vol.00 バレンタインデー


 二月十四日、バレンタインデー。

 生まれて23年目、在原真澄の誕生日である。


「お前すげー日に生まれてるよな」


 大学の友人、河地に言われた。

 誕生日プレゼントと義理チョコの数々を前に肩を竦める。結局両手で持てなくなり、購買部からいらない段ボールを貰い、そこに入れていくこととなった。


「在原くん、義理チョコねー」

「あと誕生日おめでとー」


 大学四年で、校舎にいるのは卒論発表のある学生や面接終わりの学生。スーツ姿がちらほらいる。

 食堂の一角。他の学部の女子が通りかかっては、その段ボールにチョコレートやら誕生日プレゼントやらを入れていく。

 義理チョコにわざわざ名前を書く女子もおらず、放り込んでしまえば誰のかは分からない、が、在原は一応全て記憶していた。その才能を他に使うべきだとは誰も言ってはくれなかった。……後に香坂が言うのだが。


「つか誕生日プレゼントがなくてもチョコが既にその役割してるだろ」

「え、誕プレにチョコ要らね……」

「贅沢言うな」


 ぴしゃりと跳ね除けられる。河地は在原のついでに貰える義理チョコを有り難く受け取っているというのに。


「本命は?」

「やんわり断ってる」

「誕生日に告白されるってどんな贅沢だよ……」

「誕生日に告白を断る辛さを知らない方が贅沢だろ」


 お互い、溜息を吐いた。






 時は流れ、26年目のバレンタインデー前日。

 静かな部屋に玄関のチャイムが鳴る。ドラマを見ていた香坂がちらと時計を見た。宅配便では絶対にない、とすれば。

 本棚に放置していた携帯が何件かの着信を報せていた。珍しい、ドニだ。

 それを確認しながら立ち上がれば、ドニから電話がかかってきた。


「もしもし」

『遅くにすみません、寝てましたか?』

「いえ、起きて……」


 インターホンの映像を見ると、電話の相手がいた。隣に大きい人物を抱えて。

 すぐに香坂が玄関を開けると、ドニは苦笑いをしながら立っていた。香坂も思わず苦笑いを返す。


「何かすみません……」

「いえ、こちらこそすみません。真澄くんが言った住所がここで」


 ということはタクシーでここまで来たのだろう。香坂は入口を開けた。在原は完全に落ちているのか、何も言葉を発さない。

 このままどこに追い返すわけにもいかず、ドニに玄関に置いてもらう。


「どのくらい飲んだんですか?」


 確か高校のときの部活の集まりがあると聞いていた。香坂は壁に寄りかかる在原を見る。どこの飲み会でも酔い潰れることは殆どない、というか見たことがない。

 一度、上司たちと飲んだ後に香坂の家まで来て倒れた。あの時はよくここまで歩いて来られたなと思ったが、今回は無理だったらしい。


「……一軒目では普通に飲んでたんですけど、二軒目の途中からゲームが始まりまして」

「ゲーム?」

「酒双六みたいな……止まったマスに書いてある酒を呷るゲームでして」

「ああ……弱そう」


 酒に、ではない。

 ゲームに、だ。

 在原はゲームに関して下手というのも勿論あるのだが、運がないというのも半分ほど占めている。ドニの娘、アリサを交えたトランプでも負けることが多い。

 ドニもそれを知っており、香坂の言葉に笑う。


「テキーラをショット、7杯でゴールしました。あとこれ、真澄くんのです」


 ドニが肩に掛けていた紙袋を玄関に置いた。透明なビニールにラッピングされたチョコレートが中に見える。


「部活の女子たちからです、全部義理」

「本命だってしれっと貰ってきそうですけど」

