薬剤師のお兄さん

「すみませーん。石けんとクリーム見ていい?」


 薬を扱っているお店を見つけたので覗いてみる。石けんは薬屋さんの扱いだ。


「いや、うちには石けんはないよ」


 石けんは重たいので、薬の行商さんであっても扱っているお店はあまり多くはない。でも薬屋さんは特に、店舗と市場では値段がすごく違う。薬の品質が違うので仕方ないのだが、わたしは石けんにそれほどの高品質は求めてない。何軒か見て回ったが、扱っているお店が他にないので、いつも買うお店に向かった。市場でお店を開く行商さんは、いつもだいたい決まった人なのだ。


「うん?いくつだい?」


 いつもの場所に行ったら、なんだか品のある優しそうなお兄さんが答えてくれた。20歳になるかならないかくらいの若さだ。このお兄さんは初めて見た。

 いつもこの場所には、店舗を構えている薬剤店が安い品物を並べている薬屋さんがあって、店番をしているのはちょっと怖いおばさんだったはずだ。

 手にちょこちょこと火傷のような跡がある。もしかして、今日は薬剤師さん本人が店番しているのだろうか。


「んー、石けんは一つでいいかなぁ。クリームって半分にできる?」


 石けんは、油の汚れをよく落とすが、その代わり手がガサガサになる。一緒にクリームを買っておかないと、痛くて家事に差し支えてしまう。


「半分?半分で足りる?」

「うん、大丈夫。ほら、わたし、ツルツルピチピチだから」

「いやいや、君はピチピチだろうけど、お母さんは?」


 薬屋のお兄さんは笑いをこらえながら聞いてきた。


「わたし、お母さんいないの。ダンの分だけだから半分で大丈夫」

「そうか。大変だね」

「ん~ん。もう慣れたよ。ねぇ、それより、どうして石けん使うとガサガサになるの?どうして油が落ちるの?石けんってどうやって作るの?動具はどんなの?」


 わたしは好奇心が赴くままに、矢継ぎ早に質問した。いつものおばさんは不愛想で、何か質問してもあまり答えてもらえない。今日はチャンスだ。


「ああ、そうだね……、普通、油は水に溶けないんだけど、それは知ってる?」

「うん」


 お兄さんは、小さい子どもに話しかけるように、優しく聞いてきた。わたしが小さいからだろうけど、油が水に溶けないことなんて、普通に生活してたらすぐに気付く。このお兄さんは、小さい頃に家事のお手伝いをしたことがないのだろうか。


「石けんはね、油を包み込んでくれる性質があるんだ。泡になって汚れを包んで水に溶けるから、油汚れも一緒に溶けるんだよ」

「ああ、じゃあ、すごーく汚れてるものを洗うとすぐに泡がなくなって、汚れがなかなか落ちないのは、包むものが足りないからなのかな」

「そうだね」


 わたしは、なるほどなるほどと頷いた。では、泡がなくなったら素直に石けんを足した方が良いのか。ケチってゴシゴシやってたら、汚れは落ちないのに布だけどんどん薄くなってしまう。まぁ、汚れても良い古着より石けんの方が高かったりするけど。


「良かったら、今度作ってるところを見に来るかい?」

「えっホント!?いいの!?」


 わたしの独り言をおもしろそうに聞いていたお兄さんは、何かのついでのように誘ってくれた。


「僕が逗留している店なんだ。たぶん、大丈夫だと思うよ。ただし、騒いだり邪魔したりしないこと」

「わかった!いつ行っていい?」

「うーん、明後日ならいるかな。一昨日王都から来たばかりだから、まだ当分いる予定なんだけど、ちょっと忙しくてね。毎日いるわけでもないんだよ」


 ……王都からか。


 王都と聞くと、ちょっと身構えてしまう。でも見てみたい。ダンには言った方がいいのかな?言わない方がいいのかな?


「勝手に決められないから、ダンに聞いてみる」

「僕がここにいるのは明日までなんだ。今日は店番のおばさんが休みだったからその代わりなんだよ。明後日、もし来るなら直接工房に来るといいよ」


 なるほど。今日来て良かった。


「この道をお城の方に向かうとほら、交差点が見える?あれを左に曲がってちょっと行くとガルス薬剤店っていうのがあるから、中に入って店員に声をかけてくれればいいよ。僕の名前はアーシュ。楽しみに待ってるよ」






 普通の工房は、商人が構える店舗とは別にあり、工房で職人が作ったものを商人に卸す。そのため、商家には店舗しかなく、反対に工房では商品を直接売ることはない。だが薬剤店は、店舗と工房が一つになっている。製薬や調合には門外不出のものが多いためだそうだ。

 薬剤店には2種類あって、薬を扱うお店と生活用品を扱うお店に分かれている。元は一つのお店で両方扱っていたそうだが、作る量が増えてくると必要な動具を揃えるのも大変になるので、自然と分かれて行ったらしい。石けんは当然、生活用品だ。わたしはまだ、薬を扱っているお店に入ったことはない。


