vol.00 面影


 駅前の店が数軒潰れ、タピオカ屋が出来ていた。ここにも進出したのか、と在原はそれをじっと見る。


「タピオカ好きなのか?」

「いや、ついに来たなと思いまして」

「何がだよ」


 上司である手賀沼に突っ込まれる。

 社会人になった在原は、仕事で香坂の地元に来ていた。

 ここに来たのは、香坂を追いかけたあの学生ぶりだ。あの時と違うのは今の季節が夏ということだ。

 仕事が終わり、それぞれホテルに戻る。夕飯はどうするか、という話になり、在原が声を上げた。


「俺、別行動でも良いですか?」

「愛人にでも会いにいくのか?」

「違います。友人の実家が小料理屋やってて、ちょっと挨拶してこようかなと」


 バスでどれほどだったか、と在原は思い出そうとした。


「よし、俺らも行こうぜ」

「いや、駅から遠いです」

「バスなら大丈夫だろ。電話しとくか、店の名前教えてくれ」


 あの店ならこの人数は入るだろうと考え、在原は店の名前を伝えた。





 小料理屋、さみだれ。


「いらっしゃいませ」

「すみません、電話した手賀沼です」


 手賀沼を初めとしてぞろぞろと男が入っていく。久しぶりに入った店は少しも変わっておらず、常連のご近所さんたちの顔ぶれも変わっていなかった。


「座敷にどうぞ。今お通しを出しますね」

「ありがとうございます」


 最後に入った在原を目に止めた香坂雨音。香坂の母親だ。

 その姿も変わっていない。


「お久しぶりです」

「あら……あり……在原くん」

「在原です」


 思い出してくれたことに安堵する。雨音は笑って向こうに戻っていった。

 手賀沼はドリンクの書いてある紙を捲る。


「地酒がある……!」

「お、手賀沼さんの御眼鏡にかなったな」

「こういう壁にメニュー書いてある店あんまり見なくなったよな」

「この出汁の香りだけで飯食えます」


 各々好きなものを注文し、間もなく料理が並んだ。考えてみれば、こうして店の料理を初めて食べるなと在原は思い返す。前回来たときに食べた朝食は絶品だった。

 勿論、料理は全て美味しかった。手賀沼や先輩が地酒を片手に業界の未来について語り始めたのを聞いていると、皿を下げにきた雨音と目が合う。


「出張でこっちに?」

「はい。近くまで来たので」

「寄るような店じゃないのよ」

「すみません」

「冗談よ、来てくれてありがとう。五月とはまだ連絡取ってるの?」


 仕方なさそうに笑って、雨音は静かに皿を重ねた。

 在原はそれに返答しようと口を開いたが、先の客に雨音は呼ばれ、顔をそちらに向ける。はーい、と返事をした。


「じゃあ、ごゆっくりね」

「はい」


 宴も酣。

 手賀沼が会計を持ってくれるとのことで、口々に「ご馳走さまです」と頭を下げた。在原もまた同じく。


「ご馳走さまでした」

「ありがとうございました、お気をつけて」


 雨音は外まで出て、一行を見送った。

 在原も頭を下げた。




「もしかしてモトカノ?」

「え、何がですか?」

「いやさっきの小料理屋。モトカノの実家?」

「俺も思った。五月って女の子じゃん」

「違います。サークルの脚本やってた仲間の実家です」

「なーんだ」


 後ろの席から好き勝手な言葉が飛んでくる。


「わ、すげえ……」

「あれ無いと死ぬらしいです。あと鈴」

「確かに見えなかった」


 在原はあの日、夜にコンビニへ行ったことを思い出した。香坂が反射材を貼りまくったトートバッグを持っていたことを思い出す。

 走っている男性のウィンドブレーカーに反射材が貼られていた。バス車内の全ての視線がその男性へと向かう。


「え、鈴?」

「熊が偶に出るって言ってたような」

「熊……」


 しかも今は夏。冬よりも出る確率は高い。とんでもない場所へと来てしまったのでは、と在原以外の思考が纏まった所に、携帯の着信音が響く。

 手賀沼が電話に出た。


「もしもし、はい、……ああ! え、はい、ちょっと待ってください。お前ら携帯持ってるか?」


 ドキドキと嫌な鼓動を感じながら、各々携帯の所在を確認する。

 「あ」と在原がありとあらゆるポケットから、バッグの中を探して声を漏らした。


「……俺無いです」

「店にスマホあるって」

「おいおい」


 隣に座った先輩が丁度止まったバス停を見る。


「どうする? 戻るか?」

「俺だけ戻ります、まだバスあるんで」

「馬鹿お前、死ぬかもしんねーぞ」

「そんな、ゾンビの町じゃないですよ」

「じゃあこれを持ってけ」


 手賀沼の隣に座る先輩がバスを降りようとする在原にそれを差し出す。


「熊よけの鈴。上のところ捻ると音が出る」


 全国津々浦々とする仕事でもあるため、熊よけ鈴を持っていた。在原は受け取る。


「……ちゃんと返しに来いよ」

「変なフラグ立てないでください」

「じゃーなー、気をつけて」


 はーい、と在原とバスは反対方向へと出発した。

 ふと、車内の一人が口にする。


「在原、携帯持ってないってことは何かあったら連絡できなく無いですか……?」


 末恐ろしいことを。






 当人は特に気にせず、来た道を戻っていた。反対方向のバス停はまだ見えない。チリンチリンと、思ったより高音な熊よけ鈴を携えて。

