vol.00 スーツ


 某有名ホテル。煌めくシャンデリアをじっと見つめる香坂。夢の中にいるような浮遊感に、地に足がついているかと不安になり、視線を下げた。パンプスはきちんとベルベットの絨毯の上についている。

 今年公開された映画から最も優れた作品、俳優、裏方が選ばれる式。テレビ中継も入っており、日本中が注目する俳優たちの表彰式は全国で放送される。

 香坂の父、八代もここで最優秀監督賞と作品賞を取った。それを知ったのは八代が家を出たずっと後のことだったが。

 まさか、自分がここに立つことになるとは。ノミネートされただけでも、人生のお釣りがくるのではないか、とハンドバッグを握りしめる。

 着席している人々の中から、無意識に知った顔を探す。八代はいない、和久井は先程挨拶をした、知っている俳優たちは談笑している。

 ぽん、と肩を叩かれ、びくりと身体を震わせた香坂。振り向けば、逆に驚く洛間がいた。


「久しぶり、大丈夫?」

「ぼうっとしてました。お久しぶりです」

「お宅の監督もぼーっとしてた。それで香坂さんのこと捜してたけど」


 在原のことだ。目をぱちくりさせ、香坂は漸く現実へ戻ってきた。


「え、どこで」

「さっきは会場の外で見たよ」


 しかし、香坂が会場の中へ入る頃には見知った顔は無かった。中へ入って、また外へ出たのか、中にいるのか。


「でも、テーブル傍じゃないの、君たち」

「……まあ、そうなんですけど」


 その通りである。時間になれば着席するので、一生会えないということは無い。

 しかし、それが分かっているうえで在原は香坂を捜しているのだろう、とは分かっていた。だから、香坂も在原を捜しに行かねばならない。

 洛間と別れ、香坂は会場を出た。





 某有名ホテル。廊下を彷徨う在原を何人もの知り合いが呼び止めた。世間話や近況などを言い合い、在原のみがそこへ留まる。

 香坂を捜していた。

 同じ会場で、席も近いことは分かっていたが、そこへ行く前に捕まえたかった。

 こんなことをするくらいなら、昨夜一緒に会場に向かおうと約束を取り付けておけば良かったと後悔する。

 落ち着かない。こういう、発表の場は。

 在原は学生映画コンクールを思い出していた。香坂がランダムに入る前も、入ってからも、撮った映画を評価されるのは心臓が痛いほどに緊張する。

 この緊張から脱するには香坂が必要なのだ。在原には。


「在原」


 その声に顔を上げる。

 控え目な黒いレースのドレスに身を包み、黒い髪を巻いている。その耳に光るのは、乳白色の雫型のピアス。何かの折にそれを付けてくる姿を見て、可愛いと思わずにはいられない。

 香坂に近づき、肩にかかった髪の毛を一房掴む。くるりと巻いて、前に垂らす。


「完璧」

「あなたが捜してたって聞いた」

「え、誰から」

「洛間さん」


 よりにもよって、洛間。まあいい。在原は香坂と共に廊下の椅子に座る。

 香坂はどうして捜していたのか、何か用があるのか、とは聞かない。そのまま在原の顔を覗き込んだ。


「寝てないの?」

「……あんまり」

「遠足前の子供か」

「懐かしいな、それ」

「え?」

「言った本人が覚えてないのか」


 首を傾げたままの香坂に、在原は笑う。年月は過ぎたのに、こうしていると学生の頃のようだ。

 香坂は在原の繊細さを気にする素振りも見せず「ねえ」とヒールで地面をとんとんと叩く。


「会場入った?」

「いや、まだ」

「シャンデリアすごいよ」

「まじで?」

「まじで」


 そう言われれば、見ないわけにはいかない。嫌でも会場に入るのだから、目には入るのだが。

 在原は立ち上がり、香坂へ手を差し出した。それを掴んで立ち上がる。

 少しは気持ちが浮上した在原はするりとその手を離す。本日二度目、香坂が在原の顔を覗いた。


「なんか……」

「クリーニングの札ついてる?」

「違う。何か格好良い」


 走る衝撃。在原は口を開いたまま止まる。香坂はその要因に気付いたようで、はっと顔を上げた。


「スーツ」

「スーツ?」

「ちゃんとネクタイ締めてるの、久しぶりに見た」


 その言葉に在原は最後にネクタイを締めた日のことを思い出した。喪服の記憶が一番新しい。

 一人納得した様子の香坂は徐にハンドバッグから携帯を取り出した。


「え、何」

「ドニさんに送る。在原のスーツ姿は格好良いって」

「今までの姿はどうだったんですか」

「……普通?」

「だよな」


 逆に在原は香坂が何を着ていても可愛いと思っているのだから。

 しかし、出会ってから初めて香坂から「格好良い」と言われたので、在原は先ほどまでのどこか落ち着かない気持ちは吹っ飛んだ。


「五月ちゃん、ちょっともう一回言って」

「なにを? 普通?」

「そこじゃない。格好良い。ワンモア」

「あー格好良い」

「すげえテキトーじゃん」


 いつものように朗らかに笑いながら在原は香坂に肩を寄せる。違和感なく腰を抱き寄せてきたので、ぎょっとしてその顔を見上げた。

 なに、と口にしようとしたが、今までにない程上機嫌な様子に、まあいいかとそれを諦める。今日は珍しくきちんとスーツを着ていて素敵フィルターがかかっているので。


「棗見つけたら一緒に写真撮ろう」

「まずは二人で撮るだろ」

「うん。在原と棗」

「え、五月ちゃんとじゃなくて?」

「え、あたしと棗で撮るの?」

「俺をそこに入れてもらえる? 泣くよ?」


 肩口に顔を埋めてくるのが鬱陶しく、結局在原は追っ払われた。








*あとがき

 在原の誕生日。過ぎたけども。

 香坂から「格好良い」とは言われない在原が、唯一スーツ姿だけは格好良いと言われる。

 最初は長い喧嘩話にしようかと思ったのですが、流石に誕生日なのだから……と改心してこういうふわふわした話になりました。蛇足で続きも考えているけれど、いつか書く、と思いたいです。

 在原誕生日おめでとう。


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