石けん工房見学会

「石けんを作る工程で一番大変なのがここかなー?」


 アーシュさんは、大きな炉の前に案内してくれた。大人であるアーシュさんより更に大きな四角っぽい炉で、入り口が手前に開くようになっている。


「この中に石灰岩っていう白い石を入れて高温で焼くんだ。結構時間がかかるし、蓋が閉じていても熱が漏れてきて作業場まで暑くなる。ここで作業する職人はみんな汗だくになるんだよ」

「石を焼くの?」

「そう。そして、石を焼いてできたものをこっちに移してに水を加える。これも高温で発熱するんだよ」

「蒸し風呂みたいだね」


 王都にいた時に一度連れていかれたことがある。ドアを開けた瞬間熱気が襲ってきて、結局一歩も入らずに断念した。たしか、熱した石に水をかけて部屋を熱くしていたと思う。


「へぇ、蒸し風呂なんてよく知ってたね。まぁ、あの蒸し風呂とは違って、焼いた石灰石に水を加えて違う性質に変えるんだけどね。その、性質が変わる時に熱が出るんだ」


 ……水を加えると発熱するのか。何かに使えないかな?


「そうしてできたものに、油や灰を煮詰めたものを混ぜる」

「油?油を入れるの?油汚れを取るのに?」

「そうだよ。この3つを混ぜるとね、油の性質が変わるんだ。面白いだろう?」


 アーシュは隣の部屋に案内し、棚を見せてくれた。いろんな色の液体が瓶に詰められて並べてある。


「ここは実験をする部屋なんだけどね。実は油の種類によって、できる石けんの質は結構変わるんだ」

「油の種類?これ、全部油?」


 棚にはずらっと瓶が並んでいる。


「ここにあるだけで30種類。他にも保管場所があるからもっとあるね」

「……油ってどうやってできるの?」

「油は動物や植物であればだいたい何からでも採れるよ。米から採れる油だってある」


 アーシュは、瓶を一つ取り出して見せてくれた。黄色いけど透明ですごくキレイだ。


「米油から作る石けんは臭いがあまり強くなくて、泡が細かいんだ。高級石鹸だね」

「わたしが買っていった石けんは?何の油でできてるの?」

「あれはいろいろ混ぜてあるんだよ。うーん……米に油菜……他にも植物の種から採れる油だね。これと決まってはいないよ。余っているもので作って安く卸してるんだ」


 なるほど。市場価格の秘密はそこなのか。


「動物の油もあるの?」

「あるけど、商品としては使わないよ。臭いがきつすぎるんだ。動物の油が一番安くてたくさん採れるから、南の方に住んでる人たちが自分たちで作っていたりするけどね」


 領都の南側は貧民街だ。わたしは行ったことがないが、子どもが一人でぶらぶら歩いていると誘拐されることもあるらしい。まぁ、それでも領都だからね。むやみやたらに殺されたりとかするわけではないみたいだけど。むしろ王都の方が貧民街の治安は悪かったかもしれない。


「ここでは灰を煮詰めてる」

「灰?なんの灰?」

「主に藁だよ。灰は業者から買ってるんだ」


 灰はたしか肥料になると聞いたことがある。市場で灰が売ってあったので聞いてみたら、農家から藁を買い取って燃やし、その灰をまた農家に売るのだと教えてくれた。


「ふーん。藁の灰と米の油で作った石けんなんて、穀倉領ならではってかんじだね。限定販売とか言えば高く売れるかも?」

「あ、ホントだね。今度王都で売り出してみようかな」


 アーシュさんが乗ってきた。


「それにしても、限定販売なんて言葉、知ってるんだね」


 つい最近覚えたばかりだ。大人と話すと知らないことがいっぱいでおもしろい。


「あと、そっちの廊下から向こうは薬の調合室。粉が飛んだりするから今日はちょっと見せられないけど」


 調合室は見せられないといいながら、それでも空いている部屋を見せてくれた。天秤とかガラスのコップとか小皿とか、研究所や自宅で普通に見ていたものがたくさんある。


 ……懐かしい。


 わたしはそっと目を逸らした。研究室は、もうわたしの手には届かない場所だ。わたしが研究室に入り浸っていた王都の自宅がどうなったのかも、わたしは知らない。


「アキ?」


 ザルトが不思議そうな顔でのぞき込んでくる。


「ん?こっちにはあんまり興味がなかったかな?」


 アーシュがごめんねと言いながら、元の部屋に戻る。わたしはそれを目で追ってちょっと反省した。だって7歳の女の子が突然黙り込んだりしたら、みんなが心配してしまう。王都にいたことが知られたらいけないのに。


 わたしは軽く深呼吸をして、アーシュさんを追いかけた。






「どうぞ」


 客室に案内されたわたしたちに、最初にアーシュさんを呼んできてくれた店員さんがお茶を出してくれた。ずいぶん丁寧な対応だと思う。客室でお茶を出されるなんて王都にいた時以来だ。ザルトなんて初めてなんだろう、カチカチに固まってしまっている。大店ってやっぱりいろいろ違うんだな。


「ありがとう」


 わたしは遠慮なくいただく。お茶は濃い緑色でやや苦みがあるが、一緒に出されたお茶菓子がとても甘くて、口の中でホロホロ溶けて、お茶と混ざり合うと苦甘い。複雑な美味しさだけど、上品で美味しい。これは領都特有のお茶とお菓子なのかな?


