怒られました

「お前は、アホか?」


 石けん工房見学会の翌日、神呪師組合へは行かず、真っ直ぐ仕事から帰ってきたダンの第一声が、これだ。意味がわからない。


「うーん……アホかどうかはわからけど、頭はいい方だと思う」

「頭がいいアホなんだな」

「ダン、どうしたの?何かあったの?フラれたとか?工房のご飯が美味しくなかった?あ!まさかのクビになっちゃった!?」


 ……それはマズイ。糠漬けで得られる報酬は、今のところ米2袋分だけだ。ダンの分の食事まで回らない。


「んなわけあるか!オレじゃねぇ、お前だ、お前!」


 ダンが指を突き付けてくるが、はて?


「わたし、一昨日ゾーラさんのお店で売り上げの計算手伝って、昨日アーシュさんって薬剤師さんといっぱいお話して、いろんな人に、この子頭いいなぁ~って思われたばっかりのはずなんだけど……」


 わたしは首を傾げて、近況を振り返る。アホの心当たりがない。


「全部だ、全部!加えてお前、医者に神呪で何かしただろう!」


 ……あれ、バレてる。どうしてバレたんだろう?ザルトとミルレとおじさんにはダンに言わないようにちゃんとお願いしといたのに。


「あの医者から神呪具の確認の依頼が出てたからって、組合から人をやったら、もう直してもらったと言われたそうだ。神呪師に育てられると子どもでも神呪が描けるようになるのかい?とか聞かれたそうだぞ」


 ……なるほど。ダンに言わなくても他の人から伝わっちゃうのか。口留めって難しいな。


「しかも昨日は、石けん工房で随分と高説垂れてきたらしいな」

「え?ザルトってそんなにおしゃべり好きだったっけ?」

「お前がちゃんと報告してるのか気になったんだとさ」

「報告かぁ……してないね」

「聞いてねぇな」


 だって、日々のそんな些細な出来事まで聞きたがるなんて思わなかったのだ。


「お前の場合は些細が些細じゃねぇんだよ。今度から全部きちんと言え」

「わかった」

「いや、まずは言わなきゃいけないことばっかすんな」


 ダンが難しい要求をしてきた。言わなきゃいけない基準がわからない。


「んん~?例えば、宿屋に糠漬けをお裾分けしたら、もっと漬けてきてって野菜をたくさんもらったよ、とかは?」

「ああ、あの宿か。あそこには世話になってるからな」


 ……いつものことだから良いらしい。


「宿屋の女将さんが食事処の女将さんに糠漬けお裾分けしたら、食事処からももっと漬けてって言われて、お米をもらえたことは?」

「まぁ……子どもの手伝いだと思えばな」


 ……大したことじゃないので良いらしい。


「魚屋のおじさんに糠漬けをお裾分けしたらただでお魚もらえたよ、とかは?」

「まぁ……おまけとか、よくあることだな」


 ……特別なことではないので良いらしい。


「魚屋のおじさんにお魚の糠漬けを持ってったら、大喜びされて、いろんなお魚もらえたこととかは?」

「……最近お前が妙に生臭かったのはそのせいか」


 …………なるほど。臭いか。気を付けないと。


「じゃあ、食事処の女将さんが、わたしの糠漬けを『アキちゃんの糠漬け』って名前で正式に裏メニューにしちゃったことは?」

「漬物ばっかだな!つか、目立つなって言っただろ!」


 別に目立ってはいない。裏メニューに名前が入ったとはいえ、所詮裏メニューだ。表に出ないので目立つはずがない。


「王都に知られるとマズいんでしょ?領都で糠漬け漬けてたって、研究所とは結び付かないよ」

「漬物だけならな。だがお前は神呪師であるオレと一緒に暮らしてる。しかも本人が神呪に詳しいとなれば、どこから何が伝わるかわからねぇ。言っとくが、お前の変人ぶりは今に始まったことじゃねぇんだぞ。研究所でお前と接触したやつは、変な子どもと聞けば真っ先にお前が思い浮かぶくらいには、お前のことを変人認定してるはずだ」