 バスを乗り継いで目的地へ向かう番組が昨今多くなった理由が少し分かる気もした。この不安さが視聴者のワクワク感を盛り上げるのだろう。

 在原は考えながら、街灯に照らされたバス停でぽつんと待つ。まだ終バスでないことが唯一の救いだ。

 夏の夜空に星は輝いていた。カメラをまた持ってくるのを忘れたことを思う。暇を潰すものがなく、ぼんやりとドニの娘のアリサを見に行ったときのことを思い出した。




「へえ、五月ちゃんの元彼結婚したんだ」


 トイレから帰ると、その話題になっていた。


「田舎は結婚早いので」

「てか律儀だね、連絡入るなんて」

「田舎は情報早いので」

「田舎嫌いなの……?」

「香坂さんの元彼ってどんな人なんですか?」


 苦笑いする千代に代わって、ドニが尋ねる。在原は静かにアリサの傍らに座り、寝顔を見た。


「よく本を読んでる人でした。それからよく本を貸してくれました」

「へー! インテリ系かあ」


 千代が在原を見る。


「真澄くんの元カノって結婚したとか知ってるの?」

「……さあ? してないのか、それともしてても連絡がこないだけなのか」

「相手も在原に祝われても気まずいのでは?」

「え、待て。五月ちゃん、その男の結婚式出んの?」

「出るよ。高校の同級生もいるし」


 は? と在原は怪訝な顔をした。

 言い合いになりそうな予感を察知して、口を閉ざすドニ夫妻。


「それこそ気まずくね?」

「いや、新婦も同級生だから、変に気を遣うと更に気まずい」

「どうすんの、新郎と五月ちゃんが再会して再熱したら」

「あたしが教会の扉でも開ければ良いの?」

「そして駆け落ち」

「そういうのは在原に任せる」

「やめろ、任すな」


 在原は言いながら、自分がそうなる想像をしてしまった。そんな末恐ろしいことを。

 複雑そうな表情をしたのを見て、香坂は笑った。笑顔は可愛いのだから、狡い。





 車のクラクションの音に、現実へ戻る。反対車線に止まった車の運転席から、雨音の顔が見えた。

 女神だ。

 在原は道路を渡って車に近付いた。


「はい、忘れ物」

「すみません。店、大丈夫ですか?」

「今日は平日だから早めに閉めてるの。駅まで送ってあげる」

「いや、バス待ちます」

「良いから乗りなさい。子供が大人に遠慮なんてしないの」


 子供扱いをされた。

 会社では雨音以上の年齢の同僚と働いているというのに。

 それが少し可笑しく、笑いながら在原は車に乗った。


「あなた元気なの? やつれた気がするけど」

「身体は健康です」


 答えながら在原はシートベルトをつけた。


「大変ねえ」

「まだ下っ端なので」

「身体と心は大事にするのよ」

「……香坂さんと喋ってると、五月ちゃんを向こうに感じてこう、懐かしくなるというか」

「前もそれ言ってたわね、私が五月に似てるって」

「失礼なことばかり言ってすみません」


 失礼かどうかは兎も角、それは在原の本音だというのは分かる。雨音は前を見ながら笑い、口を開いた。


「まだ五月と仲良くしてくれてるの?」

「寧ろ俺が仲良くさせてもらってます」

「あの子、まだ物語書いてるの?」


 その質問にどう答えるべきか迷った。いや、迷いというより躊躇いがあった。

 その返答によって、何か大事なものを大きく捻じ曲げてしまわないか。


「別に、やめなさいなんて今更言わないわよ。ただ続けてるのかなって」

「……どうですかね」


 絞り出したような答えに、雨音は噴き出した。それに驚き、在原は隣を見る。


「嘘下手ねえ」

「偶に言われます」

「物語ってフィクションでしょう。作り手として大丈夫なの?」

「物語は確かにフィクションなんですけど、嘘では無いんですよ……あくまで俺の中ですけど。そこはそこで、現実が続いていて……まあ今創作してないんで、説得力はないんですけど」


 最初に映画を撮る話を香坂に持ちかけた際、そこの擦り合わせをしたくて話したことがある。香坂も同じことを言っていて、本当に良い脚本家を捕まえたと感じた。


「ねえ、五月はあなたが来るの知ってるの?」

「いえ、来れるか微妙だったんで言ってません」

「じゃあ内緒にしとくわね」

「別に……」

「在原くんが五月を好きだってこと」

「よろしくお願いします」


 即答した。何故ばれたのかは分からない。

 というか、いつ気付かれたのかも分からない。

 駅の近くのホテルまで送ってもらい、在原は礼を言って降りた。


「じゃあ仕事、頑張ってね」

「はい。香坂さんも、身体に気をつけて」

「お互い、五月によろしくね」

「……はい」


 頭を下げ、戻っていく車を見送る。

 それから、後悔した。

 香坂の元彼がどんな奴だったか尋ねるのを忘れたことを。








*あとがき

 実は下りの終バスは終わってます。なので雨音が来てくれたのでした。社会人二年目あたり。在原は声がよく通る人格なので、今まで嘘を吐かずとも渡り歩いて来られました。そこが彼の良いとこでクズなとこでもあります。という話。




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