vol.00 熱


 熱が出た。

 ぼんやりとした頭の中で、どこかに解熱剤があった気がするような、しないような気がしていた。香坂は枕元に手を伸ばし、充電器に繋がれているはずのスマホを取る。

 今日は在原と会う予定があった。私事ではなく、仕事で。その前に一緒に昼ご飯を食べるかと話していたのだが。


 バイブ音。


『もしもし、今日の飯どこ行く?』

「……今日、休む」

『どうした』

「風邪、ひきました」

『まじか、何度?』

「はかってない……」

『今から行く』

「いや、移るから来ないでください。今日の打ち合わせごめん……」


 今日の分でどれくらい遅れるのだろう。解熱剤の場所は。体温計は。

 電話口でバイブ音が聞こえた。


『あーちょっと電話でる』

「うん」


 在原は電話の向こうで、仕事用の携帯に出た。香坂との通話は切らず。

 香坂は薄暗い部屋の中で、在原が誰かと話すのを聞いていた。カーテンの奥は明るいのに開く気にすらならない。


『五月ちゃんが欠席なのは和久井さんに伝えとく。与寺さんには?」

「まだ……いやでも、自分で」

『病人は寝てろ。体温計あんの?』

「たぶん、あるはず」

『先に測っといて。かかりつけ医どこ?』

「病院行くほどじゃ……』

『早く教えてください』


 チャリチャリと電話の向こうで聞こえた。在原が車の鍵を回す音だ。

 香坂は観念して病院名を伝える。それから一旦通話が切られた。


 体温計を探しに、香坂はだるい身体を起こした。背中の悪寒に堪えられず、毛布を共に引きずる。

 最後に使ったのはいつだったか。ずっと熱なんて出していない気がして、記憶が遠くへいく。ありそうな場所を探した。

 あ、解熱剤もここら辺にあるのかもしれない。いくつかある薬の箱を取り出して眺める。


「お邪魔しまー……寝てろって言ってんのに」


 リビングに現れた在原が棚の前で座り込む毛布の塊を見て、呆れた声を出す。


「解熱剤ここにあった気がする」

「熱測った?」

「あ、体温計」


 すっかり頭から追い出された体温計。香坂がそれを取り出した。

 呆れた顔をした在原は香坂の背中に手を回し、膝裏を掴む。抱き上げられると察した香坂はじたばたともがいた。


「暴れるなら首掴まれ」

「自分でいける」

「はいはい」


 言いながら、在原は香坂を抱き上げた。

 観念して首に腕を回す。上体が固定されるだけで、ずっと運びやすくなるのだ。

 ソファーに香坂をおろした。毛布に包まった身体にベッドから持ってきた毛布を更に掛ける。

 体温計がピピ、と鳴る。取り出した香坂が見るより先に在原に取り上げられた。


「八度か……」


 確実に熱が上がっている気がした。




 病院にて診察を終える。在原の肩に香坂の頭が寄りかかる。残るは会計のみだった。


「五月ちゃん、横になる?」

「いい、頭うごかすと、痛い……」


 首を振ることすら諦めて、ぼそぼそと返事をする。

 大きな液晶画面に、番号が表示された。大きな病院では一人ひとり名前を呼ぶことはなく、番号で呼び出される。個人情報も保護され、目の不自由な人にも耳の遠い人にも配慮された工夫だ。

