糠漬け長者

 ダンに、ゾーラさんのお店に糠漬けを降ろすことを伝えたが、特に怒られたりはしなかった。というか、あまり聞いていなかったと思う。

 最近、ダンの帰りが毎晩遅い。休みの日も出かけていくし、帰ってくる時間も遅い。恋人ができたとかならおめでたいが、行先は神呪師組合だ。あんな疲れた様子で神呪が描けるのだろうか。





「アキちゃん、いらっしゃい」


 ゾーラさんのお店へは、できるだけ早い時間に行くようにしている。境光が消えたら出かけられないので、早めに動かないと毎日届けることができなくなるのだ。

 しかも、早い時間に行くと、まかないの残りをお裾分けしてもらえる。そのかわり、書字が必要なことがあればちょっと手伝ったりしているので、お互い様な良い関係だ。


 納品は今日で8日目。最近ダンが夜ご飯を組合所で食べてくるので、お昼ご飯をここで食べさせてもらえば、夜は適当でも栄養の心配はないだろう。ちょっと寂しいけれど懐には優しい今日この頃だ。


「はい。タトラさん。今日の分のお漬物」

「ありがとう。アキちゃんの漬物、大人気よ。うちの裏メニューとして定番になってきてるわ」


 初めて会った時は、タトラさんは小柄な人なのだと思ったけれど、別にタトラさんは、特に小柄なわけではなかった。ゾーラさんと並ぶと小さく見えるだけで、一人でいると普通のお姉さんだ。でも性格は明るくて闊達で、ゾーラさんの娘さんだなって思う。


「この前アキちゃんが、渡した野菜とは別に、おまけでくれた糠漬けがあったでしょう?あれ、常連さんに出したら大反響で!これ渡すからまた漬けてきてくれない?」

「ああ、卵かぁ。うーん……卵はちょっと手間がかかるからなぁ……」


 普通、糠漬けは余った野菜を漬けることが多いので、漬けるものはだいたい決まってくる。そもそも、糠漬けを漬けるのは主に農家の奥さんなので、領都ではそれほど見ないのだ。卵や肉の糠漬けなんて食べたことがないだろう。


「一度茹でて、冷えたら皮をむいて漬けるんだけど、なかなか冷えないし時間がかかるんだよね……。わたし、背が低いから台所仕事はあんまりテキパキできなくて……」

「え?アキちゃん一人で作ってるの?」


 タトラさんが驚いたように言う。驚かれる意味がわからない。


「わたし、ダンと二人で暮らしてるんだけど、ダンは神呪師だから最近忙しいの。というか、ダン、料理できないし。最近は家にわたし一人でいることが多いから、暇つぶしに丁度いいんだ」

「そっかぁ。一人でいるのは寂しいわね。まだ手伝いもできないしね……」


 子どもは15歳になって成人するまで仕事はしない。というか、働かせてはならないという規則がある。家業がある場合は多少手伝うこともあるが、基本的には15歳未満の子どもは働かせられない。

 境光がいつ小さくなるか分からないので、王都では7歳になるまでは一人で家の外に出されることすらあまりなかった。7歳から少しずつ、おつかいに出たり年上の子どもと一緒に遊びに行ったりして、外の世界に馴染んでいき、10歳でやっと、仕事の「手伝い」をするようになるのだ。


 領都では、王都程は規則に厳しくない様で、外を歩くとわたしより小さい子どもたちが遊んでいたりするのだが、それでもやはり、少し年上の子どもが監視役として一緒に遊んでいる。


 ちなみに、今わたしがやっている物々交換は、お金のやり取りではないので「仕事」ではないのだ。それでも、普通は10歳からしかやらないのだが。


 ……市場だと米で買えるものも多いから、お金とあんまり変わらないんじゃないかと思うんだけどね。


 昔、領地同士で争いがあった時に、子どもまで戦場に駆り出されたことがあって、人の数と年齢のバランスが悪くなってしまったことがあったらしい。そのせいで、世界が壊れかけたのだとか。人や動植物が持っている力のバランスがとても大事なのだそうだ。


 この世界を作った神人は最初に7人の人間を創り、世界の中でも最も力が溜まりやすい場所で力を制御させることにした。そして、残りの力で空気や水、土や石、他の人間や、動物や植物などを創ったのだそうだ。


 最初の7人のうち6人は、「神の力を呼び込む技」を与えられた。それが神呪だ。残りの一人は「神の力を広げる技」で、世界を保つための力の調整を行っている。そしてその仕組みは、この世界が出来て数百年が過ぎた今でも続いている。

 「神の力を広げる技」を持つ者が、王都にいる王だ。世界の真ん中で、世界を支えている。そして残りの6人が、補佐領で溜まっていく神の力を抑えている。領主様がいないと、穀倉領では穀物が不作になったりするらしい。


 これは、小さい頃に子ども用の本で読んだ創生の物語で、字が読めない者でも子どもの時に誰かしら大人から聞かされる。お祭りの演劇だとか、町のお年寄りからだとか、寝る時に親からだとか。このお話を知らない者などいないと思う。それにしても、神人ってどこから来たんだろうね。


「とりあえず、今日はこれもらっていくね。でも毎日は無理だから、お客さんにもそう言っといて」

「わかったわ。あ、アキちゃん、これ持って行って。ちょっとだけど。卵のお礼よ」


 わたしは豚肉とじゃがいもを手に入れた。


 タトラさんはいい人だと思う。でもホフさんはよく分からない。タトラさんのお兄さんらしいけど、初日に見かけて以来全く姿を見ていない。初日の時も、ゾーラさんに紹介はされたが、わたしが自己紹介する前に店の裏口から出て行ってしまっていた。

