03
「痛いって空野さん」
空野は俺のそんな苦情などお構いなしで、廊下を俺を引っ張りながら歩く。
女の子に無理やり腕を引っ張られて廊下を歩いているせいで、周りの生徒からの視線が辛い。
これはちょっとした見世物になっている気がする。
「ちょっと空野。恥ずかしいんだけどさ」
「いいから。黙って付いてきなさい」
空野の突然の行動。
それは多分昨日のことだろう。
もしかしたら口止めでもしようというのだろうか……それとも。
「音楽室?」
「入って。この時間は誰も居ないから」
空野に無理矢理引きずられてやって来たのは音楽室であった。
たしかに中からは人の気配はしない。
昼休みなのだから当然だが、俺は彼女の後に付いて中に入る。
「扉はしめて」
「お、おぅ」
俺は戸惑いながら扉を閉める。
「鍵も」
「えっ」
「誰か入ってきたら困るから」
言われるままに鍵を閉める。
これでこの音楽室には、職員室で鍵を貰ってこない限り中には誰も入ってこられない。
「空野、一体何の様だ?」
俺は一応昨日のことは無かったこととして彼女にそう問いかける。
あの時彼女も俺に正体がばれたことに気がついたかも知れないと思っていた。
しかし、それはあくまでも俺の感覚であって、実際は彼女はそのことに気がついていなかった可能性もあるのだ。
「昨日のことよ」
だが、彼女のその言葉で俺はあの時の直感は間違いでは無かった事を知る。
「き、昨日?」
「田中君、ライブハウスに佐井賀くんと一緒に来てたでしょ」
「あ、ああ。あそこね、確かに佐井賀の馬鹿に無理矢理連れてかれたけど」
俺は確証を得るために、少し惚けて空野に言葉を返す。
「もしかして空野もあのライブを見に行ってたのか? 気がつかなかったよ」
「……」
俺のその言葉を聞いて、明らかに空野の顔が厳しくなる。
眉根を寄せ、少し怒りが籠もったその顔で彼女は言った。
「とぼけないで。貴方、私が……」
そこで彼女は少し口ごもってうつむく。
だけど、意を決した様に顔を上げると俺の目をまっすぐ見返して、少し恥ずかしそうな色を声に含ませ小さな声を出した。
「私がちかりんだって気がついた……でしょ」
その顔が真っ赤に染まっている様に見えるのは気のせいじゃ無いだろう。
「……」
「なんとか言いなさいよ!」
空野は恥ずかしさを誤魔化すためか、今まで聞いたことの無い様な大きな声でそう叫びながら俺の胸元を掴む。
音楽室は一応防音になっているため、外に声は漏れていないとは思うが、確実では無い。
「空野、声大きいって。それに揺らすな」
胸元を掴んだまま前後に揺さぶられた俺は、思わず彼女の手を払いのける。
そしてお互い何故かにらみ合うような格好になって。
「……あれはバイト……そう、バイトなの」
「バイトで地下アイドルなんてやるのか?」
「やっぱり気づいてたんじゃない!」
「いや、そりゃまぁお前が出てきて直ぐに気がついたけどさ。でも半信半疑ではあったんだよ」
「……」
「だって、昔のお前ならいざ知らず、今のお前があんな……アイドルとかやってるなんて思わないだろ普通」
俺は服を整えながら、心を落ち着かせてそう言った。
「だから、あれはバイトなの。私がやりたくてやってるわけじゃないの」
「嫌々やってるようには見えなかったけどな。それにお前、小さい頃はアイドルになりたいって――」
「そんなの子供の頃の話よ。今はそんな夢は叶うわけが無いって知ってるもの。それに私……」
空野は少し俯きながら小さな声で呟く。
「……だし……」
「え?」
あまりに小さな呟きだったせいで、俺の耳には空野が何を言ったのかわからず聞き返す。
「……だって言ってるのよ」
「聞こえないぞ」
後半は聞こえたが、肝心の前半が聞き取れない。
