第9話 海砂利水魚と策士2

「荒熊さんは馬鹿だから、お前の戦略にひっかかって麻痺をくらったが、僕は動けるぞ! 僕がお前の相手をしてやる」


「おいらは強くない。でも、お前が相手なら負ける気はしない」


 男はそう言い切ると、火縄銃のような鉄砲を取り出して構えた。


「まずはお前をいたぶってから、その後にあの馬鹿をいたぶることにしよう」


 先ほどまでの弱々しい姿が嘘であったかのように、男は禍々しい雰囲気を漂わせていた。


 威圧だ。麻痺を食らってないのに、身体が重い。


 男の雰囲気に圧倒され、恐怖で身体が強張っているのだ。


 くそ! 動け! 僕の体!


 声にすら出せず、心の中で叫ぶので精一杯だった。


「くっくっく。さっきまでの威勢はどうした? そんなに怖がっているお前をいたぶるのは、弱い者いじめみたいで、いい気持ちはしないなぁ!」 


 男は恐怖で震える僕を嘲笑い、鋭い視線を浴びせてきた。


 僕は思わずうつむき、目を合わせないようにした。


 怖い。目を背けたい。逃げたい。


 自分の弱さを示す言葉が頭の中を占める。


 荒熊さんの力が無ければ何1つ出来ない自分が、情けなかった。


 もう諦めるしかない、と心が呟いたときだった。



「きっと……負けない」



 荒熊さんの儚い声。


 その言葉は、荒熊さんの意志でもあり、僕に対する励ましでもあった。


 荒熊さんの言葉が、僕の中で反響し次第に大きな音になっていく。


 やがてその音は「きっと負けない!」という確かな声になって、僕の口から放たれた。


 成さねばならない。


 僕のために。そして、荒熊さんのために。


「あなたは本当に僕に勝てますか?」


 僕は男に向かって挑発気味に言った。


「当たり前だ。今から証明してやるさ。いざ、勝負!」


 挑発に乗ったのか、男は勢いよく答えた。


「まあ、待ってください」


 相手の勢いをくじくように、即座に言い返す。


「なんだ?」


「まずは名乗りましょう。それが勝負におけるマナー。武士道というものではありませんか?」


「たしかにな。では、おいらから名乗らせてもらう。おいらの名は冴島さえじまだ」


「冴島ですか。では、こちらも名乗りましょう。僕の名は、『ずよごめずよごめ、ざさえはせるくろ、きうずゆるせうぐらはせうぐらえみて、えありうみてへえりうみて、けえのれなさわぬせめなさわ、ゆべりさえずはべりさえず、兼定』です」


 訳の分からないように感じるこの文字列は、実はある原則に沿っている。


 そして、この長い文字列は、時間を稼ぐには丁度いい代物であった。


「えっ、えっと、『ずめごよ……』」


「違います! いいですか。僕の名は『ずよごめずよごめ、ざさえはせるくろ、きうずゆるせうぐらはせうぐらえみて、えありうみてへえりうみて、けえのれなさわぬせめなさわ、ゆべりさえずはべりさえず、兼定』だ」


「なるほど。もう覚えたぞ。『ずよごめずよごめ、ざさえはせるくろ、きうずゆるせうぐらはせうぐらえみて、えありうみてへえりうみて、けえのれなさわぬせめなさわ、ゆべりさえずはべりさえず、兼定』だな」


「そうです」


 僕はこの会話の間に、冴島を挟んで僕と荒熊さんが対極の位置になるように歩みを進めていた。


 冴島が僕の方を向くことで、荒熊さんは冴島の背中側に位置することになり、男の視界には入らない。そして、僕は荒熊さんを自然と視界に入れることができる。


 つまり、この位置関係なら、なるべく敵の注意を僕に引きつけられるし、荒熊さんの回復状況を違和感なく確認することができる。


「では、お互いに名乗ったところで、いざ、勝負!」


 再び冴島は勢いよく言い放った。


「待ってください」

 とまたしても即座に言い返す。


「あぁ? なんだ?」

 どうやら、2度目は少し気に障ったようで、苛立ちが見える。


「たしかに名字は名乗りました。ですが、名前がまだですよね」


「ああ、そうか。おいらの名前は和彦かずひこ


「和彦ですか。僕の名前は『ピウパピウパピウパはスヨールアギア、スヨールアギアはゲールアヂウ、ゲールアヂウはパアパサプーはパアパサニーは、つらえくよえもうは、つらえせこ、吉刀』です」