 ぼんやりと香坂はそんなことを思った。


「会計行ってくる」

「ん、後で払う」

「身体で?」

「馬鹿なの?」


 ケラケラ笑う声が心地よく、香坂は目を閉じながらずっと聞いていたいと思った。しかし、そういうわけにもいかない。



 ぐちゃぐちゃ、ばりばり。聞き慣れない音に、顔を上げる。

 真っ暗な部屋で誰かが動く気配がした。目を凝らす。足の裏がじわりと濡れている感触。これは知っている匂いだ、血の匂い。

 ぎろりと動くものがこちらを睨む。どこが目なのか分からないのに。怖くて、それを直視することができない。ポタポタと、何かが滴る。血が、滴る。

 ソレが咥えているのは腕だった。


「五月ちゃん、五月」


 声に導かれて意識が浮上する。部屋は明るく、視界に在原が見えた。


「大丈夫か」

「怖い、ゆめみた……」

「すげえ魘されてた」


 抱き上げられた時とは逆に、その肩口に額を寄せた。在原は背中を静かに叩く。


「どんな夢?」

「誰かが腕食べてて、こっち見てた……」

「五月ちゃんの腕?」

「ううん……」


 視界に時計が入った。香坂は窓の外へと視線を向ける。


「打ち合わせは?」

「行った。和久井さんがお大事にって」

「そっか、すみません……」

「はいはい。何食う?」

「要らない……喉痛い」

「ゼリーなら買ってきたけど」

「桃?」

「桃と葡萄と蜜柑」


 何故そんなにいっぱい、と香坂は少し笑った。その顔を見て、在原は安堵する。

 ベッドに座り、桃のゼリーの蓋を開ける。上体を起こしながらその様子を見た。プラスチックのスプーンも袋から出してくれる。

 透明で桃の風味のするゼリーを掬う。果実の部分は咀嚼が面倒なので避けた。ちまちまと口に運ぶ姿を見て、在原は手を香坂の額に当てる。


「なんで熱出てるときって桃食べたくなるんだろうね」

「俺も同じこと思ってた」

「葡萄と蜜柑も買ったのに?」

「桃の次に葡萄がくるから。蜜柑食べられたら元気な証」

「なにそれ」


 ふふ、と笑う。額から頬を撫でた。


「在原の腕じゃなかった」

「まじかよ、分かんの」

「うん。わかる」


 プラスチックのスプーンがカチ、と歯に当たる。頬から項へと手が移動した。在原の目は、香坂の赤い唇へ囚われたまま。


「キスさせ、」

「駄目」

「ええええ」

「てか離れて。風邪移ったら和久井さんに申し訳なさすぎる」

「はいはい、水持ってくる」


 PTPシートを外し、ゼリーを食べ終えた香坂に渡して、在原は立ち上がった。

 すっと離れる体温に、無意識に視線を向ける。


「在原、あの」

「ん?」

「……ありがとう」


 在原が居なければ今日一日熱で苦しんで過ごしただけだっただろう。病院に行けたのもゼリーを食べられたのも、在原のお陰だ。

 それに対して、朗らかな笑顔を見せる。


「どういたしまして。元気になったら映画行こーぜ」


 その言葉に香坂は肩を竦めた。









 熱が出た。

 在原は夢と現の間を行ったり来たりしていた。身体は熱いのに、背中は寒い。毛布を二枚もかけているのに、だ。


「在原、着替えとおじや」

「……あっつい」

「冷える前に脱いで、ほら」


 香坂はサイドテーブルにお盆を置き、上体を起こしてぼんやりする在原の服のボタンを外す。


「きゃー脱がされちゃう」

「そんな元気があればもう大丈夫ですね」

「嘘ですごめんなさい」

「これ濡れタオル」


 熱々のタオルを渡し、香坂は剥いだ服を洗濯に出す為に立ち上がろうとした。ぐっとその腰を掴まれてベッドに戻されるまでは。

 ぽす、と後頭部が在原の肩にぶつかる。


「なに?」

「背中、やって」


 熱々のタオルも戻ってくる。香坂は在原の後ろに回り、上から拭いた。こうして背中を見ることが無かったので、大きいと感じる。実際、大きいのだが。

 背骨がごつごつしている。いや、これは骨ではなく筋肉か。香坂はぺた、と何も持たない左手で触れた。

 瞬間、びくっと揺れる身体。

 あ。と、香坂はそれを離す。同時に肩越しに向けられる視線。


「さーつーきーちゃーん」

「ごめん出来心」

「とんでもねえ心だよまったく」

「背中感じる?」

「やめろまじで」


 絶望的な顔をする在原、一方で面白いものを見つけたという顔の香坂。在原は香坂からタオルを取った。

 前を自分で拭き始めた在原に、香坂は後ろから抱き着いた。ぴしりとそれに固まる。


 なんだってこの女は。


 すり、とその背中に頬を寄せる。


「こら」

「在原の背中大きい」

「五月ちゃんのデレのタイミングが悪すぎる。それ今? 今じゃなくね?」

「デレてはない」

「俺の中じゃ充分」