「さて、アキちゃん、石けん工房見学会のご感想は?」


 アーシュさんがおどけた口調で聞いてくる。おどけた口調だけど、少し緑味がかった薄灰色の目の奥が光っている気がする。


「すごくおもしろかった!炉の蓋は粘土とかで目張りしないの?。粘土が乾く前に、初めから圧縮の神呪が描かれた小さい粘土板を埋め込んで作動させれば、もっとしっかり蓋が閉じるでしょう?中の温度も上がりやすくなるだろうし、外に熱も漏れにくいんじゃないかな」


 あんな大きな動具を見たのは久しぶりなので、ちょっと興奮してしまう。


「水は、冷却の神呪を描いた入れ物に入れて炉の中に設置できないかな?上手く作動させれば蓋を開けずにそこまでの工程を一気にできるでしょう?目張りしたままできれば手間も暑さも減るんじゃない?」

「なるほど~。あれを一つにか。考えてもみなかったな」


 アーシュさんは顎に手を当てて考え込んでいる。その後ろに立っていた店員さんは、ちょっと目を眇めてわたしを見ている。隣のザルトは、突くとすぐに壊れてしまうお菓子と格闘中だ。職人の給料では、そうそう甘味なんて贅沢品は食べられない。わたしのこういう話に慣れているザルトにとっては、お菓子の方が余程珍しいのだ。


「それより、アーシュさん。あの白い石を焼いたものに水をかけると熱がでるんでしょ?」

「そうだよ。かなりの高温だから危険なんだ」


 でもそれは、逆に言えばそこまで温度を上げられるということだ。


 熱を発生させる神呪は調節が難しいのであまり使われない。下手をすると暴発どころか建物ごと爆発してしまう。研究所である程度は実験しているのだが、一般の工房に公開できる程、精査できていないのだ。わたしももちろん、そう簡単に使わない。


「ほんの少しならどうかな?ぬるいぐらいの温度にできる?」

「うーん……水の量次第かなぁ」

「壺を温めたいの。今は毎晩寝る前に、樽にお湯を張って、その中に壺を入れておくんだけど、水を入れっぱなしにして、時々あの石の粉を入れるだけだとすごく手間が減るでしょう?」


 そうなのだ。糠床を維持するためには温度を維持しなければならない。今のところわたしがやっている方法は、お湯に入れることで温度を上げ、冷却させる神呪で適温を保つ方法だ。だが、これだと毎晩お湯を張るのが結構大変なのだ。


 ……冬場はいいんだけどね。常にかまどに火が入ってるから。


「なるほどね。じゃあ、どれくらいが適量かうちで実験でもする?僕がいる時ならここの研究室を使わせてあげるよ」

「ホント!?やりたい!」

「アキ、勝手に決めるな!」


 喜んで飛びついたわたしだったが、ザルトが慌てて止めた。考えてみたら、わたしは今日もザルトに付き添ってもらってここまで来たのだ。つまり、これからもここに来るときは付き添ってもらわなければならない。


「あ、ザルトは工房があるかぁ」


 ザルトは手伝いとはいえもう仕事をしている身だ。午前中は完全に無理だし、午後も家の手伝いがある。そうそうわたしの都合に合わせてもらうわけにもいかない。


「そ。それにダンさんに相談もなく決めるのはマズイだろ」


 ……たしかに。そしてそこが一番難しいところかもしれない。


「僕は来月まではこの店にいるんだ。ただ、僕もいろいろと用事ででかけたりするからね。もし来たい日があったら事前に教えといて。僕がいなくても店の者に言付けてくれればいいから。その中で、僕がいられる日をまた伝えるよ。どこに連絡すればいい?」


 アーシュさんがクスッと笑って提案してくれた。でも、予定を合わせなければならないのは、わたしよりむしろザルトだ。


「じゃあ、ヤダルさんの工房がいいかな。わたしよりザルトの方が予定を立てるの大変だから」

「了解。じゃあ、ザルトくん、よろしくね」


 わたしは、期待に胸を膨らませながら店を後にした。





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