vol.00 大火傷
親睦会の二次会は、居酒屋だった。座敷で寛ぐ大人たちの中に、卓の端で香坂は和久井と最近の書籍について話し合っていた。
「電子に慣れるとなー、楽だけどね」
「最近は電子書籍特典もありますよね。でもやっぱり紙を捲りたいです」
「わかる。在原くんは電子書籍派っぽいな」
「半々くらいですかね。読み込んでる紙の小説もありますけど、漫画とかは多分電子が多い気がします」
「電子の良いところは同じ本を二回も三回も買わないとこだよね、漫画は特に」
「前に二冊買った漫画を在原に渡したら、そこから全巻集めてました」
「それ一緒に棲んだら同じ作品二巻ずつ並ばない?」
「そうなんですよ……」
「どっちも気付かないのが二人っぽいよね」
遠い目をして頷く香坂を笑う和久井。入口付近の卓に居る在原へと視線を向ければ、先程から何度か視線が合った。和久井を見ているわけではなく、香坂を確認しているのだ。生憎、香坂はそちらに背中を向けていて気付いてはいないのだが。
「香坂さんって、嫉妬したりするの?」
「それはしますよ」
卵焼きを一口大に切りながら答える香坂。
和久井は卓に頬杖をつく。
「意外」
「そうですか? 和久井さんにもしますし、在原にもしますし、作家仲間にも……」
「いや、違うなその嫉妬」
「嫉妬です。焦げるほど羨ましい、才能」
きっぱりと言い切る香坂に、和久井は閉口する。そこまで羨ましいなんて言われると、照れくさくなる。
話を戻そう。
「才能じゃなくて、独占欲の方。在原くんが他の女と話してて嫌だ、とか無いの?」
具体的な内容に、香坂は意図を漸く理解し、考えて振り向く。入り口付近から在原の声がしていたので、そちらの方に居るのは分かっていた。
在原が此方を見た。数秒視線が絡み、解かれる。
香坂は正面へ戻る。
「嫌だとかは特に無いですね」
現在も隣に座っているのは女性である。
「在原くんは嫉妬するし嫉妬して欲しいけど、そんなの絶対に対応出来ないだろうね」
散々な言われように苦笑する。反論は特に無く、その通りだと思った。自分の嫉妬にも、他人の嫉妬にも対応出来ないだろう。
そのくらい、分かりやすい男だ。分かりやすく、愛されやすい。
「それに、あたしがそういう形で嫉妬してたら、在原の周りは焼け野原ですよ。在原も火傷負ってるかも」
さらりと恐ろしいことを言う。
和久井は噴いて、笑い、咳き込む。隣の席に居た演者たちが「大丈夫か」と視線を寄越す。
「ふ、はは……ごめん、大丈夫。面白いな、やっぱり」
「全然面白くないです。この前も女優さんに煽られました。誰とは言いませんけど」
「香坂さんって酔うと口数多くなるね?」
「目の前で『在原さんって本当優しいんですよね』って並んで、二対一の図で」
「おおー僕も知ってる人?」
「ノーコメントで」
何となく和久井の中でその想像がついた。香坂は卵焼きを咀嚼し、膝を抱く。
「香坂さんは煽り返さないの?」
「しないですよ……文章にはしました」
「どういうこと?」
「惨めなやり方で退場させました」
「こっわ……読みたい、無いの?」
「ありませんし、読ませません……」
学生の頃の在原と同じ反応で、香坂は笑いながらうとうとし始めた。日付を越えるか越えないか、という時間。睡魔が襲う。
和久井はそれを見ながら、残りの日本酒を呷る。すとん、と眠そうな香坂の隣に座った。
「あ、寝てる」
「寝たから来たんでしょ」
「ばれました?」
「在原くんって分かりやすいよね」
在原はジャケットを脱ぎ、香坂の肩にかける。煽られる原因を作っているのは在原だと、香坂も当人も気づいてはいないのだろうな、と和久井はそれを見た。
「俺もそう思ってるんですけど、さつ……香坂には難しいとか分からないって言われます」
「きっと……香坂さんが在原くんに火傷を負わせたくないってのもあるんじゃ無いの」
「火傷?」
在原は香坂の食べかけの卵焼きを頬張る。どこの火傷の話だ、と和久井を見た。
「いつか香坂さんの大きい感情に焦がされる日が来るかも」
大火事にならなければ良いが。
在原はそれを聞き、眠る香坂へ視線を向ける。
「火に油、ですね。よく燃えそう」
「いや、そうなる前に止めなさい」
「わかってます」
朗らかに笑う在原に呆れ、呼ばれた方へ行く背中を見る。ずるりと香坂の肩から落ちそうになった在原の上着を掴む。
その感触に香坂が起きた。目元を擦り、時計を見る。
「すみません、寝てました」
「いや、数分だけ」
「帰ります……お疲れ様です……」
ぺこ、と頭を下げたのかよろめいたのか。和久井は大丈夫かとそれを見上げる。
「一人で帰るの? 在原くん呼ぶ?」
「タクシーで帰ります」
「煽り返さなくて良いの?」
ほら、と扉から半分身体を出して女性スタッフと喋る在原を示す。香坂もそれを見た。
