vol.57 やくそく
火霜とは直接面識はないが、百瀬の元サークルの後輩であり、今注目されている監督ということで招待状が届いた。要は少し名が通っていればそれで良いのだな、と広い会場に入った無数の著名人たちを見て思った。
歩けば有名人に当たるような、大規模な同窓会のようなこの場所で、在原はぼんやりと突っ立っていた。
いつもならば自ら当たってコネを作りに行くのだが、そういう気分にもならない。仲の良い演者たちがそれを気味悪がり、最後には「体調でも悪いのか」と尋ねた。
のんびり歩く和久井にも出会い、挨拶をした。その横に八代がいた。
この間、八代が某テレビ局の休憩室にいたところに声をかけた。八代も在原の存在を知っていたようで「昔から大ファンです」と伝えると、驚いた顔をしていた。
「へえ、二人知り合いなんだ」
「お互いに一方的に知っていたという感じで」
「そういえばさっき洛間くんに会ったから。香坂さん来てるんじゃない?」
和久井は八代に言った。しかし、それに反応したのは八代と在原だった。
八代に言ったということは、香坂が娘だということを和久井は知っているのだろう。二人はよく一緒に仕事をしているので、仲も良い。
八代は雨音と離婚してからずっと独身だ。
「……そうか」
その反応を見るに、香坂が小説や脚本を書いているのも知っていたのだろう。香坂は、八代が自分を知っていること、を知らない。声はかけないのかと、喉元まで出かかる。しかし、他人を心配している余裕などない。
和久井と八代が去った後、在原は会場内を歩き始めた。仲の良い演者たちはいつもの在原の様子に安堵し「行ってらっしゃい、可愛い子いたら紹介してね」と送り出す。いや、目的は可愛い子ではなく、ただ一人だ。
驚いた香坂の顔が、当たり前に若い頃の雨音に似ていて、八代も驚いてしまった。
手を離すと、香坂は半歩後退した。
「おひさし、ぶりです」
何と呼ぶのが正解なのか、敬語で遣った方が良いのか、どうでも良いことばかりが頭を巡る。
二十数年来の再会だというのに、八代が監督した映画『燦燦』のような感動の再会シーンとは程遠い。
「よく雨音が良いって言ったな」
「良いとは、言われてないですけど……好きにしなさいって言われました」
仕事を辞める話をした時も同じだ。でも、いつまで書いてるの、とは言われなかった。
その言葉に、雨音らしいと八代が笑う。ああ、そういえばこんな風に笑う人だったなと、懐かしくなった。
「『月の湖』も観た。良い作品だった」
「……ありがとうございます」
「小説も読んでる。というか、こんな場所で会うなんてな」
香坂は息の仕方を忘れた。胸が苦しい。
「ここまで、とても頑張ったんだな」
ああ、そうだ。ぐずぐずと燻っていたものが溢れる。忘れていた。忘れたいと思っていた。
忘れないと、やりきれないから。
「五月ちゃん」
涙が零れる前に、その声が聞こえた。見上げるとスーツを着て、朗らかに笑おうとしている在原がいた。ぼろ、と雫が零れた。
「な、んで泣いてんの」
「泣いてない」
「いや泣いてんじゃん」
「泣いてない!」
そのやり取りに八代が何が起きているのか分からず、目をきょろきょろさせる。在原は香坂の背中に手を回しながら、やっと八代の存在に気付いた。視界に入っていなかった。
「もしかして」
「……そのもしかして、です。すみません」
「何で謝るんだ」
「五月ちゃん、なんで泣いてるんですか?」
感動の再会でないことは確かだが、八代にも心当たりはない。小さく首を振るのを見て、在原は考える素振りをした。
「とりあえず回収していきます。また追って連絡します」
「ああ、気をつけて」
何に気をつけるのか。八代にも分からなかったが、そう口にしていた。在原に連れられ、会場を出る。フロアの端には設置された椅子があり、そこに座る。エレベーターも階段も反対側にあるので来賓者どころかスタッフも来ない。静かだった。
