vol.00 ネコミミ
在原恵はアイスコーヒーが来たタイミングで口を開いた。
「真澄のどこが良かったの?」
ぶっちゃけ、と付け加えられる。香坂はアイスティーの黒いストローに指を添えながらその質問の答えを考えた。
「んー……」
「顔? 身長? 中身?」
「んんー……」
「よく映画監督になるって男と付き合えるねえ」
それは親として言って良いことなのだろうか、と香坂はぼんやり考える。確かに在原の周りのきちんとした女性たちは口を揃えて「在原って顔も性格も仕事も言うことはないのにクズ」と言う。母親としても同じなのか。
それもそれで……。
「五月ちゃん?」
その声色が在原に似ていて、香坂は顔を上げる。
「あたしも小説書いてるんで、人の職業のことを兎や角言えないです」
苦笑する。それから、ストローで氷をかき混ぜた。
本日、在原の映画が公開されたので二人で観に行った。恵から連絡があり、香坂は誘われた。
「え、二回目だったの?」
「はい。三回は見る予定なので」
「へえ……映画好きな人ってすごいね」
良い映画は何度観たって良い。香坂は在原と一緒によく映画を観に行くが、各々一度目だというわけではない。何度目の映画に誘うのも、誘われるのも躊躇はない。二人とも、一度目の気持ちで観に行くからだ。
「こんな場所に映画館ってあるんだね」
「ミニシアターという感じですよね。リバイバル上映を主にやってるそうです」
「五月ちゃんって映画館詳しいの?」
「いえ、在原から聞きました。あ、真澄さんの」
「いーよ、在原で。そっかあ、真澄が映画の話できる彼女か……」
しみじみと恵は言った。香坂は振り向き、少し首を傾げる。
今までの彼女には映画の話は出来なかったのか、否か。
今日、恵が来るまで香坂は人見知りを発揮していた。在原伝いに恵から連絡が来ても気分が重く、在原からも「無理して行かなくても良い」と言われる程だった。しかし、ひらひらと手を振る姿がどこか在原と重なり、香坂はふっと力が抜けた。
「在原の歴代の彼女、どんな感じだったんですか?」
在原本人に尋ねたことはない。訊いたら自分も尋ね返されると考えたし、そこまで今までの在原の恋人たちに興味はなかった。
しかし、恵の在原の彼女に対する評価は気になった。
「真澄のこと大好きーって感じかな、私が知ってる分には。でもそういう子に限って長続きしないの」
「ああ」
「愛されたいくせに、実は愛したい子だからね。面倒くさいことに」
なんだ、母親にもそれが知られているのか。香坂は肩を小さく竦めた。
映画を観た後、駅に入ったカフェでお茶をした。そして話は冒頭に戻る。
「在原って家で映画の話するんですか?」
「葉澄……兄がね、映画好きだから結構話してたかも」
「あ、そっか。大学で家出てますもんね」
「そうそう。追い出したの」
ひひ、と悪戯な笑顔。追い出した、という不穏な言葉。
一口アイスティーを飲む。ちょうど学校が終わったのだろう。高校生たちが窓を隔てた向こうの道を並んで歩いていく。
「家賃三万に、水道光熱費五千円でしたっけ」
「ええ、聞いたの、うちの家賃」
「学生の時に言ってたの、思い出しました」
「そうでもしないと家から出なさそうだったんだもの。あんな大きい壁が二枚も家にいるの想像してみて? 窮屈ったらないんだから」
香坂は恵の言葉を聞きながら、漸く納得した。そうだ、この口調、女子高生。
スクールバッグに大きいマスコットをつけて歩いていく高校生たちを目で追った。
「そんなに家から出したかったんですか?」
「真澄が浪人して大学の法学部行くって言った理由、何だったと思う?」
在原は映画学校に行きたいと思っていた。しかしそれを諦め、国公立大学の法学部へ進んだ。高校三年の秋に恵が過労で倒れたからだと香坂は聞いた。
恵は仕方なさそうな顔をして、肩を竦める。
「『法学部行ったらモテるから』だって」
香坂は、ふ、と声を漏らしてから、はは、と肩を震わせて笑った。
