いい人仲間

 農家の手伝いが終わったので、ダンは神呪師の仕事が忙しくなり、わたしは暇になった。

 毎日市場と宿屋に行って安い野菜を探し、糠床の世話をし、読書をし、ご家庭用プチ便利動具を地味に開発する日々だ。


 本はいくつかある。事故が起きたのは研究のための旅先でのことなので、神呪の専門書を持って行っていたのだ。何度も読んで暗記してしまっていたし、本は高価なので、移り住んですぐの貧乏生活の時に売れば、生活の足しになったのかもしれないが、その当時は、自分の持ち物を売るなんていう発想そのものがなかった。


 ……まぁ、神呪の専門書なんて買い取ってくれるところもないだろうって今なら分かるけどね。


 なにせ王都育ちの研究バカと世間知らずのお嬢さんなのだ。そんなことも知らなかった。わたしも成長したものだ。


「ダン、今日はわたし、市場に行っていい?」

「んん?ああ、今日は大丈夫だろ」


 最近はわたしが起きている時間帯に境光が出ていることが多いので、毎日市場に行ける。嬉しい。何も買わなくても、見てるだけでワクワクするのだ。


「だが、あまり遅くなるなよ。後の2の鐘で戻って来い」


 人々の生活は境光と共にあり、時間にあまり左右されないとはいえ、わたしはまだ小さいので規則正しい生活をする。後の3の鐘以降に市場を空けられても、わたしには行けないのだ。


 田植えの直後に3日間、昼の間に境光が出ない日が続いた時はどうしようかと思った。田植えで汚れた服が外に干せないのだ。狭い部屋で、人の訪れもなく、乾かない洗濯ものに囲まれて読書する生活は隠者にでもなった気分だった。

 

 ……おかげで、部屋の中で風を起こして洗濯物を乾燥する動具が出来上がったけどね。


 無事洗濯物が乾くと共に、埃や掛け布が舞い散って大変な目にあったことは、ご愛敬というやつだろう。






「女将さーん、漬物持ってきたよー」


 わたしの活動範囲は中央広場までだが、お城の北側にあるこの宿へだけは時々こうして訪れる。

 この宿屋は、わたしたちが最初にこの町にやってきたときにお世話になった宿で、宿を出た後も、わたしは市場に一緒に連れて行ってもらって買い物の仕方を教わったり、お金の管理の仕方を教わったりと、とにかく女将さんには頭が上がらないのだ。


「ああ、アキちゃん。ちょうど良かった」


 漬物も、最初はお世話になったお礼のお裾分けとして持ってきたのだが、女将さんはわたしの成長を喜んでくれて、わたしに新しい野菜を渡し、次回漬物として持って来るように言った。できた漬物のうち半分の半分くらいを手数料として分けてくれるのだ。このおかげで、うちの食卓は本当に助かっている。


「ほら、ゾーラ、この子だよ。この前の鶏肉持ってきてくれた子」


 宿屋の裏手から入ると、女将さんに手招きされ、恰幅のいい女の人に引き合わされた。女将さんより少し年上だろうか。背が高くてどっしりしている。


「へぇ、ホントにすごく小さいねぇ。美味しい漬物、作るんだって?」


 ゾーラさんは、目をキラキラさせて、明るい声で話しかけてきた。大きくてちょっと圧倒されるけど、威圧感を感じさせない闊達で明るい雰囲気の人だ。


「うん。この前の輪番の時に庄屋さんの奥さんからブランを分けてもらったの。甘い香りのいい糠床に育ったんだ」


 わたしは女将さんに漬物を渡しながら自慢した。


「糠漬けは手間がかかるって言うからねぇ。小さいのに偉いねぇ」

「ゾーラはすぐそこの食事処の女将なんだよ。この前、アキちゃんが持ってきてくれた鳥肉の糠漬けがあんまり美味しかったんで、少しお裾分けしたら紹介してくれってうるさくてさ」


 ……食事処の女将さんに褒められるなんて、すごいんじゃない?


「まさか、こんな小さい子が作ってるなんて思わないからさ。もし良ければうちにも卸してもらおうかと思ったんだよ」


 まさかの商売の話が来た。あれ?でも、7歳の子どもが商売なんてできるのかな?


「わたし、まだ子どもだからお金儲けはできないよ?お米?」

「うーん。でもゾーラの食事処に卸すんなら糠床が大量にいるんじゃないのかい?」


 なるほど。今の糠床は壺一つ分しかない。


「そうだねぇ、あと、何をくれるのかとその量、納期なんかもある程度固定してもらわなきゃ難しいねぇ」


 糠床の量か……ちょうど、そろそろまた庄屋さんの奥さんにお願いして、ブランを分けてもらおうと思っていたところだ。ブランはたくさんあるらしいから、お願いすればたくさんもらえるだろう。