煽るも何も、在原の上着を羽織っているのだ。香坂が帰れば自動的に在原も一緒に帰るに決まっているだろう。それを理解しておきながら、上着を羽織っていることにも気付いていない香坂を煽る和久井。
目が据わっている。そのまま、歩み出した。
廊下に出て、在原と女性スタッフが話している後ろに立つ。
「在原」
話しかけられ、在原が振り向く。睨むまではいかないが、見られていた。表情から感情が読み取れず、口を閉ざす。
「あたし、帰るけど」
その言葉に、在原に尻尾が生えた。実際に生えたわけでなく、生えたように見えた。ぶんぶんと尻尾を振っている。
女性スタッフはきょとんとその様子を見ていた。彼女は三次会への参加の有無を聞きに回っていただけであったが、香坂にとっては関係ない。
「俺も帰る」
「あ、わかりました」
「あとよろしくお願いします」
そう言いおいて、在原は座敷に戻り荷物を取って来る。女性スタッフは若干引いた様子で座敷へと戻った。
香坂はゆっくりパンプスのストラップをつけており、在原はもう片方のパンプスを掴んで履かせようとする。
「ちょっと、返して」
「履かせたい」
「嫌。返して」
否定の言葉に、在原は香坂にパンプスを返す。しゅんとしながらストラップをつける様子を見ていた。尻尾が下がる。
「……持つ?」
それに気付いたのか、香坂は持っていたハンドバッグを差し出した。玩具を取られた犬でないのだから、と和久井が居たならツッコむだろうが、今は居ない。勿論、在原は喜んでバッグを持った。
居酒屋を出て、眠そうにしながら歩く香坂を見る。
「タクる?」
「歩ける」
まだ電車は動いている時間だ。香坂は徐に在原を見上げる。
「さっきの子と何話してたの?」
「え?」
「随分楽しそうだったけど」
「単に三次会の参加の有無聞かれてた」
「じゃあ裏方のテーブルで隣に座ってたカメアシの子は?」
「え」
「ずっと在原の隣キープしてたみたいだけど」
在原は考えた。まず、香坂は酔っているのか、いないのか。そして、カメアシの子はずっと在原の横には居なかった。在原が卓を何度か移動していたからだ。
しかし、間違った事実を述べられたことよりも、香坂が在原の女関係に物申していることへの動揺と歓喜があった。
下がっていた尻尾が上がり始める。
「そんなこと無かったろ」
無防備な手を取り、繋ぐ。
「気づいてないの? ちょっと、触らないで」
ぺっと離される。え、と在原の手が宙に残された。
「いや、カメアシの子はずっと隣に居なかったし、隣に座ってたの男の方が多かったって。絶対に。あそこの卓に居た人に電話して聞いてみても良いから」
スマホを取り出そうとする在原を無視するように香坂は歩いていく。
離された手は寂しさを握るが、尻尾は未だに振られていた。
「五月ちゃん、聞いてって」
「いや、しなくて良い」
「本当だから」
「分かってる。別に在原の隣に女性が座るのは在原の所為ではないし、正直誰が座ってても良いと思ってる」
「誰でも……」
「あと楽しく喋ってても良いと思ってる」
「え」
尻尾が無くなった。罰が悪そうに香坂は立ち止まり、振り向く。
「それでも、在原が好きだよ」
微笑まれた。
在原は気分のジェットコースターに振り回され、ついていけず、ぼろ、と目から涙が落ちた。
「え、な……泣く?」
引きながら呆れる香坂は、在原が持ってくれているハンドバッグからタオルハンカチを取り出してその顔に当てる。
「愛おし過ぎて、どうすれば良いのか……」
「え、なに? 聞こえない」
「今、俺は大火傷を負った」
「おおやけ……和久井さん、何か言ったんでしょ……」
「五月ちゃん、愛してる」
がっと、高身長の男にロックされ、香坂は背中を擦るよりタップする。力加減を考えて欲しい。痛い。
「あ、ごめん」
「なんか疲れたから、タクシーで帰る……」
近くを通ったタクシーを拾う。在原の家の方が近く、そこでおりることになった。先に在原が、次に香坂がおりようとした。
あ、と声が漏れる。在原が振り向くと、香坂の片足のパンプスのストラップが外れていた。ころんと転がったパンプスを香坂より先に拾う。
「ありが……」
すっとしゃがんで、片足にそれを履かせ、在原は満足そうに見上げた。
「これで火傷、癒えた」
「回復早すぎじゃないの?」
香坂が笑った。
*あとがき
嫉妬の話。前後編でした。
自分の方が愛してると思ってると、痛い目をみるぞ、という話。書きながら、親睦会の面子たちはあいつらまたやってんなーくらいに思ってるんだろうな、と予想。婚約後、くらいの時系列で。
在原の穴は少し満たされないくらいが丁度良かったり。糸巻は楢と同じ事務所の俳優です。
香坂が在原の周りを焼け野原にする日はこないけれども。在原は時折火傷を負いそうですね。尻尾を振りながら。奇しくもホワイトデーでした。
20220314
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