第8話 海砂利水魚と策士

「ちょっと、荒熊さん。1人で突っ走らないでください。」


「うるせえ。男なら迷わず進む。それが俺のやり方さ」


 特に予定のなかった僕たちは、僕の部屋で一緒にゲームをしていた。


 みんなで協力してモンスターを倒すゲームだ。


「ぐわあ。麻痺をくらっちまった」


「ああ、もう。だから言ったじゃないですか」


「くそ。動けない」


「麻痺なら、時間経過で回復しますから。僕が敵を引きつけておきましょう」


「助かるぜ――って、おい! 敵がもう1匹現れたぞ! しかもこっちに来た!」


「まずい! 敵の攻撃が荒熊さんに当たる!」


「うわあああ!」


 荒熊さんの操作するキャラクターは、敵の攻撃を食らったため体力が0になり、その場に倒れた。


 任務失敗の文字が画面に浮かぶ。


「悪い。やられちまった」


「また、挑戦しましょう」


「次はちゃんと協力して戦うよ」


「そうですね。協力して戦えば、きっと負けません」



 ゲーム画面から目を離し、部屋の時計を見た。


 時刻は昼の12時。お昼ご飯の時間だ。


「お腹空きましたね」


「ああ。どこか食べに行くか」


「いいですね。荒熊さんの奢りで」


「しょうがねえな」


 僕たちはゲームを一旦やめて、外へ出た。


 太陽が眩しいのは、夏のせいなのか、部屋でずっとゲームをしていたせいなのか。


 思わず手で日差しを遮った。


「さて、どこに行きましょうか?」


「近くの定食屋にしようか」


「そうですね」


 定食屋はこのアパートから歩いて5分くらいのところにある。


 あそこのシーザーサラダは絶品だ。


 定食屋に向かって歩き出す僕と荒熊さん。


 そして、道の途中にある公園を横切って歩いていた時のことだ。


 反対側から1人の男がうつむきながらこちらに向かって歩いて来ていることに気がついた。


 その男はうつむいたままでこちらに気づく様子もなく、ふらふらと歩きながら、すれ違いざまに荒熊さんの肩とぶつかった。


「いて」


「ひぃ、すみません」


 男はなんとも弱々しい声で謝った。


「……ああ」


「すみませんでした」

 男は再び謝り、そして歩き出した。


 荒熊さんは、どこかいぶかしげな表情していた。


「うーん。おい、そこの男。やっぱり、ちょっと待て」


「な、なんでしょうか」


 男は怯えた様子でこちらを見た。


「なんか怪しいんだよなー。お前、妖だろ!」


「な、なぜ、わかったんだ?」


 動揺したからなのか、男は自分が妖であることを隠すこともせず、素直に打ち明けた。


「正直者だな。いや、馬鹿なだけか」

 と言いながら荒熊さんはこぶしを握りしめた。


「鎮めてやる」


「ひい、助けてぇ」


 妖というのは、どこか恐ろしい存在だと思っていたが、この男は……。


「なんか弱そうですね」


「こういうやつは逆に鎮めづらいんだよな」


「たしかに、弱い者いじめみたいで、いい気持ちはしないですね」


 今一度、男をよく観察した。


 細身な体型でメガネをかけている。髪は機能的に切られていて、オシャレさは感じられない。科学者や研究者のような印象を受ける。


 そして、右手にはやかん、左手にはビニール袋が握られていた。


「み、見逃してくれよぉ。おいらは何も悪いことはいしてないからよぉ」


「そうはいかない。妖は鎮めなくてはならないのでな」


「そ、そんなぁ。じゃ、じゃあ、こうしよう。取引だ」


「ほう、面白い。どんな取引だ?」


「ここに、おいしいお酒があるんだ。卵酒たまござけだ。それをお前さんたちにやるから、見逃してくれ」


 男はそう言うと、手に持っていたやかんを差し出した。


 こんな条件でこの妖を見逃しても良いものだろうか。


 そんなことを考えていると、荒熊さんの唾をごくりと飲む音が聞こえた。


「よし。わかった。今回はお前を見逃す。ただ、今後何か悪いことをしたら、そのときは容赦なく鎮める」


「ああ、わかったよぉ」


「ってことでいいよな。兼定」


「まあ、荒熊さんがいいなら、いいんじゃないですか」


「それじゃあ、受け取ってくれ。こっちのビニール袋には紙コップが入っている」


 男はやかんと紙コップの入ったビニール袋をこちらに渡した。


「なあ、兼定。早速飲んでいいか?」


「せっかちですね。まあ、いいですけど」


 僕の返事を聴き終えると同時に、荒熊さんは紙コップを取り出し、やかんから卵酒を注いだ。


 紙コップからはほのかに甘い香りと白い湯気が漂う。


 この夏の時期にまさかのホットとは。


 いくら荒熊さんが酒好きだとはいえ、夏にあったかい酒を飲むだろうか。


 という僕の疑問もお構いなしに、荒熊さんは迷うことなく卵酒を口に運んだ。


「うめぇ! まろやかな口当たりで飲みやすいなあ」


 荒熊さんはコップに注いだ卵酒をあっという間に飲み干すと、そのまま流れるように2杯目を注ぎ、コップを口まで運び卵酒を飲もうとした。


 しかし、そこで動きを止めてこちらに視線を向けた。


「気づかなくて悪い。お前も飲みたいよな?」 


 荒熊さんは、悲しそうな声で言った。

 

 悲しそうな声だったのは、自分が飲める卵酒の量が少なくなるからであろう。


「いらないです。暑い日にホットは飲みたくないです。というか、年齢的にまだ飲めません」


「そうか」


 荒熊さんは嬉しそうな声で言った。


 嬉しそうな声だったのは、以下略。


「じゃあ、遠慮なく頂くとするぜ」


 荒熊さんはそう言ったものの、一向に飲もうとしない。


 それどころか、卵酒の入ったコップを地面に落とした。


「大丈夫ですか?」


 よく見ると、荒熊さんは辛そうな顔をしている。


「息が……苦しい。身体の自由が……利かない」


 荒熊さんがなんとかそう言い切ると同時に、まだ近くにいた先ほどの男が語り出した。


「ククク、ひっかかったな。おいら特製の麻痺パラライ卵酒。この卵酒を飲んだ者は、たちまち体の自由が利かなくなるのさ」


「なんて卑劣な!」


「ひっかかる馬鹿が悪いのさ」


 男は意地悪そうな顔で荒熊さんを見た後、こう続けた。


「この麻痺の即効性はすごいだろう? 効果は5分ほどしか持たないがな」


 相手が罠にかかったことに気を良くしたのか、男は麻痺の特性について馬鹿みたいにペラペラと話した。


 5分で麻痺が解けるとなれば、僕が今するべきことは荒熊さんが回復するまで時間を稼ぐことだ。


 しかし「今から時間稼ぎをしてやる」と正直に口にするわけにはいかない。


 上手いこと嘘をつきながら、時間稼ぎをしてやる。

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