第4話 腹の虫と唐辛子
時刻は午前11時45分。
昨夜のピエロ騒動と、それ以前の死神騒動について考えていた。
結局、あの死神やピエロは一体何者だったんだ?
荒熊さんは『妖』とか言ってたっけ。
妖は化け物とか幽霊みたいなものだとも言っていたな。
どうやら荒熊さんは、もっと詳しいことを知っているようだったので、聞きに行けばいいのだが、知り合ったばかりの人の部屋を訪ねるのは、どうも気が進まない。
そんなこんなでモヤモヤしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
玄関に向かい扉を開けると、そこにはあの人がいた。
「よっ! 邪魔するぜー」
「へ? ちょっと、荒熊さん!」
荒熊さんはズカズカと部屋に入ってきて、ソファーに腰掛けた。
ソファーの前には机があり、その机を挟んで、対面に僕は腰を下ろした。
「やっぱり、兼定には話さなければならない」
「……妖のことですか?」
「ああ。知らないより知っている方が安全だという判断を下したわけだ。これから説明していくが大丈夫か?」
「はい、お願いします。ちょうど僕も聞きたいと思っていたところなので」
「そうか。それじゃあ説明をする。なお、苦情は受け付けない。いいか、聞き逃すなよ……。『妖とは、人ではない何かで、我々人類にとって危険な存在である』――以上だ」
「それだけ!?」
何とも拍子抜けである。
これから一体どんな話が繰り広げられるのだろうと、心をウキウキさせていた自分が馬鹿みたいだ。
「今あれこれ説明したところで、結局頭に入らないだろうからな。それに形式的な説明より、実際に妖に遭遇していく中で色々と理解していったほうがいいだろう、ということだ」
「なるほど。説明するのが面倒だったわけではないんですね」
「も、もちろんだ。あっ、それと、妖についてはまだわかってないことも多くて、想定外の事態に遭遇することが少なくない。十分注意するように」
ぐぅー。
「ぐぅー? 面白い返事の仕方だな」
「あ、えっと、腹の虫が鳴りました。荒熊さんはお昼ご飯をもう食べましたか?」
「ああ。さっき蕎麦を食べてきた」
「ソバ!」
突然、元気いっぱいの声がこの部屋から聞こえた。
「えっ? お前そんなに嬉しそうな声を出してどうした?」
荒熊さんはこの声の正体を僕だと思っているようだが、僕はこんな陽気な声を出しはしない。
「違います! 僕じゃないです」
「じゃあ、誰の声だ?」
「ソバ! ソバ!」
と、元気な声を放ちながら、1匹の謎の生物が机の上にピョンと現れた。
その謎の生物は、まるで絵に描いたウイルスのように丸くてツンツンしており、大きさは親指の爪ほどであった。
「なんだ!?」
「ソバ! ソバ! ソバ!」
謎の生物は陽気に叫びながらピョイと飛び跳ね、荒熊さんの口の中に入った。
ゴクリ。
「うっ! 飲み込んじまった」
「大丈夫ですか?」
「まあ、大丈夫だと思うぜ。……痛っ!」
「言ったそばから大丈夫じゃないですね」
荒熊さんはお腹を押さえて、顔を歪めている。
「ああ、いてぇ。あの生き物は何だったんだ? 変な生き物だから妖に違いない。きっとそうだ」
蕎麦に執着していて、人に痛い思いをさせる謎の生物。
この特徴はもしかして……。
「荒熊さん。あいつは多分『
「何? 天気の虫? 天道虫のことか?」
「『疝気の虫』です! 疝気の虫の好物は蕎麦だと言われています。また、疝気の虫は人間の体の中に住み、人間が蕎麦を食べると腹の中でその蕎麦を食べるそうです」
「なるほど。俺の腹の中にある蕎麦を目当てに、さっきのやつは飛び込んできたわけか」
「さらに、疝気の虫は蕎麦を食べると元気になります。そして、腹の中を飛び回ってあちこち引っ張って遊び出すので、人間が痛がるんです」
「そういうことか……痛っ! 痛い! さっきより一段と痛い!」
「早速、暴れまわっているみたいですね」
「この痛み、尋常じゃない。なんとかならないか?」
「あいつの弱点は唐辛子です。唐辛子が体に触れればそこから腐って溶けてしまうそうです」
僕はキッチンから唐辛子の粉末が入った瓶を取り出し、苦しんでいる荒熊さんの元に戻った。