「それにしても長い名前だな。……まあいい。えっと『ピウパピウパピウパはヨーデル……』」


「違います! もう一度言いますよ。僕の名前は『ピウパピウパピウパはスヨールアギア、スヨールアギアはゲールアヂウ、ゲールアヂウはパアパサプーはパアパサニーは、つらえくよえもうは、つらえせこ、吉刀』だ」


「よし、覚えたぞ。『ピウパピウパピウパはスヨールアギア、スヨールアギアはゲールアヂウ、ゲールアヂウはパアパサプーはパアパサニーは、つらえくよえもうは、つらえせこ、吉刀』だな」


「そうです」


「よし、互いに名前も名乗ったことだし、いざ、勝負!」


「待ってください」


「おい! いい加減にしろ!」


 3度目はさすがに我慢ならなかったようで、冴島は怒りをあらわにした。


 冴島はこれ以上待ってくれそうにない。


 もう時間は稼げない。



 でも、問題はなかった。


「まだ、俺が名乗ってないぜ」


 冴島の後ろに悠然と立ち尽く荒熊さん。


「なに!?」


「真昼に麻痺るって、とんだ洒落しゃれだな。しかし、こんな罠に引っかかるなんて、俺も馬鹿だよな、まったく」


 荒熊さんはニコリと笑い、こぶしを握り締めた。


「さてさて、俺の名は荒熊五郎。いざ勝負!」


「ま、待って」


「待ったなし」


「なんて卑劣なぁ」


 荒熊さんがこぶしを振り抜き冴島を殴ると、冴島は光の粒子となって消えた。


「まったく、酒に毒を混ぜるなんてひどい野郎だ。食べ物や飲み物で遊ぶと、バチが当たるから気をつけな。って、もう遅いか」

 

 僕は荒熊さんに駆け寄り、容態を確認した。


「もう体に異常はないですか?」


「ああ。ただ、ちょっと疲れた。少し休ませてくれ」


 辺りを見回すと、ちょうどベンチが空いていたので僕たちはそこに座った。


「それにしても、今回の敵は結構強かったな」


「ええ。賢いんだか、馬鹿なんだか、よくわらないやつでしたけどね」


 その言葉を聞いて、荒熊さんは「あっ」と声に出した。


「そういえば、兼定。冴島との戦いのとき、お前、俺のこと馬鹿って言ったな?」


「はい。言いましたけど……」


 僕の返事を聞くとすぐに荒熊さんは腕を振り上げ、そして、ぽかりと僕の頭を殴り下ろした。


「いて。なにするんですか。絶対、たんこぶが出来ましたよ」


「お前が俺のことを馬鹿って言ったからだ」


「でも、荒熊さんだって自分のこと馬鹿だって言ったじゃないですか」


「自分で言うのはいいんだよ。他人に言われると腹が立つ」


「無茶苦茶な人だな」


「うるせえ」


 再び荒熊さんが腕を振り上げた。


 が、今度は殴ることはせず、僕の頭の上にポンと手を置いた。


「でも、お前がいてくれて助かったぜ。ありがとな」


 荒熊さんは手をわしゃわしゃと動かして僕の頭をなでた。


 荒熊さんの手は温かくて心地よく、そして、感謝されたことが少し照れくさかった。


 ここで突然、荒熊さんの手が止まる。


「って、たんこぶなんてねえじゃんか」


「それは、あれですよ。恥ずかしがって、ひっこんでしまったんです」

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