第13話 愚者と眼差し2

「荒熊さんはコントロールに自信はありますか?」


 僕は大蛇に聞こえないように、小さな声で荒熊さんに話しかけた。


 「ああ、もちろんだ。頭を使ったことは苦手だが、体を使うことなら自信しかない」


 荒熊さんも、僕の声の大きさに合わせて囁くように答えた。


「その言葉、信じますよ。荒熊さん、手を出してください」


「うん? ああ」

 

 僕はポケットから下剤の入った小瓶を取り出し、瓶の中の錠剤を荒熊さんの手に出して握らせた。


「これをあいつの口に投げ入れてください」


「いいぜ。でも、なんで?」


「これを飲ませて、腹を下させます。そうすれば、調子を崩して、鋭い眼光はなくなるはずです」


「なるほどな」


「ただ、今のままでは口に投げ入れるのは、難しいと思います。……だから、そのための隙を作ります」


「どうやって?」


「荒熊さん。僕を信じてくれますか?」


「もちろんだ」


「今から、僕に話を合わせてください。それと、大蛇の様子は常に観察していてください」


 僕は息を深く吸い、そしてゆっくりと吐いた。


「もう、荒熊さん! あなたという人は本当にどうしようもない人ですね! 心底、呆れます!」


 荒熊さんは一瞬驚いた顔をしたが、話を合わせる、という先ほどの言葉を思い出したのだろう。


「そんなこと言わないでくれよ」と、シュンとした顔をして情けない声で答えた。


「なんだ? 仲間割れか?」

 大蛇は不思議そうにこちらを見ている。


「すみません、蛇さん。今から、この人に説教をしたいので少しだけ時間をください」


「まあ、いいだろう。愚か者が叱られている様を楽しむとしよう」

 大蛇はとぐろを巻いた。


「ありがとうございます。……さて、荒熊さん!」


「はいっ」


「あなたは無鉄砲すぎます。考える前に体が動いています。そんなんじゃ、命がいくつあっても足りませんよ。何度も言っているじゃないですか」


「すみません」


「行動する前に一旦落ち着いて考える癖をつけて下さい」


「わかりました」


「ははは。これは中々、滑稽だな。いい大人が、若者に叱られているというのは」

 大蛇は目を細め、余裕そうに笑った。


「では、落ち着く練習をしてみましょう。深呼吸をしてください」


「わかった。すうぅ、はあぁ。すうぅ、はあぁ」


「その調子です。ちゃんとリラックスできたら、自然とあれが出ると思います」


「あれっていうと……屁か?」


「違います! あくびです」


 それから、荒熊さんは深呼吸を何度も繰り返した。


 しかし、一向にあくびは出なかった。


「もっと、リラックスしてください」


「ああ、わかっている。ただ、これが案外難しい」


「まだか?」


 どうやら、大蛇はこの状況に少し飽きているようで、不機嫌そうに喋ると、僕を睨みつけた。


「ひっ!」


 たしかに荒熊さんの言う通り、この大蛇に睨まれると体が固まってしまう。


 なんとか口を動かし「す、すみません。もう少しだけ待って下さい」と大蛇に語りかける。


「まあ、いいだろう」


 再び、とぐろを巻く大蛇。


 この方法は賭けだ。


 鬼が出るか蛇が出るか。


「荒熊さん。こうですって。すうぅ、はあぁ。……ふわあぁぁ」


「上手だな。すうぅ、はあぁ。すうぅ、はあぁ」


 荒熊さんは何度も深呼吸を繰り返す。


 それからしばらくそうしていたが、一向にあくびは出なかった。


「おい、人間。もう待ちきれん」

 大蛇は体を起こし始めた。


 ダメだったか。


 荒熊さんが僕を信じて、この茶番に付き合ってくれたのに。


「荒熊さん。すみません。作戦失敗です」


「……そうか。まあ、俺が何とかしてやるさ。最悪、俺が飲み込まれて、腹の中にこの下剤をぶちまける」


「そんな無謀な……」


「きっと、何とかなる。――おい、大蛇! 勝負再開だ」


「まったく。待ちくたびれたぞ。それにしても、待つというは案外退屈だな。退屈すぎて……」


 まさか!?


 まだ、諦めるのは早かったかもしれない。


「荒熊さん」


 大蛇が驚かないように、僕は小さな声で荒熊さんを呼んだ。


 荒熊さんは振り向き、僕の顔を見ると笑顔で頷き、何も言わずに投球モーションに入った。


「ふわあぁぁぁ」


 ついに、大蛇が大きなあくびをした。


「今です!」


「おう!」


 荒熊さんの手から放たれた下剤は狂いのない軌道を描き、見事に大蛇の口の中に入った。


 ゴクン。


「き、貴様! 私に何を飲み込ませた!?」


「そのうちわかるさ」


「ふざけるな! 愚かな人間よ!」


 怒り狂った大蛇がものすごい剣幕でこちらに迫って来ようとした。


 しかし、すぐに動きを止め、苦しそうにうずくまった。


「うっ! 急に腹の調子が」


「どうやら効いたみたいだな」


 大蛇はそれからうずくまったまま動かなくなり、弱々しい瞳でこちらを眺めていた。


 荒熊さんは大蛇にゆっくりと歩み寄り、こぶしを握った。


「愚かな人間にやられるのはどんな気分だ? 賢い蛇さんよ」


「まさかこんな事になるとはな。何たる屈辱。――ああ、夏の愚者は腹に障る」


 荒熊さんがこぶしを振り抜き大蛇を殴ると、大蛇は光の粒子となって消えた。


「調子に乗ってると、足をすくわれるから気をつけな。って、もう遅いか」


「足はなかったですけどね」


「まあな。――しかし、どうなることか思ったぜ」


「たしかに、今回の相手は強かったですね」


「でも、俺たち2人で協力すればどんな敵でも倒せそうだな」


「そうですね、きっと。……そういえば、荒熊さんはあの大蛇に睨まれたとき、急に体の動きを止めましたよね。あれはやっぱり、あの大蛇の眼光があまりにも鋭かったから、思わず委縮いしゅくしてしまったからですよね?」


「俺があんな奴にビビっただと? そんなわけあるか! ちょうどいい。妖についてお前に追加の情報を教えよう。実はな、妖の中には不思議な能力を持った奴もいるんだ」


「えっ! すごいファンタジーな話ですね」


 荒熊さんの話に驚きはしたが、思い返してみると、そういった場面には何度か遭遇していた。

 

 バリアを使うピエロの格好をした妖とか、人が怖いと言ったものに化ける妖とか……。


「だから今回、大蛇ににらまれて動きが止まったのはビビったからじゃなくて、能力によって動きを封じられたということだ。断じてビビったからではないからな!」


 おそらく、荒熊さんの言っていることは嘘ではないのだろうけど、必死になるほど嘘っぽく聞こえるのが面白いなと思うわけで。


「わかりましたよ。――それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」


「そうだな」


 僕たちは、静かになった山をゆっくりと下っていった。


 そして、山を下り終えたとき、僕たちの後ろに小さな蛇がついて来ていたことに気づいた。


「こらこら。山に帰りなさい」


 荒熊さんは蛇に向かって諭すように言った。


 蛇は少し悲しそうな表情をした後「シャー」と言って、山の中へ消えていった。


「あの蛇は賢いですね。英語を喋るんですから」


「え? どういうことだ?」


「だってあの蛇、シャー(SURE)って言った」

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