 ……みんなまとめて失礼だ。もちろんダンも。


「特に今は、神呪師組合と王都の研究所との連絡が増えてる。世間話程度にでもお前の話が出ると、気付くやつが出て来るかもしれねぇ」


 ダンは、わたしの生存が王都の研究所に知られることを恐れているようだ。だが、それが何故なのか、知られたらどうなるのか、わたしは教えてもらっていない。教えてもらっておいた方がいざという時に対処しやすいだろうとは思うのだが、わたしはダンに詳しいことを聞けないでいる。


 ダンは、わたしが子どもだからという理由で必要なことを隠したりしない。わたしが、何人もいた研究所の神呪師の中で最も信用していたのがダンだった。そのダンが言わないのだから、言わない方がいいと判断しているのだろう。無理やり聞き出して今の生活が壊れてしまう方が怖い。


「わかった。神呪は使わないように気を付ける。アキちゃんの糠漬けはいい?」

「……ハァ。まぁ、生活してる以上は、ある程度名前が知られるのは……しょうがねぇな」


 ダンは深くため息をついて、頷いた。ダンを困らせたいわけではないのだ。神呪の話題に触れないように気を付けながら、しばらくはおとなしくしていよう。






 わたしは大人しく糠漬けを作っていようと決心した。だが、糠漬けに関しては、石けん工房で使うあの白い石を焼いたものを、是非分けて欲しいのだ。あれがあれば、神呪がなくとも糠床の温度が上げられる。夕飯を前にして、わたしはダンに相談した。


「ゾーラさんから、糠漬けをもっと増やせないかって相談されたんだよ。糠床がいっぱいになると管理が大変になるでしょう?神呪を使わないためにも、あの白い石を焼いたやつが欲しいの」

「だが、その薬剤師の前で神呪がどうこう言っちまったんだろう?」

「アーシュさんは神呪師じゃないから大丈夫だよ。適量がどれくらいか分かれば他の薬屋さんにもらうようにしてもいいし」


 アーシュさんは、かなり高温になると言っていた。さすがに、家で実験は危険だろう。壺を温めるのにどれくらいの量が適量かだけでも知りたい。他の薬剤店に行ってもいいのだが、あれだけの規模の研究室を持っている薬剤店はそれほどない。しかも、実験をお願いできる知り合いもいない。


「……ハァ。しょうがねぇな、だが絶対にザルトを連れてけよ。で、行く前と行った後にちゃんとオレに報告しろ」

「はーい」

「ったく、返事はいいんだよな、返事は」


 ぶつぶつ言いながらダンが魚の糠漬けを口に放り込む。3日前にお魚屋さんからただでもらって漬けたお魚だ。糠漬けにしたものをじっくり焼いたものだが、火加減がものすごく難しくて目も手も離せなかった。忙しい主婦には向かないかもしれない。


「お、なんだこれ、美味いな」

「でしょ?これ、今日のお昼に魚屋さんに持って行ったらすっごく喜ばれてね、代わりに魚の干物をくれたんだよ」


 市場のおじさんも絶賛の出来だ。作り方を教えたら大喜びで、売れ残ってた干物をいっぱいくれた。持って帰るのも大変だからちょうど良かったんだって。わたしも大喜びだ。


「たしか、卵ももらったって言ってたよな」

「うん。あれ、食事処で大反響だったんだって。お礼に余分にくれたの」

「豚肉もそんなこと言ってなかったか?」

「そうそう、あれは裏メニューの中でも特に古いお馴染みさん限定で出してるんだよ」

「…………お前の糠床、すげぇな」


 ダンが驚いた顔で見てくる。糠床は最強だ。


「それにしても、その食事処にはずいぶん世話になってるみたいだな」

「うん。まかないも食べさせてもらってるしね」


 計算のお手伝いとかはしているが、そもそもゾーラさんがやっていたことなので、どうしても手が必要というわけでもないだろう。わたしがお世話になっているという事実に変わりはない。