「在原らしいです」
「全く馬鹿なんだかアホなんだか」
「きっと恵さんが心配なの、言えなかったんでしょうね」
「……だからね、家から追い出したの。他人を理由に、自分の夢諦めるなんてね。それこそクズのすることだから」
「あたしもそんなことしたら、自分のある語彙全て使ってぼっこします」
「ぼっこします?」
「あ、なんでもないです」
笑って誤魔化す。
恵はアイスコーヒーを飲み、頬杖をついた。
「なんか、真澄が五月ちゃんのこと好きな理由は少しわかっちゃった」
「え」
「それで、五月ちゃんは真澄のどこが良かったの?」
う、と言葉に詰まる。その話題はまだ続いていたのか。
戸惑うように香坂はストローを吸う。
どこだろうか。そもそも、どこと答えられるようなところが好きなのだろうか。
在原の最近の言動を振り返ってみる。
例えば、この前。仕事終わりに香坂の家にふらりとやって来た。珍しいな、と迎えれば、紙袋を渡された。飲んできたのか、いつもより体温が少し高い。
「これを、あげます」
「……要らない」
「せめて中身を確認してから却下して」
在原が靴を脱いでいる内に、香坂は怪訝な顔をしながら紙袋の取っ手を開いた。中には透明なビニール袋の中に洋服のようなもの。
……ホワイトキティ。
白いキャミソールと、白い猫耳カチューシャが入っている。
ぱっと在原の顔を見上げる。
「めちゃくちゃ引いた顔すんな。俺はビンゴ大会の景品を押し付けられただけだ」
「それをあたしに押し付けてる自覚はあります?」
「考えてみ? 俺の部屋にそれあって、五月ちゃんが見つけたらドン引きもしくは喧嘩の種だろ」
「今だって十分引いてます」
「……猫耳くらいつけてみない?」
「それやりたくて持ってきたんでしょ」
「正解」
正解も何も、全部口にしていた。
香坂は付き合ってられない、と紙袋を玄関に置いて寝室に戻った。もう寝ようとしていたところへ、在原の訪問が滑り込んできたのだ。
ベッドの毛布の中に潜り込んだ香坂の後に、在原はやってきた。ぎしりとベッドに乗り上げる。
「……五月ちゃん」
「寝てる」
「絶対可愛い、猫耳」
香坂は目を閉じながら、これはやるまで退かないやつだ……と溜息を吐いた。眠った後に無理やり猫耳をつけられるよりは、自分でつけた方が良い。他人と付き合うと譲歩を覚えるものだ。
起き上がり、在原の方を見上げた。きらきらと期待のこもった視線を送ってくる。
「……三十秒で取るから」
「着る? 着る?」
「着ない」
言質はとった。在原は既に持っていた猫耳を香坂につけた。
「……可愛い」
「……もういいでしょ」
「ちょ、こっち見て」
下げていた視線を上げる。アラサーにもなるのに何をしてるんだ、と冷静な香坂が呆れた声で言ってくる。いやでも、在原が嬉しそうにしているし、とそれを宥める声。
「にゃーって言ってみて」
「……にゃ、」
鳴き声は飲み込まれた。重なった唇と共に、押し倒される身体。
後はお察しの通り、だ。
一連の流れを思い出し、香坂はまた後悔に襲われた。あの後、在原に尋ねた。
「……コスプレ好きなの?」
「え、全然?」
「じゃあなんで耳……」
「あー、五月ちゃんが嫌そうな顔しながらやってくれるのが良い」
よく分からない。
香坂には在原を理解出来ない部分がある。
いや、それが良いのかと言われてもう頷けない。その被害に遭っているというのが正しい。
まあ、結局承諾するのは香坂なのだが。
「……朗らかに笑うとこですかね」
「へーなるほどねえ、真澄の笑顔」
ふむふむ、と頷いて恵はアイスコーヒーを飲み干した。
香坂は未だに猫耳の後悔を引きずっていた。家に帰ったら絶対捨てよう、絶対。
そう固く、心に決めたのだった。
*あとがき
猫の日はとうに過ぎていた……。
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