第4話
アインザッハは俺と同じ新入生だが、乙女ゲームのメイン攻略キャラに相応しく大人っぽい容姿をしている。
身長だって俺よりもはるかに高い。
目算192センチってところか。
そして手足が長い。
ダレスなんかは可愛らしさを目指して作られたキャラだから、体型は中肉中背、筋肉感はない見た目をしている。
しかしアインザッハは誰がデザインしたのか骨っぽくて手足が長く、そしておそらく脱ぐと細マッチョであることを感じさせる肩幅が目立つ見事な体躯をしている。
そんなアインザッハが背後に立ったのだから、俺を覆うように影が落ちた。
俺はその威圧感におびえてびくりと肩を竦める。
もっともアインザッハの方は俺になど興味がないらしく、つかつかと俺を追い越してリリーナに詰め寄った。
「リリーナ、まさか不貞か?」
自分はチヒロに対してガンガンモーションをかけているくせに、婚約者がちょっと男にモーションをかけられただけでこの言い草。
ぶっちゃけ、ケツの穴の小さな男だと思う。
アインザッハはさらに、「ははん」と笑って。
「そんなわけないか、お前みたいにキツイ女を相手にする男なんているはずがない」
なんていうか、とことんムカつく男だ。
俺はリリーナを後ろ手に庇うようにして、彼の前に立ちはだかった。
「女性にそんな口をきくなんて、紳士にあるまじきことですね」
しかしアインザッハは、まるで俺のことなんか見えていないかのように振る舞った。
「それにしてもリリーナ、この俺様を歓迎するパーティーにしては、少し質素すぎるんじゃないか? これじゃまるで茶会だ」
リリーナは俺を押しのけ、アインザッハを睨みつけた。
「あなた一人を歓迎するためのパーティではありませんわ。今年新しくアイゼル学園に入学した新入生すべてを歓迎するための会ですもの」
「それにしたって質素すぎるだろ、金なら俺様が出してやるから、もっと派手に行こうぜ」
ガラスを丹念に組んだ見た目も華麗な温室を背ににっこりと微笑んでクイと親指を立てたポーズをとるこれは……ゲームのスチル絵でいえばリーダー気質の俺様皇子が「金の心配はいらないゾ⭐」とかっこよくキメている場面なのだろうが。
しかし実際に目の前にした場合、俺様というのは迷惑極まりない存在である。
「だめです、新入生の歓迎はこのグリーン・ブランチ・ガーデンで、アイゼル学園の校風である『粛然』をコンセプトにしたお茶会をと、これが学園の伝統なのです」
リリーナの反駁を、アインザッハは爽やかな笑顔で笑い飛ばした。
「考え方が古いんじゃないか、リリーナ、伝統とは打ちこわし、そしてまた再構築するものだ。そうでなくては発展など望めないだろう?」
「たかが新入生の歓迎のお茶会に発展など必要ないと思いますが?」
「そう、『たかが』新入生の歓迎のお茶会だ。ならばその『たかが』なんかより、この国の第一皇子である俺様を歓迎するべきじゃないのか。俺は皇子だぞ、皇子」
「どうやら私の言い方が悪かったみたいですね、現実的な話をしましょう。今日のための準備はすでに何日も前から始まっています。ここであなたのワガママを聞き入れて変更を加えることは準備の都合上、無理です」
「つまりお前は、日数をかけねば、たかが茶会の準備一つ満足にできないと」
アインザッハは懐から札束を取り出し、宙に投げた。
バサッと音を立てて札はほどけ、札がひらひらとあたりに舞う。
「金はある、誰かこれで最高の茶葉と茶菓子を買って来い! そうだな、国いちばんの評判の菓子屋がいい」
しかし生徒たちは誰も動かない。
ただ困ったように顔を見合わせているばかりだ。
俺は最初、彼らがNPCだからこそ、シナリオ外の行動ができずにフリーズしているのかと思った。
だが、そうではないようだ。
一人の生徒がおびえて肩をすくめながらも、アインザッハに進言した。
「今からでは、どの菓子屋に依頼しても、全生徒分の菓子を調達することはできないと思いますが?」
アインザッハは不服顔だ。
「なぜだ、菓子屋を丸ごと買ってくればいいだけじゃないのか」
