vol.00 食べてやる


 五月ちゃんが帰ってきました。

 手を洗って、洋服を着替えて、テーブルに散らかるメモたちを少し整えて何かを書き始めています。

 ぼくは五月ちゃんの家のツキノワグマ、ヤレアハといいます。



 ぼくは秋口、五月ちゃんの家にきました。大体の定位置はベッドの上か、サイドボード。たまに落ちて床にいます。日中は気付かれず、寝るときに五月ちゃんにひろわれます。

 五月ちゃんは小説が好きみたいです。書くのも、読むのも。夜遅くまで小説を読んでいたりします。かと思えば、朝から晩までドラマや映画をみていたり。


 ぼくが来て二度目の冬、五月ちゃんが家に帰って玄関で蹲っていました。男性の声がしたので、きっと在原くんでしょう。在原くんはたまに眠った五月ちゃんを運びに来ます。五月ちゃんの寝顔をじっと見てから、ぼくの頭を撫でて、自分も寝て帰ります。


 どうしたの、五月ちゃん。

 靴も脱がないまま。

 お腹が痛いの?


 暫くして五月ちゃんは立ち上がり、ベッドに座るぼくを見て、「ただいま」と言いました。

 五月ちゃんは全然ぼくに話しかけたりはしないけれど、行ってきますとただいまだけはちゃんと目を見ていってくれます。


 おかえり、五月ちゃん。

 目が赤いよ。泣いているの?


 その日から五月ちゃんは、座ってぼーっとしていることが増えました。テレビが点いているし小説を持っていることはあるけれど、なんだかぼーっとしていて。一番変わったことは、書くことをしなくなったのです。あんなにいっぱい書いていたのに。

 眠るとき、ぎゅっとぼくを抱きしめて、泣いている夜もありました。


 五月ちゃん、何かあったの?


 もしもぼくの腕が動いたなら、その涙を拭ってあげられたのに。

 もしもぼくが喋れたら、その話を聞いてあげたのに。

 もしもぼくが本物のツキノワグマだったら。


 学校から帰った五月ちゃんはぼくにただいまも言わず、どこかに電話しました。


「明日、帰っても良い?」


 電話はすぐに終わり、五月ちゃんはクローゼットから大きなバッグを出して、色んなものを詰め始めました。

 それからやっと、ぼくに目を向けます。

 「連れてく」とひとこと。

 そしてぼくはそのバッグに小説や洋服と共に詰め込まれたのでした。



 次に五月ちゃんの顔を見ることができたのは、全く知らない部屋でした。でも五月ちゃんの匂いがします。五月ちゃんは部屋でずっと小説を読んでいます。

 ご飯の時間になると、お母さんが来ます。五月ちゃんのお母さんの家なのかな?

 ある夜、五月ちゃんはぼくを抱きしめて眠って、何か怖い夢を見ているようでした。苦しいのか呻いて、涙を流しています。


 五月ちゃんはぼくに名前をくれました。ぼくを大事にしてくれました。在原くんも良い人だとは思うけれど、ぼくは五月ちゃんと一緒に眠ることができるのがうれしいです。


 ぎゅっと抱きしめる力が強くなり、五月ちゃんの上に跨り、首を絞めようとするぼんやりとした姿が見えました。五月ちゃんの夢でしょうか。顔は分かりません。男なのか、女なのか。

 でも、五月ちゃんを苦しめるなんて赦さない。


 五月ちゃん、いまぼくが、助けるよ。


 ぼくの口が大きく開き、その首を絞める人間へがぶりと噛み付きました。ばくばくとそれを食べます。真っ赤な血と、皮膚を破き、骨を噛み砕く音、鉄錆の匂い。ぺろりと口の周りを舐めました。


 ぼんやりと五月ちゃんがこちらを見ています。

 夢から覚めたみたいです。


 怖い夢を見たんだね、五月ちゃん。

 大丈夫だよ。ぼくが守るから。


「ヤレアハ……」


 泣きながらぼくの顔に顔を埋めるので、涙がぼくの毛に滲みていきます。ほっぺたにちゅーしてくれているのがちょっと嬉しいです。


「ありがとう……」


 眠かったのでしょう。すぐに五月ちゃんは寝てしまいました。











 在原くんがぼくを見ています。じっと。

 五月ちゃんがぼくを抱いて眠るので、その背中側にいる在原くんと目が合ってしまうのです。

 在原くんはにゅっと腕を伸ばして、ぼくを掴みます。


「……ん」

「何故目を離すとヤレアハを抱いてんだよ」

「あ、返して」


 掴みあげられたぼくは在原くんの手に寄って宙ぶらりんになり、五月ちゃんはそれに手を伸ばします。

 腕のリーチの差で、最終的に五月ちゃんは起きてぼくを腕に戻しました。


「……ヤレアハと一緒に寝ると、怖い夢みないの」

「子供か」

「食べてくれたんだから」


 五月ちゃんはぼくを抱いて、在原くんの方を向きました。


「食べる?」

「すごいリアルだった。血とか出て」

「ツキノワグマこえーな……俺は遠慮しとく」


 遠慮されなくても、在原くんのことは守ってあげられません。ぼくは五月ちゃんだけを守ります。


「まあでも、よくやった、ヤレアハ」


 ぽん、とぼくの頭を撫でてから、在原くんは五月ちゃんを抱き寄せました。ぼくは二人の間に挟まれて少し苦しいのですが、幸せです。








*あとがき

 ヤレアハが食べたのは佐田なのか、荏原なのか、カラオケの男たちなのか、将又作者なのか、誰にも分かりません。

 在原のとこに貰われなくて良かったな、ヤレアハ。


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