俺がそう言うと、彼女はうつむけていた顔を上げると、俺の顔を睨み付けながら今度は大きな声で、絶対に俺が聞き取れる大音量で叫ぶ。
「私、音痴だから歌なんて歌えないの知ってるでしょ!!」
キーンと耳の奥が痛むほどの大声。
その声量はとてつもないものだった。
だが、俺は知っていた。
小学生の時、アイドルになると言っていた彼女が時々やっていたワンマンライブ。
当時、活発過ぎた彼女によって無理矢理集められた観客たちに、そのワンマンライブがなんと呼ばれていたのか。
「ジャ○アンリサイタル……」
「うわああああああっ、言うなぁぁぁぁぁ」
パシーン。
つい呟いてしまった俺の頬を彼女の平手が襲った。
まさか小学生の時から三年以上も経つというのに、未だに彼女が音痴のままだったなんて俺には予想外だったせいで反応が遅れてしまったのだ。
今の体格差で吹き飛ばされることは無いが……思った以上の力に俺の頭は少しのアイダクラクラしてよろけてしまう。
「ああっ、ごめんなさい諒。大丈夫?」
そんな俺を心配そうな顔で覗き込む空野は、呼び名が昔に戻っていることには気がついていない様で。
俺は「大丈夫だ。俺の方こそごめんな千歌」と、こちらも昔の呼び方で返事した。
「あっ」
それを聞いて、千歌は自分が知らずに俺のことを諒と呼んだことに気がついたらしく慌ててそっぽを向く。
俺は痛む頬を撫でながら、そんな彼女の背中に向けてつい言ってしまったのだ。
後で考えるとどうしてそんなことを口にしてしまったのかわからない。
なんせ俺は専門家でも何でも無い、ただの高校生で。
楽器だってろくに弾いたことも無いド素人でしかないというのに。
しかし彼女が自分のことを音痴だと告白したあの時の涙でにじむ瞳が、俺にはどうしても放って置くことが出来なくて。
だから思わず口が勝手に動いてしまったのだ。
「俺が歌わせてやるよ」
「えっ」
「俺がお前の歌の特訓をしてやるって言ってんだよ」
「でも」
「こう見えて俺はカラオケではタックより上手いことで有名なんだぞ」
もちろん男ばかりのカラオケでだけれども。
それでも多分クラスメイトの中でも上手い方だ……と思う。
「本当にいいの?」
「ああ、任せておけ。それに俺はお前が元々音痴だってことを知ってるからな。気兼ねなく練習できるだろ?」
「音痴って言わないでよ! ……本当のことだけど」
千歌は少し頬を膨らませてそう口にすると、少し考える様に目を伏せる。
一分ほどだろうか。
千歌が伏せていた目を上げて、もう一度俺の顔を真正面から見つめる。
その顔は、眼鏡や野暮ったい髪型からは誰も想像できないほど可愛くて。
そこらのアイドルなんて目じゃないほど輝いていて。
俺は思わず見とれてしまった。
「おねがいします」
「えっ」
千歌の口から出たその言葉に、彼女の顔に見とれていた俺は間の抜けた声を出してしまった。
「歌い方を教えてくれるんじゃ無いの?」
「あっ、ああ。もちろんだ。俺の特訓は厳しいぞ」
俺は慌てて取り繕う様にそう答えると、千歌の顔から目をそらしてわざとらしく咳払いをする。
「千歌が本物のアイドルになる為に、俺は今日から鬼になる!」
その態度があまりにわざとらしかったのか、思わず千歌は笑い出す。
この学校で彼女と再会してから初めてみるその表情に、俺はまた見とれてしまいそうになる。
それほど彼女は魅力的で。
「絶対に千歌はアイドルになれるよ」
そう確信したのだった。
これが俺、田中諒二と空野千歌の新たな始まりで……。
そしてその道の先に何が待つのか、その時の俺たちには知るよしも無かったのである。
空野千歌は歌いたい ~クラスで一番地味な彼女が、音痴な口パク地下アイドルだった件~ 長尾隆生 @takakun
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