「この唐辛子を食べればいいってことだな」
「ただ、事態はそう単純じゃないんです。あいつは唐辛子が腹に入ってくると、逃げてしまうんです。別荘に」
「別荘? どこだ、そりゃ?」
「えっと、その、男の袋です」
「男の袋? 金玉袋のことか」
「……はい」
「この唐辛子を食べても、あいつは金玉袋に逃げてしまう。つまり、あいつを倒すことは出来ない。俺はこのまま苦しみ続けるしかないのか……」
荒熊さんは悟ったようにそう呟くと、小さくうずくまり痛みに耐えていた。
「安心してください。倒す方法はあります。少し待っていてください」
僕は早速、あるところに電話をかけた。
そして10分もしないうちに、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
「盛り蕎麦、お待ちどうさま」
「やけに早いですね」
「そば屋ですから」
「そうですか。ありがとうございました」
代金を支払い、盛り蕎麦を受け取って、荒熊さんの前まで持っていった。
荒熊さんは相変わらず小さくなって、痛みに耐えているようだ。
「荒熊さん! この蕎麦の匂いを嗅いでください。そうすれば、疝気の虫は匂いに釣られて出てくるはずです。そして、出てきたところにこの唐辛子の粉をぶっかけます」
「了解した」
荒熊さんは蕎麦が盛られた皿に顔を近づけ、必死に蕎麦の匂いを嗅ぎ始めた。
すると、
「ソバだぁ」
と疝気の虫が荒熊さんの口から飛び出してきて、皿に盛られた蕎麦に飛び移った。
よし、疝気の虫は蕎麦に夢中だ。
バレないようにそおっと、唐辛子の粉をふりかけるぞ。
唐辛子の瓶を握る手を、静かに蕎麦の上へと動かすが……。
「ムムム?」
あと少しのところで感づかれ、避けられてしまった。
「なんだぁ、オマエ? せっかくソバをタノシンデいたのにジャマするなんて! ユルサン!」
怒った疝気の虫は、あちこち飛び回り、部屋を散らかし始めた。
「おい、やめろ! 僕の部屋を荒らすな!」
「ウルセー!」
終いには、僕の髪やら耳やらあちこち引っ張だすものだから、痛くてしょうがない。
捕まえようにも、小さくてすばしっこいので捕まえられない。
「兼定! その唐辛子を俺によこせ!」
疝気の虫の痛みから解放された荒熊さんは、すでに元気を取り戻していた。
荒熊さんは何か考えがあるようだ。
「受け取ってください!」
僕は持っていた唐辛子の瓶を荒熊さんに投げ渡した。
「ナイスパス!」
瓶を受け取った荒熊さんは、大量の唐辛子の粉を口に詰め込んだ後、部屋中に撒き散らすように口から唐辛子の粉を勢いよく吐き出した。
なるほど。これなら、疝気の虫も避けようがない。
荒熊さんの目論見通り、部屋中に漂う唐辛子の一部が、疝気の虫の体に触れた。
「うわァ。トけるー」
緊張感のない声を発しながら疝気の虫は体を溶かし、油汚れのように床にへばりついた。
「これでもう、ちょこまかと動き回ることはないですね」
「よし。サクッと鎮めちまうか」
荒熊さんはこぶしを握り、床にへばりついた疝気の虫を殴った。
すると、疝気の虫は光の粒子となって消えた。
「ふう。執着しすぎると、身を滅ぼすから気をつけな。って、もう遅いか」
無事に事態が収まったところで、1つ気になったことを質問してみた。
「それにしても、なんで唐辛子をわざわざ口に入れて吐き出したんですか? 部屋中に撒き散らすだけなら、瓶の蓋を開けて振り回せばいいと思うんですけど」
「まあな。でも、口に入れて吐き出した方が、火を吹いてるみたいでかっこいいじゃん」
「あはは」
なんともお茶目な人だ。
「さて……」
部屋を見まわすとひどい散らかりようで、唐辛子は未だにひらひらと部屋中を漂っている。
これから片付けをするとなると、かなり面倒くさい。とても大変だ。心が重い。ああ、しんどい。
「片付け、手伝うぞ」
「荒熊さん! ありがとうございます!」
荒熊さんは優しい人だ。感謝しかない。2人で片付ければ、きっと、あっという間に終わるはずだ。
「僕はひとまず、唐辛子を片付けますね」
「了解だ。じゃあ、俺は、蕎麦を片付けるかな」
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