「んー、じゃあ、ブランがどれくらいもらえるか、ちょっと庄屋さんの奥さんに聞いてみる。糠床作るのにだいたい一月くらいかかるから、その後でいい?」

「ハハハ、がんばってみるのかい?」


 ゾーラさんが大きな口を開けてからかうように笑う。おもしろがっているが、あまり本気にはされていないようだ。


「ああ、アキちゃんがやる気になっちゃったよ……。ゾーラ、本気で考えといた方がいいよ。アキちゃんの執念はすごいから」

「へぇ?」


 女将さんが頭を抱えて言い、ゾーラさんの目がキラリと光った。


「大丈夫。わたし、暇だから」


 コクリと頷いて答えると、女将さんとゾーラさんが揃って噴き出した。でも、わたしは神呪が使える暇人なのだ。温度管理と手間が大変だと言われる糠漬けは、わたしのためにあるようなものだ。

 

 ……それにしても、執念とはなんだろう。宿にいる間に何かした覚えはあまりないんだけど。


「じゃあ、一月経ったら様子を教えてくれるかい?」

「はーい。どこに行けば会えるの?」


 わたしは首を傾げた。わたしは領都内に詳しくないので、今、詳しく聞いておかないと、また迷子になる。


「ああ、今から一緒に行こうか?」

「じゃあ、アキちゃん。次の野菜も準備してるから、台所に寄って行っておくれ」


 わたしは、持参した漬物を台所の貯蔵庫に入れ、カゴに置いてあった野菜を持ってゾーラさんと共に宿を出た。




 『食事処ゾーラの口』


「ゾーラの……くち?」

「そうさ。あたしはこの通り口がでかくて、小さい頃から食べることが大好きだったんだよ。口が肥えたあたしの作る料理なんだ。旨いことは保証するってことさ」


 ……なるほど。


 わたしは、ゾーラさんの体格を見て納得した。


「お、ゾーラ、そんなチビッ子連れてどうしたんだ?」

「おいおい、あんまり近くを歩くと踏みつぶしちまうんじゃないか?」


 店の前で話していると、通りがかった人たちが野次を飛ばしてくる。別に険悪な雰囲気ではないので、みんな気心が知れているということなのだろう。


「ついでに何か食べていきな」

「わたし、お金持ってないけど……」

「ハハハ、見りゃわかるよ。別にいらないよ。まかないの残りだからね」


 ゾーラさんはいい人だ。宿の女将さんもいい人なので、いい人同士気が合うのだろう。


 中に入ると、4人が座れるテーブルが6つと、カウンター席が4つある。テーブル6つは店内と同じくらい年季を感じるもので、木材ならではの黒ずみとテカリがあるが、カウンター席は割と新しそうだ。


「ん?……カウンターは後で付け足したの?」

「おや、いい所に気が付いたねぇ」


 何気なく聞くと、ゾーラさんは興奮気味に顔を近づけてきた。


「この店は、もともとあたしの旦那の父親がやってた店なんだよ。結婚するちょっと前に亡くなったから、そのまま使わせてもらうことにしたんだけどね。あのカウンターはあたしの拘りなんだよ。お客さんと話しながら料理ができるだろう?わざわざ木材を取り寄せて作ってもらったんだけど、そりゃあ、高くてさ。でも作って良かったよ。自分が出した料理の出来が直接見えるからねぇ」


 ゾーラさんは満足そうに見回しながら言う。カウンターを撫でるその手つきがとても幸せそうで、こちらも笑顔になる。


「そっかぁ、このカウンターが、あのテーブルみたいにだんだん黒っぽくなっていくの、なんだか楽しみだね」


 わたしがカウンターを撫でながら言うと、ゾーラさんが驚いた顔で見下ろしてきた。


「あんた、小さいのにいい事言うじゃないか。なるほど、カナンが気に入るわけだね」


 ……そうか、わたしは宿の女将さんに気に入られているのか。わたしもいい人仲間かな?


 わたしがいい人仲間として自分にできそうなことを指折り数えていると、ゾーラさんが、野菜と卵を豚の油で炒めたものと、白米と漬物をカウンターに持ってきてくれた。漬物といっても、野菜を塩で揉んで絞った簡易なものだ。


「わぁ、卵がある!」

「…………あんた親はどうしてるんだい?」


 ゾーラさんが、なんだか可哀そうな子をみるような顔で聞いてきた。


「ヤダルさんの工房で神呪師として働いてるよ。親じゃないけど」

「あん?」

「わたしの両親に死に際に頼まれて、わたしの面倒を見てくれてるの。ダンは親じゃないけど保護者だよ」

「へぇ。そりゃ大変だったねぇ。けど、神呪師?稼いでるんじゃないのかい?」


 ゾーラさんが微妙な表情で言う。両親が亡くなっているということもあるだろうが、神呪師に育てられているのに貧乏生活をしているのが納得できないのだろう。いじめられていると思われては困る。


「わたしたち、3年前にここに移り住んだばっかりだから、まだ契約してる工房がヤダルさんとこしかないの」

「ああ、それじゃあしょうがないね。でも3年ならそろそろ他の工房からも声がかかるだろうさ。もう少しの辛抱だね」


 他の工房から声がかかるくらい信頼されるということは、ダンにお嫁さんの紹介が来てもおかしくないということだ。


「……うん。それまでは、わたしの糠漬けで食いつなぐよ」

「ハハ。いいね。あたしは前向きな子は好きだよ。一月後、あんたと取引できるのを楽しみにしてる」


 ゾーラさんは大きな口を開けて笑った。



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