「相変わらず、香坂さんの真澄くんに対するそういう信頼度ゼロですね」

「ゼロは何をかけてもゼロですから」


 尤もである。

 ドニが帰り、香坂は後悔する。ベッドまで運んで貰えば良かった。ここで眠ったら、流石に風邪をひくだろう。

 香坂は紙袋を避け、在原の腕を取る。少し屈み、足に力を入れる。高身長の身体が持ち上がるはずもなく。


「在原、歩いて」

「……んー」

「お願いだから」


 このまま倒れて二人共々廊下で眠るのは御免である。


「おねがいかー、五月ちゃんのおねがい」


 ぐ、と在原の身体が持ち上がる。在原が香坂を見た。起きた、のか、起きていた、のか。


「キスしてくれたらきいても良い」

「は?」

「五月ちゃんが」

「廊下で寝たいなら最初に言えば良いのに」

「うそうそ」


 酔いは醒めていないのか、ふにゃふにゃした喋り方。溜息を吐いて香坂は在原の身体を引き摺った。

 寝室のベッドに在原を放りこもうとするが脚が縺れ、香坂も一緒に突っ込む。手をついて起き上がろうとしたが、腕を取られてベッドに戻る。

 ちょっと、と抗議の声は飲み込まれた。重なった唇が角度を変える。ちゅ、と舌を吸われて声が漏れた。

 酒の味。柔い舌の感触。

 漸く唇が離された。


「……廊下で寝ます?」

「おこってる?」

「ドラマ観てたのに」

「おれとドラマどっちがだいじなのよ」

「ドラマ」


 ひどーい、と言いながら在原はコートを脱ぐ。ポケットからころりとみっつほど落ちた。

 キャンディのような銀の包み紙。起き上がり、香坂がそれを掴んで在原に差し出す。


「それチョコ。あげる」

「いい」

「まあそういわんで。あーん」


 在原が銀紙を剥がし、中のチョコレートを出す。香坂の口に有無を言わさず放り込み、にこと笑んだ。瞬間、唇を貪られる。

 口の中でチョコレートが溶ける。舌の熱さに耐えられず。

 最後の一欠片を在原に取られた。

 酒の味から一変。チョコレートの甘さに舌がべとつく。香坂は視線だけで在原へ抗議を向けた。


「おれ、たんじょうび」

「まだでしょ」


 ちらと時計へ目をやる。未だ日付は変わっていなかった。ありゃ、と在原は茶色くなった舌を出す。


「五月ちゃん、チョコは?」

「……明日来る予定だったから」


 まだ買っていない。

 香坂は明後日の方向へと視線を逸らす。在原はそれを下から覗いた。


「ふーん」

「あれだけ貰ってるのにまだ要る?」

「ほしい、とくに五月ちゃんから」

「もう要らないでしょ」

「ほしーい」


 言いながら抱き寄せる。だけではない。

 香坂は服の中に入り込む手を服の上から掴む。つつ、と指が上に動いた。

 カサカサという音に視線を向ける。在原が器用に片手で銀紙を剥いていた。

 視線に気付いた在原は、ふたつめのチョコレートを香坂へと見せる。


「たべる?」

「要らない」


 きっぱりと断った。それを聞き、少ししゅんとした顔をして肩を竦める。


「ざんねん」


 それを自分の口に放り、香坂を押し倒す。ついでに上に着ていた部屋着を捲った。腹から胸へと手を滑らせ、ブラのホックが外される。

 ざらりと肌が舐められる。在原の舌で溶けたチョコレートが線を描くように、通った痕が甘い色に変わる。

 香坂はぴくりと頬を痙攣させる。


「お風呂入ったのに」

「またはいろーぜ」

「ね、やだそれ……ん、う」


 溶けかかったチョコレートが胸の尖りに押し付けられる。反対側は在原の大きな手に包まれ、柔く揉まれた。その手を掴んで止めさせようとするが、力が抜けてさせるがままになっている。

