第3話

 ところが、これが予想以上に難航した。

 何しろリリーナ嬢、一応は皇子の婚約者だという自覚があるらしく、あまりあからさまな口説きの文句を言うと、ぴゅーっと逃げ出してしまう。


 かといって俺に興味がないわけではなく、ことあるごとに俺の周りをちょろついては、なにくれとなく世話を焼いてくれる。

 そのくせお礼を言おうとするとぴゅーっと逃げるのだから、たちが悪い。

 なんだか、すごく親しげに近づいてくるのに、頭を撫でてやろうとすると逃げ出す、そんな野良猫を相手にしているような気分だ。


 だけど今日は新入生を歓迎するためのガーデンパーティが開かれる。

 くだんの野良猫令嬢だって、簡単に逃げ出すわけにはいかないはず。


 もともとゲーム中ではこのガーデンパーティ、ヒロインであるチヒロの前に主要キャラクターが入れ代わり立ち代わり現れる『顔見世イベント』だそうで。

「私は忙しいから、あんたのサポートには回れないと思うけど、しっかりリリーナを口説いてらっしゃいよ」と、チヒロから言われている。


 俺はパーティーが始まるよりも早く『グリーン・ブランチ・ガーデン』へと向かった。

 そこは校庭の一角に作られたかなり大きな植物園で、中央に建てられた英国風のお洒落な温室が目印になっている。


 この温室は校舎のどこからでも見える。

 例えば二階の渡り廊下の途中で足を止めて景色に目を向ければ、それは遠くに見える山を背に、こんもりと茂った緑の中にそびえて美しい。

 また食堂の窓からふと表を眺めれば、重なるように生茂るアセビの隙間から、凝った意匠の骨格がチラリと見える。


 今日のこの日以外、校内のどこからでも『見えている』はずの温室を目印に校庭を歩き回っても、決してこの庭へはたどり着けない。

 俺はここまでの七周回でアイゼル学園を隅々までくまなく歩き回って、こうした『見えるけれどもたどり着けない場所』がいくつかあることを知った。


 リリーナ嬢の断罪イベントが行われる講堂も『見えるけれどもたどり着けない場所』のひとつだ。

 ループが起きるのが毎回この場所であることから、俺は常々、この講堂をじっくり調べてみたいと思っていた。

 だが、件の日は何の苦労もなく辿り着けるはずのこの場所に、俺は一度もたどり着けたためしがない。


 ここがゲームの世界だからだと言ってしまえばそうなのだが、イベントに必要な施設を詰め込んだ結果、このアイゼル学園は『見えるけれどもたどり着けない場所』が多く存在する広大な学園となってしまったわけだ。


