vol.59 世界平和


 ご査収ください、と香坂からのメールを見る。添付されたファイルを開け、与寺はそれを読み、泣きそうになった。

 隣に座っていた同期がぎょっとしつつ、箱ティッシュを取ってやる。


「……大丈夫?」

「やっぱり香坂先生の作品は人を救うと思う」

「おお、うん、そっか」


 無理矢理納得した顔を見せ、同期は頷いた。






 楢が目を覚ますと、白い天井が見えた。何を辿るわけでもなく、視線を巡らせる。

 ついに横に座る人物へ行き着き、ひらりと大きな掌を見せた。


「よう」

「真澄、さん」

「五月ちゃんじゃなくて残念」


 胸の内を言い当てられた。左腕に挿しこまれた点滴。楢は栄養不足による栄養不良と診断された。

 救急車で運ばれ、点滴を打たれ、医師にもうすぐ起きるだろうと言われて三日。六所がずっと付き添っているところに、仕事の合間に在原がやってきた。

 ナースコールを押し、在原は看護師を呼ぶ。楢はその様子を静かに見ていた。


「……六所さんは?」

「着替え取ってくるって」


 すぐに医師と看護師が来て、楢を診た。明日には退院できると言われる。あっさりしたものだった。

 在原は再び椅子に座り、楢を見た。


「お前さ、死にたかったの? 生きたかったの?」


 尋ねる。究極の二択だ。


 楢は瞬きを二度して考える。しかし、答えはでない。


「この前の、写真のやつ。五月ちゃんの話は正しかったのか?」

「……さあ」

「楢の写真は一番忙しかったときに撮られたものだった。自分のイメージダウンを狙ったのか? 仕事減らすために?」


 楢は答えなかった。在原は肩を竦める。


「……お前と香坂さ、最初に一緒にいるの見た時から、似てると思った」

「似てます?」

「こう、根底にある暗い感じがすげえ似てる。共鳴してるときには俺近付け無かったし」

「暗い……」


 明るい人間だとは思っていないが、自分と一緒くたにされた香坂に申し訳ない。楢は天井に苦笑を向けた。


「真澄さんの写真売ったことに関してはお咎め無しですか?」

「あ、忘れてた。その金で今度飯奢れよ」


 拍子抜けする。楢が在原へ視線を向けると、指を差された。


「それにこれから多分、六所さん初め関係者各位からすっげえ怒られると思うし」

「……ですよね」

「逃げんなよ」


 赦さない。

 逃げるな。


「それで自分をもっと可愛がれ」

「可愛がる……」

「大切にするって意味。あとこれは香坂から起きたら言っとけって言われてたやつ」

「はい?」

「『あんなタイミングじゃ、助けてほしいって言ってるのと同じ』だって」


 頬を紅くした。確かに、決心がつかなかった。

 その様子に在原は朗らかに笑った。


「ブチギレてたぞ」


 正論で横面をぶん殴られた気分だ。


「五月さんに会いたくないです」

「きっと落ち着いた頃に会えるだろ。小説また書き始めて、今までの皺寄せを受けてるとこだから」

「忙しそうですね」

「つか、俺もブチギレてんだけど」


 先程まで朗らかに笑っていた顔はどこへやら。いや、目だけが笑っていない。

 楢はそろりと視線を逸らそうとした。


「なにさらっと好きとか言ってんだよ、あと覚えてねえかもしれねえけどお前香坂のこと蹴飛ばしてたからな」

「え」


 黒い危険な圧を感じる。学生の頃、香坂を襲った男たちを在原が脅したという話をドニがしていた気がする。次香坂の目の前に現れたら指一本ずつへし折るとか、なんとか。

 切らないだけ良くない? と佐田が言っていたのを思い出してしまった。何故今のタイミングで。


「香坂は絶対やんねえから」


 香坂はとんでもない男と付き合ってしまったんだな、と楢は漸く知る。


 その後、楢は在原の言った通り関係者各位から怒られて、心配された。それから実家の母親が来て、香坂のように正論ではなく、掌で横面を張られた。

 顔に傷を作ってしまった楢は、奇しくも休みを貰えたのだった。






 午前零時過ぎ。カタカタとキーボードを打つ。バイブ音に、視線をデスクトップから外した。

 スマホを持ち上げ、電話に出る。


『もしもし、起きてた?』

「うん」

『今、ニュージーランドにいんだけど。あ、仕事で』

「うん」

『停電してさ、真っ暗なんだよね。そんで寒い』

「大丈夫なの、それ」

『客も殆ど寝てるから騒ぎにはなってない。スタッフもすぐに復旧するだろって』


 カラカラと何かを開ける音がする。香坂は時計を見た。


「今何時?」

『朝の四時くらい。いや、停電の話を話をしたくて電話したんじゃねんだわ』

「うん」


 在原の声を聞く。香坂はキコと回転椅子の上で回る。


『五月ちゃんの誕生日もうすぐだろ』

「ああ、うん」

『何贈ろうか調べてたらWi-Fi落ちて、停電になった。から、本人に聞くべきだという啓示かと思って』


 どんな啓示だ、と香坂は静かに笑う。


「別に要らない、もう祝われるような歳じゃないし」

『お前、俺の誕生日を祝っといてそれ言うか?』

「あ、そっか。欲しいもの……?」

『マカロン?』

「まかろん……!」

「いつものとこで詰め合わせセットは予約した。その他は」


 マカロンに関しては余念無い。

 30個セット。そんなに要るか? と在原も思うが、毎日ひとつずつ食べて一か月楽しむのが良いらしい。

 在原の誕生日にバレンタインデーでチョコレートとプレゼントを贈られるので、香坂の誕生日にもマカロンとプレゼントを贈るのが恒例となっている。

 香坂はデスクトップに視線を戻す。そういえば今書いている脚本も、ニュージーランドへ観光に行く描写がある。今度在原に会ったらどんなだったか聞こうと決めた。


『五月ちゃーん』

「アレ欲しい」

『アレ……?』


 電話の向こうで在原が考え沈黙する。

 それに、香坂は躊躇いながら口にした。


「この前在原がくれようとしてた」

『指輪?』


 うん、と返事をする。在原はまた黙る。ので、それが怖くて香坂は携帯から視線を逸らした。


「質屋に売ったなら、別に良いんですけど」

『売るわけねーだろ、どんな思いして買ったと思ってんだよ』

「……ごめん」


 悪いとは思っている。結婚しようという言葉に別れようと返した。ムードもへったくれもない。


『いや謝れとは思ってねえけど。まあ傷つきましたね、あの後まじで監督廃業しようかと思ったし』

「なんで在原が廃業するの?」

『監督の俺の隣に居られないってことだったろ。それなら、俺も監督辞めて一般職に就いて五月ちゃんと一緒にいる人生でも良いかって』


 香坂はそれを想像しようとするが、できない。


『でも、五月ちゃんが書けない自分に価値がないって言ってたのと同じで、俺もこの仕事捨てたら価値が無くなると思った。書けなくても五月ちゃんの価値は変わらねーだろバカじゃねって最初は考えてたんだけど』

「え、馬鹿?」

『まあ自分に置き換えてみたら、確かにそうだった。他人がどう思うかってより、自分がどう思うかが、きっと一番大事なとこだよな』


 在原は『あ、電気ついた』と続けた。


「……廃業、しないでほしい」


 ぽつりと香坂が言う。


『当たり前だろ。俺ら二人で世界を救うんだからな』

「世界? 大袈裟じゃない?」

『そこは乗ってくれよ。あー話すと会いたくなる』


 ふふ、と香坂は笑みを零す。


「あたしも」





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