 吸い付く度に震える身体に、在原が止めるわけがなかった。結局両方堪能し、胸元を強く吸う。紅くなったそこを舐め、臍の方へと下った。

 みっつめ。チョコレートが香坂の腹の上に転がされた。するりと動かせば、チョコレートは体温で溶ける。

 香坂は声を漏らし、甘い匂いに酔い始めていた。その内に下に履いていたものを取り払われる。在原がチョコレートを咥え、香坂の片膝を抱えた。

 何をしようとするのか分かったのは、在原が動いた後だった。

 足の付け根を舐め上げられる。く、と足に力が入ったのが分かる。宥めるように在原は香坂の腿を撫でた。

 泥濘んだそこに既に溶けたチョコレートを塗りたくる。


「あ、う、やだ、ありはら」

「うん、もうちょっと」

「や……」


 半分泣きじゃくる香坂の声を聞きながら、在原は続ける。溢れるそれを時折吸い、舐め尽くす。敏感になった場所に口付けを落とせば、香坂の身体は達した。

 在原は身体を起こし、口周りについたチョコレートその他諸々を舐めた。とろけた香坂の顔を撫で、深く口付ける。

 その後、散々香坂の身体を貪り、眠りについた。







 衣擦れの音がして目を醒ます。じろり、と香坂がこちらを見ている。在原はとりあえず挨拶をした。


「はよう、ございます」

「……もうしない」

「え?」

「在原とはもうしない」


 泣きそうな声で言う香坂が毛布に包まって在原から距離を取る。え、と在原は起き上がる、が、今まで感じたことのな頭の重さに愕然とする。

 今まで二日酔いになったことは殆どない。言ってしまえば昨夜の記憶も途切れている。テキーラを飲んで落ちて、香坂の家に行きたいと思っていたら、居た。

 いや、少し飛ばした。最中の記憶は結構ある。チョコレートで香坂を弄んだ。


「あの、ちょっと考え直しません?」

「近づかないで」

「落ち着けちょっと、おいでこっちに」

「やだって言ったのに……」


 すんすんと泣いていたのが、ポロポロと溢れる涙に変わる。青ざめる在原は、手を差し出すがそれも拒否された。

 ……認める。確かに嫌だと言っていたのに、聞かなかった。

 まあ香坂を抱けるのは当たり前に良いのだが、いつもは絶対出来ないであろうことを、というか嫌だと拒否されるであろうことを、酔いに任せてしてみたかった、というのが本音だ。大切に壊れないように扱いたい反面、ぐちゃぐちゃのどろどろに溶かしてぶっ壊してやりたい、という気持ちが同居している。