 はー、と溜め息を吐く。熱に加えて香坂への対応で疲れが増す。いや疲れというか、悶々さというか。

 そして、そう考えていても自分から香坂の腕は振り解けないのだ。こんな可愛い態度これかあるのか、いやあるだろうけれど。この一瞬も宝だ。

 香坂もそれが分かってやっている。今は有原が簡単には手を出せないだろうという打算ありで、煽っていた。

 腹筋辺りを遊ぶ冷たい指を掴む。


「五月ちゃん」

「ん?」

「下もやってくれる?」


 そこへ移動させる。固くなったそこへ布越しに手が触れた。それだけで出そうになる。

 なぞるように触れる。扱いてもいないのになんでこんなに気持ち良いのか。熱で思考が焼き切れそうだ。香坂の顔が見たい。結局、腕をとってベッドに押し倒す。

 こちらを見上げる潤んだ目。口付けをしたら移るよな、と最後の理性が働く。首筋に顔を埋めて服に手を入れ胸を揉み込む。感じる香坂の声が脳天を揺らした。


「あ、両方、だめ……っ」


 両の尖りに触れるとガクガクと腰が揺れる。何か、違和感。

 いや、そんなことないか、と在原は手を進める。背中を通り、臀部に行き着く。もう既に下着が泥濘んでいた。


「これいつから?」

「もう、はやく……」

「かわい」


 早くと言われて昔はそれに応えていたが、香坂に対してそんな甘えたことはしない。泥濘んだ下着越しに触れる。それから、直接。

 喘ぐ声を聞きながら下着ごと膝までおろした。どうせどちらもぐちゃぐちゃなのだから、と在原は自分ので貫こうとして、ゴムがないのを思い出した。いや、あるにはあるが、この部屋にない。ここで取りに行くのは滑稽だろうか。


「ねえ、焦らさないで……」


 なんだこの違和感。

 残った理性の欠片が在原の心を刺す。しかし、可愛い彼女がこう言っているのだ。先程まで弄っていた場所に自分のそれを擦り付ける。


「え、あ……っ」

「ごめん、今日はこれで我慢」


 する、か?

 して、か?


 その答えが出るより先に、腰をグラインドさせる。ずるりと感じる場所に擦込まれ、香坂の腰は動いた。やっぱり、違和感。

 熱でぼんやりとした頭はそれを増え拾いきれず、在原はただ快感を受け、出した。どろりとした眠気に襲われる。

 そういえばおじや、食ってないな……。

 サイドテーブルへ視線を向ける。そこに置かれていたはずの皿がない。

 違和感の正体……。
















「在原、おじやと薬」


 その言葉で目が覚めた。ばっと起き上がり、香坂の姿を目に止める。


「すごい汗だけど。怖い夢でも見た?」

「え」

「着替え持ってくる?」

「さ、つきちゃん」


 ん? と傾げられる首。

 そして覚える、下着の中の不快感。


 さーっと青くなる在原を見て、さらに怪訝な顔をする香坂。


「何の夢みたの?」


 そんなに怖い夢か、と心配までする。


「あの、罪悪感で死にそうになる夢……」

「そんな叙情的な」

「確かに、なんか言葉が馬鹿っぽかったというか……」

「誰の?」

「はあ……ごめん」

「誰に対する謝罪?」


 エクスクラメーションマークを頭に浮かべ、香坂は眉を顰めたまま。

 中学のときに見たAVに酷似していた気もする。女優が似ていたのかどうかは忘れたが、こんなシチュエーションだったような。台詞が一辺倒だなと頭の片隅で思っていたのを覚えていたのだろうか。

 いやだからといって、それを香坂に重ねて性欲を吐き出すって……。

 悪くなかったけど。全然、香坂らしくもなかった。編集できるならもっと感じるとことか……。

 香坂を見る。いや、罪悪感で死ぬ。


「あの、ごめんなさい」

「え、何?」

「とりあえずシャワー浴びてくる」

「身体冷えるんじゃない?」

「流すだけ。すぐに。それからおじや食べる」

「なんか熱下がった? 顔色良くなった気がする」


 顔を覗き込まれ、在原は力なく笑った。


「それは五月ちゃんのお陰だな……」


 一体何をしたというのだ、と香坂は再度首を傾げた。







*あとがき

 熱を出す二人の話。

 香坂は怖い夢をみる、在原は煩悩に塗れた夢をみる。在原はそういう目的でAVを観るのは中学で終わってる気がする。あとは友人に勧められたのを面白半分に観てそう。高校からオトモダチがいるので。

 香坂が熱を出すと怖い夢をみるのは昔から。実家に居た頃は押入れから血が流れ出るという夢をよくみた為、一時期開けられなかった。ちなみに腕を食べていたのはヤレアハではない。

 長いな。

 ところで僕誕生日おめでとーう!!(自分で祝う)



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