「そういうことではなく……大口の注文の場合はあらかじめ予約がないと……」
これを聞いた俺は、『この世界』が今までの七周回とは全く質が違うものになったことを知った。
いくら大きな菓子屋とはいえ、大口の注文にはハイそうですかと二つ返事で応えることはできないだろう。
特に今回アイゼル学院が発注した菓子の数は全校生徒分――つまり三百人分という超大口の注文だ。
しかも茶会までは残り一時間程度、今から菓子を焼き始めても間に合うわけがない。
例えばこれが今までの七周回だったら、アインザッハが金をばらまいた時点で生徒たちは狂喜し、リリーナを裏切ってどこからか菓子を調達していたはずだ。
ところが今、あの生徒ははっきりと「大口の注文は予約がないと無理」だと言った。
つまりこの八周目の世界、そうした『現実感』がきちんと存在しているのだ。
リリーナが、すいっと前に出てアインザッハの前に立ちふさがった。
「それに、今からキャンセルなどしたら、今回の発注先であるジャイフ菓子店に三百人分のお菓子を廃棄させることになります。これは小さな損害ではありませんことよ」
アインザッハはそれでも、さらに駄々をこねる。
「ジャイフ菓子店だって! そんな街場の小さな駄菓子屋の菓子など、この高貴な血筋である俺が食うとでも?」
リリーナがにっこりとほほ笑む。
「おかしなことをおっしゃいますね、私も同じ高貴な血筋を受け継いでおりますが、あのお店のお菓子は大好物でしてよ?」
リリーナの家は大公――つまり王の分家筋にあたるのだから、血筋を語るのは得策ではない。
アインザッハもそれに気づいたらしい。
「くっ、勝手にしろ! 俺はそんなつまらん茶会になど出ないからな!」
「ええ、ご自由に。決して参加を強制するものではありませんもの」
リリーナの勝ちだ。
彼女は足元に散らばった札を拾い集め、アインザッハに押し付けた。
「大事なお金をまるで紙屑のようにばらまくなんて、随分とお行儀の悪いことをなさるのね、王家ではろくな躾もなさらないのかしら?」
アインザッハは顔を真っ赤にして、足音も荒く去っていった。
それを見送ったリリーナが、ガクッと膝から崩れて座り込む。
「こ、怖かったですわ……」
いままで毅然としていた彼女が突然見せた弱い姿に、俺は……不覚にも胸がキュンと締め付けられるのを感じた。
「大丈夫ですか?」
手を差し出せば、リリーナの細い指先がすがるように絡みついてくる。
その指の一本一本がか弱く震えているのを感じた俺は、もう片方の手で彼女の手をくるむように握りしめた。
リリーナは恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。
「ごめんなさい、お見苦しいところをお見せしましたわね」
「そんなことはないです! リリーナさん、毅然としていて、カッコよかったです!」
「ふふふ、ありがとう、あなたにそう言ってもらえると、なんだか本当に自分がカッコよくなったような気がするわ」
俺の手を握り返して、よろよろと立ち上がりながら、リリーナは俺の耳元で小さな声で囁いた。
「あなたが婚約者なら良かったのに」
「えっ」
おどろいてリリーナを見るが、彼女はまるで何も言わなかったみたいにしれっとした顔をしていた。
「さあ、あなたは教室に戻って、待っていなさい。お茶会の支度が出来ましたら、呼びに行きますわ」
そのあとでリリーナは、準備の手を止めて事の成り行きを見守っていた面々に向かって頭を下げた。
「準備の続きを……よろしく『お願い』いたしますわ。ぜひとも新入生たちが喜ぶような、楽しいお茶会にいたしましょう」
どうやら彼女は俺のアドバイスを覚えていたらしい。
このまま俺が教室に戻っても、これならリリーナのふるまいを『悪役令嬢』だと罵られることはないだろう。
俺はそっと、グリーン・ブランチ・ガーデンを後にした。
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