 だから、イベントであるガーデンパーティー開始前のこの時間、もしかしたらグリーン・ブランチ・ガーデンにたどり着けない可能性もあった。

 そうした『見えるけれどもたどり着けない場所』に行くための条件を探る目的もあったわけだ。


 ところが、中庭から校舎裏に向かって少し歩くと、大きな緑廊パーゴラの下に出た。

 これはグリーン・ブランチ・ガーデンの入り口となっている場所で、『見えるけれどもたどり着けない場所』のうちのひとつだ。

 ここに簡単にたどり着けたということは、その奥にあるグリーン・ブランチ・ガーデンも開いているということで……


 俺はパーゴラの下を潜り抜け、庭園の奥へと足を運んだ。

 俺の行く手を阻むものは何もなくて、すぐに、見上げるほど大きな温室の前に出た。

 そこは芝生を敷き詰めた広場になっている。


 生徒会の役員たちだろうか、上級生が何人か、大きなテーブルを運び込んでいた。

 音頭をとっているのはリリーナ嬢だ。


「そのテーブルはこちらへ! ああ、テーブルクロスはまだ早いですわ、先にテーブルを!」


 リリーナの口調は少しキツい。

 本人は意識せずに野ことなのだろうが、彼女の声があたりに響くたびに、テーブルを抱えた生徒たちがビクッと肩を震わせる。


 俺はリリーナの近くに歩み寄って、彼女を驚かせないように優しく声をかけた。


「こんにちは、レディ・リリーナ」


 出来るだけ優しく、極力ジェントルに、を心がけたつもりだったが、リリーナは垂直にピョンと飛び上がった。


「ななななな、ダレス・エーリア! なぜここに!」


「僕にもお手伝いできることがあるかな、と思って」


「無いわ! 新入生のお坊ちゃまがなんの役にたつというの! さっさと教室に戻りなさい!」


 だけど俺は、リリーナ嬢を口説き落とさなければループから抜け出せない身、ここで「はい、そうですか」と引き下がるわけにはいかない。


「お手伝いさせてくださいよ~、こう見えて、けっこう力持ちだし、少なくとも邪魔にはなりませんから~」


 食い下がるが、リリーナはかたくなだった。


「いりません。力仕事をするための男手は足りています」



「それは、僕がなよっちいから、男扱いできないってことですか」


 この言葉を聞いたリリーナは、少し頬を赤らめて狼狽した。


「そういうわけじゃない……のです、でも……あなたは新入生だから……」


「新入生だと、なんだっていうんです」


 ついにリリーナは耳まで真っ赤になって、本心を吐き出した。


「だって、これは新入生を歓迎するためのパーティーなのですわよ、だから、会場をきちんと整えて、新入生はあとからババーンと!」


「なんですか、ババーンって」


「つ、つまり、サプライズ感っていうんですの? それをやりたいんです!」


 存外に子供っぽいリリーナの言葉に、テーブルを運んでいた生徒たちがクスッと笑った。

 リリーナはさらに赤面する。


「何で笑うんですの!」


 俺は――俺もついほっこりして頬が緩んだけれど、無理に笑顔を押し殺して言った。


「別に嘲笑しているわけじゃありませんよ、可愛らしい……例えば小さい子なんか見ていると、つい笑顔になっちゃうでしょ、あれと同じです」


「何が同じなんですの」


「つまり、レディ・リリーナ、あなたがかわいいから、みんな笑っているんです」


「かわいい……えっ、えっ、私がですか!」


「わかりました、レディ・リリーナ、あなたが仕掛けてくれるサプライズを楽しみに、僕は教室に戻ります」


「ちょっと待ってくださいませ、私がかわいいってどういうことです!」


「あ、でも、みんなを顎で使うのはいただけませんね、あなたが怖い声で命令するから、みんな委縮して、気の毒です」


「だって、私……人の上に立つには常に厳しく、と教えられていますもの」


「厳しいことも時には必要です、でも、たった一言、『お願いします』を添えるだけで、相手の気持ちはずいぶんとかわるものですよ」


「『お願いします』……」


 リリーナはくるりとみんなの方に向き直り、深々と頭を下げた。


「今日は新入生にサプライズをしかけたいから、準備は特に入念に……お願いします」


 その場に居合わせたものの間に、ささやきと歓声が起こる。


「あのレディ・リリーナが、素直に⁈」


「何者だ、あの新入生!」


 俺に注目が集まる。

 これは、俺に『主人公フラグ』がたったということか?

 普段なら入れないはずのグリーン・ブランチ・ガーデンに立ち入ることができたのは、多分そういうことじゃないのか?


 つまり、本来の『ミララキ』にはなかった、俺が主人公となってリリーナを攻略するルートが発生したと……だから主人公である俺の行くところにイベントが発生し、『イベント時にしか行くことのできない場所』が開いたと、そういうことではなかろうか。


 だとしたら、俺には今、選択肢が与えられている。

 ギャルゲーをやったことのある俺にはわかる。

 今ここでヒロインのお願いを聞いて素直に教室に戻るか、それともわがままを少し言ってヒロインを困らせるかの選択肢が……


 ダレスがリリーナより年下であることを考えれば、ここはかわいいワガママを言うのが効果的だろう。

 俺はダレスのかわいいフェイスをわざと俯かせて、思いっきりもじもじして見せる。


「あのね、レディ、やっぱりお手伝いします。あなたの役に立ちたいんです、僕」


 リリーナ嬢が額に手を当て、少しよろめいた。


「かわいい……」


 俺はさらに、とぼけた顔でかわいらしく首をかしげる。


「かわいいって、僕がですか?」


「くっ、あざといけど、かわいい……」


 リリーナ嬢はすでに陥落寸前だ。

 俺はさらに彼女の心に訴えかけようと、ずずいと前に出る。


「ほんとはね、お手伝いとかどうでも良くて、ただ……あなたの側に居たいだけなんです」


 そのままリリーナの片手をとれば、彼女は令嬢らしいウブさで頬を赤らめて横を向いた。


「こういうのはやめてくださいませ、私、婚約者がいる身なのですよ」


 そう言いながらも彼女の指先は俺を拒絶したりしない。

 ほんの少しの怯えを含んで震えながらも俺の手の平の中、次の言葉を待つかのようにとどまっている。


 俺が次の言葉を探そうと一瞬黙り込んだその時、俺の背後で声がした。


「リリーナ、その男は誰だ?」


 振り向くと、アインザッハ皇太子がそこに立っていた。

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