vol.00 焼け野原と


 スマホを片手に何かを話している。連絡先を交換しているのか、それとも違う情報を共有しているのか。

 男の方は見たことがあった。今年のブレイク俳優だと言われ、各方面の映像ドラマに出ている。確か楢と同じで、年下だった気がする。

 香坂が脚本を手掛けた『月の湖』にも出演していた。


「すみません、俺あっち行きます。お疲れ様です」

「ん? うん」


 和久井が少し振り向き頷く。既に方向転換した在原の向かう先に香坂と俳優が見えた。

 香坂も大変だな、と他人事のように他人の事を考え、和久井は次の会議室へと歩を早めた。




「どれですか?」


 ぐっと詰め寄られた距離に、どきりとする。嫌な感じの方のどきり、だ。なにか、暗く黒いものが湧き上がりそうな。

 カラオケのボックスシートの冷たさと、部屋に残った煙草の匂い。


「香坂さん?」


 尋ねられ、言葉を返そうと顔を上げようとした。その前に、鎖骨と首辺りを後ろから押し戻されるようにして後ろへ引っ張られた。

 突然の出来事に二人は驚き沈黙する。


「初めまして、在原です」


 香坂の右手首を持ち、人形のようにそれをぶらぶらと動かし、在原は朗らかに挨拶をする。


「は、初めまして、糸巻と申します!」


 驚いていた糸巻だが、操られる香坂を他所に、在原を見て頭を下げる。監督だと知っていたらしい。


「『呼んでも君はいない』観ました!」

「お、ありがとうございます」

「序盤の港のシーンが最高でした。今度の映画も楽しみにしてます!」

「君は観客の鑑か」

「あ、香坂さんに用事ですか?」


 手首を掴まれたまま脱力している香坂へと視線を移す。

 あ、と在原は手を離した。


「じゃあ俺はこれで。香坂さん、今度教えてください! ナツメにも言っときます!」

「うん、また今度」


 頭を下げて去っていく背中を二人で見る。

 香坂は顔を上げた。


「用事?」

「特になし。姿見えたから」

「そっか、ありがと」


 ありがとう? と感謝される覚えもない在原は首を傾げた。説明する気もない香坂はノートPCを持ち直し、歩き出す。

 その後ろを追うように在原も足を動かした。






 隣に座ったかと思えば、ゆっくりと此方に寄りかかり、肩に倒れてくるのかと思えば反対に抱きかかえられた。香坂は文庫本を片手に胴体を拘束される格好となった。

 だというのに何も言わず、在原はぐぐぐ、と鎖骨と肩の間に頭を入れ込んでくる。

 子供みたいだ。しかし、前のように暴走して止められなくなるよりは、ずっと質は良くなった。

 香坂はソファーの背もたれからずり落ちそうになり、高身長を丸めてでも抱きついてくる在原の背中を空いている手で静かに擦った。


「……何話してたんですか、糸巻クンと」


 軈て、言葉を思い出したようにくぐもった声が聞こえる。


「え、いつ?」


 今日は一日外出せず香坂は家で執筆していた。夕方過ぎに在原が仕事から帰って、すぐにこの様子だ。


「この前、昼に、二人でなんか喋ってた」

「お昼……?」

「俺が途中で入った時」

「ああ、ゲームの話。糸巻くん、棗とパーティー組んでて、そのアイテムの話をしてました」

「ゲームの話?」

「あたしはやってないけど、情報を目にしたから言おうと思って、そこにあなたが来た。用事ないって言って」


 用事はあったらしい。在原はぱっと起き上がり、香坂を見る。


「連絡先とか交換してねえの?」

「なにか連絡することあるの?」

「無い。何も無い」


 急に機嫌が良くなる。その感情起伏に置いていかれている香坂。ついに文庫本を手放し、姿勢を変えようと腕に力を入れた。

 それを狙ったように在原が妨げ、軽く唇を重ねる。


「水を差すけれど」

「なに」

「あたしの携帯、男の人の連絡先入ってるから。糸巻くんのは無いけど」

「そりゃ知ってる」

「在原のその引き金、どこで引っかかるのか分からない」


 再度頬に口付けしてから、在原は香坂を抱き寄せてきちんとソファーの上へ戻した。

 その顔を見上げるが、きょとんとしている。


「俺も分かんね」

「何なの、難しい」

「俺の中の穴の話、覚えてる?」


 頷く。在原が最初の彼女にフラレて、形を得たらしい穴。それを塞ぎ埋める為に学生時代、女と遊び歩いていた。

 香坂はその在原には興味もなく関心も無かったので指摘したことも倦厭したことも無かった。


「五月ちゃんって、俺の中で泉みたいで」

「水が湧き出る泉?」

「そうそれ。俺の穴、映画の仕事と五月ちゃんで今埋まってんの」


 それは初耳である。

 そして、まさかその穴が埋まっているとも思っておらず、香坂はきょとんとしながらそれを聞く。


「でも偶に、足りなくなる時がある」

「そういう時は?」

「補充する」


 話し終えて目元へキスを落とす。

 それから唇へと戻り、舌を入れ吸った。

 在原は、妬いたり、妬かれて欲しかったり、疲れないのだろうか。声には出さず、その緑がかった瞳を覗く。

 愛されたくて愛したい。そんな気持ちをぐるぐる回し、そこから抜け出したくて香坂の元に来たのは成長なのか。

 如何せん、香坂は泉ではなく人間だ。いつか死ぬ、そして在原と離れる日が来るだろう。


「いつかあたしが死んだら、その穴どうなるの?」


 香坂から出た言葉に、在原は目を丸くした。たらればの話を二人の間でするのは珍しい。それも、香坂が振るのは特に。

 言ってから、後悔した。在原の顔が分かりやすく寂しげなものに変わったからだ。


「五月ちゃん、死ぬの?」

「まあ、いつかの話だけど」

「五月ちゃんが死んだら」


 在原は嘲笑った。自嘲だった。


「穴はきっと埋まって、俺はただのつまんない人間になって、映画撮るのも辞める」


 香坂は、その時の言葉と声と顔を忘れないだろうと思った。この先ずっと、どんな悲しいことがあっても、嬉しいことがあっても。在原を思う度、思い出す。

 目の前の、才能のある男をただの人間にしてはならないと。


「……それは困る」

「だろ? だからずっと一緒に居て。他の男のとこにも行かないで。俺が死ぬまで死なないで」

「それは分からないけど」


 え、と在原がしょんぼりした顔をするので、笑ってしまった。香坂はその広い背中を撫でる。


「どこかへ行く時は、道連れにしてあげる」


 その言葉に、在原は破顔した。



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