 避けられるほどの接触もなかったので、わたしが嫌われているのか、ホフさんが驚くほどの照屋さんなのか、まだ結論が出ていない。そして当分出そうもない。なにせ、会わないからね。






 今日は久しぶりの市だ。昨日は境光がなくなってから、今朝まで雨が続いていたので来られなかった。市場が立つ日は決まっているので、今日は来られてよかった。


 領主様のお城が見えるこの広場で開かれる市は、月に2度、5日間開かれている。農家が出す食料や工房から出される細工物もあるが、王都を初めいろんな場所から行商がやって来るので、見たことがないものもいっぱい並んでいて面白い。

 ただ、領都のお店や西の方の市場だと、お金がなくてもお米で取引してもらえるので子どもでも買い物ができるが、中央の市場だと、店主によってはお金でしか取引してくれない。お米だと嵩張るので旅がし辛いのだそうだ。


 ゆっくり歩いて、並んでいるものを覗いていく。最近家の食材が減らないので、市場に来る用事はほとんどない。今日買いに来たのは石けんのためだ。あとは、家計が浮いた分で何か変わり種の糠漬けを作れないか物色しようと思う。


 ……あ、追加で買う壺も探しといた方がいいかな。あと、藁の長靴も欲しいな。

 

 領都は石畳なので、木靴だと足音がうるさい。大人は皮の靴を履いているのでそれ程音が鳴らないが、子どもはすぐにサイズが変わるので、安い木靴を履いている。王都では革靴を履いていたので、初めて木靴を履いた時は、痛いしスポスポ抜けるので歩くのに苦労した。今は慣れたけど、やっぱり硬くて走ったりできない。農家では藁を編んで長靴を作ると聞いたので、ちょっと見てみたい。


 カッポカッポと硬い音を立てながら歩いていると、独特のちょっと生臭い匂いがしてきた。


「お、アキちゃんじゃないか。久しぶりだなぁ」


 馴染みのおじさんが声をかけてくれた。お魚を扱う行商さんだ。お魚屋さんと肉屋さんは、臭いが強いので、それぞれまとまってお店を出している。その中でも、よくおまけをくれるおじさんだ。忘れられてなくて良かった。


「おじさん、久しぶりだね。お客さんいっぱいいるのによくわたしのこと覚えてたね」

「ハハ、アキちゃんはおもしろいからね。アキちゃんと話すのが楽しみで毎月来てるんだよ」


 以前、他のお客さんにも似たようなことを言っているのを聞いた。嘘じゃないだろうけど、その話だけが全部というわけでもない。あんまり真剣じゃないっていうか、行商さんとの会話って独特だよね。工房の職人さんと話す時とは違うなと思う。


「おじさん、何かおもしろいお魚ある?」


 おじさんは、穀倉領の東の方から来ているそうだ。東には大きな湖があって、その畔にすむ漁民から買った魚を干して保存食にしたものを、この領都まで売りに来ているのだそうだ。


「干物じゃないが、川魚が少しあるよ。すぐそこで釣り人から安く引き取ったんだよ」


 おじさんの「すぐそこ」は領都の外だ。簡単に言うけど、領都内ですら決まった場所にしか行かないわたしからすれば、おじさんはまるで冒険者だ。


「へぇ、切られてないお魚、初めてみた。触っていい?」

「ダメダメ、生ものだからね。すぐ痛んじまう。買うならおまけするよ」


 うーん……買わないと触れないのか。悩むところだ。


「このお魚、糠漬けにできる?」

「へ?糠漬け?」

「そう。わたし、今いろんな糠漬けを作ってみるんだ。おじさん、いつもおまけしてくれるから少しあげるよ」


 わたしは、この後宿屋にお裾分けに持って行くつもりだった、じゃがいもの糠漬けを少し渡す。


「お、いいのかい?どれどれ」


 おじさんが少し味見をして目を丸くした。


「こいつは美味いな!じゃがいもの糠漬けなんて初めてだよ」

「意外と美味しいでしょ?はい。お肉も少しあげる。焼いて食べるとおいしいよ」


 タトラさんからもらった豚肉を漬けたものを一切れ渡す。あんまり量がないので、一番小さい切れ端だが。


「え、肉?肉も糠漬けにしちゃったのかい?」

「うん。みんな美味しいって言ってたよ。お魚でもできるかなぁ」


 おじさんの目がキラリと光った。


「魚の糠漬けか。たぶんできると思うんだが……要は水分が抜ければいいんだろ?塩ふって漬ければいいんじゃないか?内臓は無理だろうからちょっと捌いてやるか」


 おじさんは、どれ、と魚を3匹とると、あっという間に内臓とエラを取り除いてくれた。


「ほれ、タダでいいぞ。糠漬けのお礼だ。ただし、上手くできたらちょっと見せてくれないか?」

「いいよ。じゃあ、できたら少し分けてあげるから、お魚あと2匹買ったら干物のおまけもくれる?おじさん、何日かここにいるでしょ?」

「アキちゃんにはかなわないなぁ。しょうがない、先行投資とするか」


 苦笑するおじさんから、お魚を5匹と干物を受け取る。小さいお魚3匹は糠漬けにして持ってくる、謂わば実験用にもらったようなものだが、干物1匹はおまけだ。おじさんは気前がいい。


「アキちゃんは本当におもしろいな。またおいで」


 最近、糠漬けを渡して別の何かをもらうということが増えている気がする。そのうち糠漬けで城とかもらえるようになるかもしれない。



 


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