見下ろしてくる。


 ……いや、普通知ってるよね。王様の次に偉い人だよ?


「ゴホン。アキは変わり者だからな。生活に必要ないことばっかり覚えてるんだ」


 ザルトがわざとらしい咳ばらいでわたしの注意を引いた。そうか。宰相を知ってるのは普通じゃないのか。たしかに、ここ穀倉領で一番偉い人と言えば領主様だ。それより上はあまり関係ないのだろう。

 わたしは今、第三者の目で見た自分を一つ確認した。今度からは宰相という言葉を言わないように気を付けよう。


「そうですか。ですが、先日頂いた糠漬けは大変美味しかったですよ。ちゃんと生活もできていて偉いですね」


 セインさんが優しい口調で褒めてくれる。でもわたしは知っている。商売をしている人はだいたいみんな、こんな風にさらっと褒める言葉を口にするのだ。だが、そこには特に深い思い入れはないことが多い。わたしはそれを市場で学んだ。


 わたしがセインさんの誉め言葉を真に受けないよう心を鬼にしていると、廊下の向こうからアーシュさんがやって来た。


「やあ、アキちゃん、ザルトくん、いらっしゃい」


 アーシュさんは物腰がやわらかい。工房の職人は荒っぽい人が多いので、なんだか新鮮に感じる。そういえば、研究所の神呪師も割と丁寧に話す人が多かった気がする。


 ……ダンって研究者としては変わり者だったんだろうな。


「焼き石灰が欲しいんだよね?」


 アーシュさんが、研究室のドアを開けながら確認してきた。


「焼き石灰?」

「石灰岩を焼いてできたものだよ。焼き石灰に水をかけると発熱する。その性質を利用したいんだろう?」

「あ、そうそう。発熱するものが欲しいの」

「でも、アキちゃん。あれ、うちの商品の材料なんだけどね?」


 アーシュさんが、問いかけるようにちょっと首を傾げている。お金を払えってことかな?


「わたし、子どもだからお金は持ってないよ?お米とか糠漬けとかと交換ならできるけど……」

「うん。だからね。アキちゃんがお金持ってないんなら、僕の仕事を手伝えばいいと思わない?僕が君に払うはずのお米を、お米じゃなくて焼き石灰にするんだ」


 隣でザルトが口をポカーンと開けている。わたしもビックリだ。


「……すごいよね、ザルト。わたし、7歳なのにお仕事できちゃうよ?」

「いや、アキ、それは……」

「この前来た時に、いろいろ提案してくれただろう?どうせなら、あれ、やってみない?」


 アーシュさんのお誘いはとても魅力的だ。自分が考えたことが本物になるなんて、おもしろい。


「でも、アーシュさんお仕事は?」


 アーシュさんは、薬剤師のはずだ。やらなければならない仕事があるのではないだろうか。


「大丈夫。僕は普段王都に住んでいて、今、ちょっとこの穀倉領に用事できている間、泊めてもらってるだけなんだ。だから、逆に言えば毎日開発するのは無理なんだけどね。お世話になったお礼に、穀倉領ブランドの石けんを開発するくらいの時間は取れると思うんだけど」


 ……なるほど。お礼は大事だよね。


「おい、アキ……」

「ザルト、これはアーシュさんが人としての礼節を全うできるかどうかっていう大事な話なんだよ」

「あれ、そんな話だっけ……?」


 真顔で熱弁するわたしにアーシュさんが首を傾げているが、そういう話のはずだ。


「しかも、ザルト、あの大きな窯を見たでしょう?あんなので作られる焼き石灰だよ?わたしが持ってる米とか糠漬けで買えると思う?」

「うー……」


 ザルトが頭を抱えて悶えている。わたしは焼き石灰泥棒にはなりたくないのだ。


「ザルトくんも一緒に来るんだろう?王都土産のお菓子を二人分用意しておくよ」


 アーシュさんが輝く笑顔で提案する。セインさんは後ろで黙って微笑んでいる。なんだか二人セットで見るとちょっと胡散臭い。


「でも……」

「ザルト、大丈夫。石けんを作るだけなら、わたし、神呪使わないから」


 ザルトが一番気にするのはそこのはずだ。わたしがダンと改めてしっかり約束させられたところを見ている。わたしの小声の主張に、ザルトが悩むように眉間に皺を寄せる。


「大丈夫だよ、ザルトくん。そんなに気にするほど何日も時間が取れるわけじゃないだろう?僕と君の都合が合わなければ来れないんだからさ。ほんの数回だよ」

「そうだけど……」


 もう一押しだと思う。ザルトの揺れる視線に、グラグラと揺れるその心が見えるようだ。


「数回ですか。では、王都のショルシーナ菓子店のチーズケーキやマドレーヌだけでは足りませんね。領主様の好物と言われるツェレン菓子店のどらやきなどはいかがでしょう?ああ、あそこは抹茶大福も美味しいですね」

「…………」


 微笑むセインさんに、ザルトが目を見開いて、生唾を飲んでいる。

 そんなザルトにセインさんが笑みを深める。もう完全に餌付けだ。


「そうそう、今日のお茶請けにはそのツェレン菓子店の花餅をご用意させていただきました」


 ザルトは落ちた。セインさんの、その、特に大きいというわけでもないごく普通の言葉に。


 食べ盛りの少年の前に、聞いたこともないような洒落た名前の、いかにも高価そうなお菓子の名前を、

ただ並べただけだった。


 セインさんはさすがだ。



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