 ガルス薬剤店は、薬も石けんも扱う大店だった。他の店舗三軒分の広さで道に面しており、ドアは大きく両開きだ。ドアは閉まっているが、両側の壁には大きなガラスが設置されていて中の様子がうっすら見える。ちらっと除くだけで、お客さんの服が色とりどりなことが分かる。

 布の色が鮮やかで多色なのはお金持ちだということだろう。アーシュさんは、お金持ちのお客さんが来る、大店の職人さんということだろうか。

 ちなみに、市場の薬屋さんが薬も石けんも両方扱っているのは、扱っている薬がいわゆる民間薬というもので、調合するのに特別な工房が必要ないからだ。


「え?ここ?間違いないのか?こんなとこ、オレ入っていいのか?」


 ダンに相談したら、ザルトが一緒なら行っていいと言われた。王都がどうこうよりも、わたしの言動の方が心配なのだそうだ。ダンは心配性だ。そして、5歳年上でいつもお兄さんぶって世話を焼いてくれるザルトが戸惑っている。なかなか珍しいことだ。


「いいんじゃない?ガルス薬剤店って言ってたし」


 入って声をかければいいと言われたのだから、入っていいと思う。なんかダメなことがあるのだろうか。よくわからない。


「いや、だって大店だぜ?オレ、工房から直接来たからこんな恰好だし……しかも、お前、漬物持ってるし……」


 初めの5の鐘まで工房の手伝いをしていたザルトが、工房の服を着ているのは何かダメなことなのだろうか。あと、糠漬けはお土産なのだ。ダメなはずがない。


「それはダメなことなの?」

「恥ずかしいだろ?他のお客さんとかすげぇキレイな恰好してるし……」

「え?でもキレイな服より仕事着の方がカッコいいでしょ?仕事してるんだぞって感じで」

「は……?え、そ、そうなのか?そうなのかな?仕事着ってカッコいいのかな……?」


 カッコいいと思う。


 仕事ができなくても親がお金持ちならキレイな恰好はいくらでもできる。けど、仕事着は仕事をしていないと着られない。汚れている服は、それくらい仕事を任される、デキル人だという証拠だと思う。わたしも着たい。


「うん。だから早く入ろうよ」


 わたしは、戸惑ったように自分を見下ろしているザルトを引っ張って、ガルス薬剤店のドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 ドアをくぐると、ドアの両隣に体格の大きな男の人が一人ずつ立っていた。ちょっと厳つい見た目だが、笑顔で声をかけてくれる。

 お店の奥には、小さい引き出しがずらりと並んだ棚があり、その棚とカウンターの間に同じ格好をした人たちが何人もいる。カウンターの手前にも同じ格好の人が何人かいる。全員お店の人なのだろう。


 ……誰に用事を言えばいいのかな?奥にいる人?手前にいる人?


 誰が何の役目をしているのか分からないので、誰に声を掛けたら良いのかがわからない。普段行くお店では、店番は一人か二人しかいないのだ。


「何か御用でしょうか?」


 ザルトと二人でオロオロしていると、カウンターの手前の一番端にいた人が笑顔で近づいてきて、腰をかがめて声をかけてくれた。


「えっと、アーシュという人に見学に誘われて……」

「ああ、はい。聞いていますよ。そちらは?」

「ザルト。わたし一人だと心配だからってついてきてくれたの」


 わたしの答えに頷いて、しばらく待っているように言うと、店員さんは薬棚の横の扉から奥に入って行った。


「やあ、アキちゃん。いらっしゃい」


 しばらく待っていると、白衣を着たアーシュさんが出てきた。


「こんにちは、アーシュさん。お仕事中だったんだね。呼び出しても大丈夫だった?」

「大丈夫だよ。今日は付き添いがいるんだね」

「うん。わたし小さいからいろいろ失敗することが多くて心配だって」

「いや、小さいせいじゃないけどな。オレはザルトです。はじめまして」


 ザルトはさすがにもう働いているだけある。お兄さんらしくきちんと丁寧な言葉で挨拶をしていた。わたしも見習わなければならない。


「はじめまして、ザルトくん。薬剤師のアーシュです。今日は二人とも石けんを作っているところを見学しに来たってことでいいのかな?」


 アーシュさんは、まだ子どものザルトにもきちんと挨拶を返してから、わたしに確認する。好感度がニョキニョキ上がっていく。


「うん。でも他のも見せてもらえたら、それも嬉しい」

「アハハ、じゃあ、通りすがりに軽く説明するね。とりあえず工房に移動しようか」


 アーシュさんが薬棚の横のドアをから出ていくのに付いていく。わたしもワクワクしているが、ザルトも他の工房を見るのは初めてらしく、キョロキョロしている顔が好奇心でいっぱいだ。


 

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