 なんてことを言ったら、引かれるに決まっている。


「……本当にすみません。土下座するので許してください」

「やだ」

「そんな」

「いつまでいるの?」

「え」

「早く帰って」


 ずどーん、と背負投をされた気分だ。

 好きな女は泣いているし、それを慰めることは出来ないし、誕生日なのに帰れと言われるし、何よりもうしないと宣言された。

 帰れるわけがない。

 在原は手を下ろし、とりあえず香坂が泣き止むのを待った。すんすんと鼻を啜り、やがてしゅんとした顔のまま俯く。


「……何が嫌だったんですか」


 尋ねる。また帰れ、と言われたらそれまでだが、香坂はちらと在原を見て、答えた。


「やだって言ったのに、やめてくれなかった」

「……やだやだ言う五月ちゃんが可愛かったから」

「あたしの所為じゃないもん」

「うん、俺の所為。ごめん」

「今日、買い物行くって言ったのに……」


 またしても涙声になっていく。やっと泣き止んだのに、と在原は内心焦る。


「連れてく、五月ちゃんの行きたいとこ。……どこ?」

「チョコ……要らないの?」


 昨夜あんなにチョコがどーだこーだと言っていたのに。

 正直、在原にその記憶は朧げだったが、勿論香坂がくれるのなら欲しい。


「欲しい、行こう、ベルギーにでも」

「身体痛い、から行けない」

「……本当にごめん」


 それも頭では分かっていた。在原と香坂では体格差があり、在原が好き勝手動いた分を負担するのは香坂の方だ。理性が勝つときはきちんとセーブしていた。

 血は出てないな、とシーツを見る。チョコレートの痕はあるが。後で洗濯するか、買い替えるか……。

 黙る香坂に、在原はベッドの下に落ちた香坂の下着やら部屋着を取る。自分の物と一緒に。


「とりあえず服着ようぜ、風邪ひくし」


 その提案は承諾された。

 香坂は毛布の中から手を伸ばし、下着を掴んで身につける。そこから見えた白い肩に歯型が見えた。しかもひとつどころではない。

 意識してやるのと、無意識でやるのとではワケが違う。在原はやっと猛省した。先程までは"どうにかして香坂を宥め機嫌を直してもらいたい"一心で謝っていたわけだが。


「ほんっとうにごめんね……昨日の自分を殴りてえ……」


 服を着ている途中の香坂を抱き寄せる。その言葉に顔を見上げた。


「……お風呂入りたい」

「今すぐいれてくる」

「ベルギーのチョコが良いの?」

「いやコンビニのチョコで結構です。てか俺が買ってくる」

「なんで在原が買うの」


 ふふ、と香坂が笑みを零す。自分で自分に贈るのだろうか。

 その笑い声に心底安堵し、在原はぎゅっと抱き締めた。剥き出しの肌が重なる。


「たまに五月ちゃんのこと壊したくなんの。それが暴走したっていうか」


 言ってしまった。


「あなたってたまに子供みたい」


 香坂が穏やかに言う。

 あれが欲しい、これが欲しい。ここにいて、行かないで、抱きしめてほしい。

 言わなくても、たまに在原から感じる雰囲気だ。前に言っていた寂しさを埋める為に女を抱いていたというのを思い出して、それを持ちながら、香坂にどう処理して欲しいのか分からないのだろうと思う。


「言葉にしてよ、せめて」

「あなたを壊したいです」

「壊して良いの?」

「だめ」


 香坂の首に埋まった在原からくぐもった声が聴こえる。


「……ちょっとは嫌だって言って欲しい」

「嫌だって言ってるんだけど」

「俺が他からチョコ貰うのとか」


 その言葉にやっと合点がいった。なるほど、昨夜の香坂とドニの話を聞いていたのか。


「嫌だと思わないから嫌だとは言えない」

「は? 俺が他の女から好意向けられて嫌じゃねえの?」

「そんなのいちいち思ってたらあたしはあなたのこと監禁するしかないでしょう」

「監禁する?」

「しない。在原」


 香坂は在原の肩を掴んで離す。そして瞳を覗いた。


「あたしはあなたの社交性の高さとか大抵の人から好かれる性格を結構尊敬してる。あたしにはないから、羨ましいと思う」

「ん」

「だから、他人が在原に向ける感情に対してあまりどうこう思うことはないし、あなたがそれを受け取る分には仕方のない、不可抗力だと思ってる。今は大人であるからこそ、尚更」


 もう知った頃には、在原は在原だった。

 香坂は続ける。


「あなたがそれに、好意を返したら、また話は違うけど」

「……返すかもしれねえじゃん、受け取ってたら」

「返したら、嫌いになる」


 きっぱりと言い放った。嫌、ではない、嫌い、だ。

 在原はしゅんとした顔をして、ちらと香坂を見て雪崩るようにまた抱き締める。


「在原はもっと違うことで愛情を測れば良いのに」


 香坂はその背中に手を回す。ひとつ歳上で、香坂よりも20cm以上大きいこの男は、本当に子供のようだ。

 家族も健在で母親からも兄からも愛されて育ったはずだ。それでも、他にはない父親の存在が深い寂しさへと繋がってしまったのか。

 愛に飢えている。子供が愛されたいと泣くみたいに。

 たまにその片鱗を見る度に、香坂は少し可哀想だとも思う。ありふれたカップルが思うように、その辛い気持ちを半分に出来たら良いのにとも思う。

 しかし、そうでないからこそ一緒にいるのかもしれない、とも考えるのだ。

 在原が何か考えたようで、顔を上げる。正確には香坂を見下げているのだが。それから口を開いた。


「五月ちゃんにキスして欲しい」


 そういえば昨夜もそれを言っていたなと思い出す。ずっとそうして欲しかったのかもしれない。

 香坂は在原に顔を近づけ、軽く唇を重ねた。


「……もうしないっていうの、取り下げてくれる?」

「反省してるなら」

「宇宙より深く反省してる」

「それならまあ良いよ」


 在原は"海より"にしなくて良かったと、ほっとする。香坂は部屋着を掴んだ。


「今度やったら許さない」

「もうしません。五月ちゃん、真澄って呼んで」

「子供か」


 朗らかに笑っている。子供じゃない分、質が悪い。在原は着ている途中の香坂を後ろから抱きしめ、それを妨害する。


「真澄、お風呂はやく入れてきて」

「五月ちゃん、愛してる」

「重たい、ちょっと」


 じゃれあう。26年目の誕生日が始まる。






*あとがき

 長すぎる……ふたつに分けるのが面倒で諦めました。二人は同志なのですが、恋人であるときもある、のが書きたかった。



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