「明日にでも食べに行って挨拶しとくか」


 ダンはなんだかんだ言って、真面目な常識人だ。

 明日の夕飯は、保護者同伴での外食が決定した。






 『ゾーラの口』は、後の2の鐘で一旦閉まり、後の3の鐘と共にもう一度開店する。今日は後の1の鐘の前まで境光が出なかったので、後の2の鐘でお店が閉まった隙に、糠漬けの納品に向かった。

 

 ゾーラさんのお店は、領都の北側にある。領都に来る旅人の中では王都からの者が圧倒的に多いので、北側に宿屋が多い。宿に泊まるお客さんが利用することが多いので、北側に食事処が多くなるのだ。わたしは、タトラさんに糠漬けを渡した後、宿屋の女将さんにお裾分けをしに行き、そのまま中央広場でダンを待った。家からゾーラさんのお店まで往復すると、わたしの足だと鐘一つ分くらいかかる。朝起きた時に境光がなかったので、ダンと相談して、後の2の鐘までに境光が出れば、広場で待ち合わせてお店に行こうということにしたのだ。


「待たせたな」


 広場の周りを囲む縁石に腰かけてぼんやりしていたら、ダンがやって来た。さすがに着替えてきたようだ。だが無精ひげは剃っていない。


「もうダンはそのままおひげ伸ばしちゃったら?」

「伸ばしたら伸ばしたで手入れが必要なんだよ。めんどくせぇ。時々剃るくらいが丁度いいんだ」


 何に丁度良いのかよくわからないが、ダンなりに考えた結果らしい。神呪師って信じてもらえるだろうか。


 ゾーラさんのお店は人気店だった。カウンター席がいくつか残っている以外、テーブル席は満席だ。


「あら、アキちゃん。いらっしゃい」


 わたしを見て目を丸くしたタトラさんだったが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻って迎えてくれた。


「今日はダンと一緒に来たの。わたしがいつもお世話になってるからって」

「どうも、初めまして。神呪師のダンといいます。アキがいつもお世話になっているようで、ありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ。アキちゃんにはホント、お世話になってるんですよ。カウンター席で構いませんか?」


 笑顔で丁寧に挨拶するダンが不信感を持たれなかったようで何よりだ。タトラさんも安心したような笑顔で案内してくれる。時々心配してくれてたからね。ちゃんと紹介できて良かった。


 カウンター席に着いて、メニューが書かれた石板を見る。固定メニューと今日のメニューが別々の石板に書かれているが、ゾーラさんのお店には固定のメニューはあまりないようで、書いてあるのは数行だけだった。


 昨日まで中央広場で市が立っていたので、他所の領から運ばれてきた野菜や肉が豊富らしい。今日のメニューの石板には聞いたことのない料理名が並んでいる。ちなみに、わたしは料理に詳しくない。王都にいた頃はいろんな食事が出ていたのだが、あまり興味がなかったので覚えていないのだ。今食べても、「あれ、何か食べたことあるかも」くらいのものだ。他所の領の料理など、当然名前も味も知らない。わたしが普段作るのは創作料理だ。

 固定メニューが書かれた石板は、書かれた文字が一部擦れて消えてしまっている。明日お手伝いの時にちょっと書き直しとこうかな。


 わたしは、何気なく見ていた固定メニューの石板の一番下に比較的きれいに残っている文字を見つけて固まった。


『アキちゃんの糠漬け 

※かわいい女の子が漬けた美味しい糠漬けです。運が良ければ変わり種に当たるかも!?

当店だけの限定販売!』


「…………」


 そっとダンを見ると、ちょうど固定メニューを見つけて頬を引きつらせているところだった。


 ダンがギギギっと音がしそうな仕草でこちらに顔を向ける。こういう時、ダンの顔はいつも同じだ。


 ……こういうの、鬼の形相って言うんだよね。


「…………目立つなって、言っただろうがっ!!!」


 わたしだって、表メニューになったなんて聞いていなかったのだ。完全な濡れ衣である。




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