大きなホテルの庭が、窓ガラス越しに見える。
「……こんなところで言うのもあれなんだけど、俺別れないから」
「……もう別れたでしょ」
すんすんと鼻を啜りながら弱弱しくも反論する香坂。その根性があるところがまた良いな、と在原は苦笑う。
「じゃあ俺に直して欲しいところを教えてください」
どうぞ、と在原は言った。香坂はじろりと在原を見る。
「直らないもん」
「もんって。つかあんのかよ、早く言えよ」
「もう良いでしょ、別れたんだし」
「別れてねえよ。何なんだよ、じゃあ俺が言うからな」
指折り数えていく。
「俺にはそんなに連絡してこないくせに楢とゲームしてるとこ。寝てるときすぐ寝返り打ってヤレアハ掴んでるとこ。自分の困ってることは全然口に出さないとこ」
「そんなの、在原が忙しいと思ってしないし、寝てる間のことなんて知らないし、困ってることなんて……!」
段々と涙声になる。香坂は目元を覆う。
在原は背中を摩った。
「何か出来るかどうかは兎も角、言えば良いだろ」
「……はらが……たから……」
「え?」
「……在原が、誘ってくれなかったから」
え、何に。
眉を顰める。誘わなかったって。
在原は思いつく限りのものを考えたが、全くこれだと当てはまるものが思いつかない。
「もしかしてエリカの誕生日のタコパ? でもあれは五月ちゃんが取材とかで」
「違う」
「全然わかんね」
「映画作るの、誘ってくれなかった!」
きょとん、と在原は漫画のようなコマを想像する。
「最初に映画作るって言った時に、あたしだけ誘ってくれなかった……!」
うう、と泣く香坂。その耳に光る雫型のピアスが、在原の少しの救いだった。
「え、っと、最初ってあれか? 俺がテレビ局辞めて作ったやつのこと?」
頷く。
「それの脚本として誘われなかったって言いたいのか?」
再度頷く。在原は背中から手を下ろした。
いやいや、と。
「そんなん当たり前じゃね?」
「……なにが」
「あん時もう五月ちゃん小説家だったろ。金貰って文章書いてて」
「それが?」
「あなたね、そんな人を、機材も演者も裏方だってちゃんと揃うか分かんねえ映画制作に誘えると思うか? 思わねえよ。つかそんな暇あんなら小説書いてくれって思ってた」
「でも、あたしは一緒にやりたかったの! 約束したの、最初に破ったの在原だもん」
「約束」
「ランダム解散するときに、今度映画作るときに脚本書いてって」
それはきっと、何かの折に言ったと思う。在原には明確な記憶はないが、今だってずっと映画を作るなら香坂に脚本を書いて欲しいと思っている。
小学生かよ、というような主張。香坂の中の譲れないものがそこにあったのだろう。在原は聞きながら、なんだか笑ってしまった。
それがずっと根底にあったことにも、香坂の中で留まっていたことにも、それが今聞けたことにも。
「……何笑ってんだよ真澄」
「こわ、いやどきっとした。もう一回言って」
「嫌だ」
「俺もやりたかったよ」
だから、『月の湖』を香坂が脚本すると知った時、苛ついた。
しかも監督があの鶴舞大の洛間だ。なんでライバル大の監督と組んでんだよ、とそれにも苛ついた。
「いや、過去形じゃなくて」
すすり泣く香坂の首に腕を回し、ぐっと近づく。バランスを崩して香坂は手を在原の腿の上についた。
「やってやろうぜ」
その言葉に、香坂は顔を上げる。
「うん」
時折、在原は香坂の素直さに涙が出そうになる。良い親に育ててもらったもんだ、とその両親の顔を思い出す。それにしても、今度八代に会った時にどんな顔をしたら良いだろうか。
待て、まだ何も解決していない。
「そしたら、別れるの辞める?」
「……んー」
「辞めようぜ、本当に、お願いします、マジで」
ぐり、と在原は香坂の鎖骨の顔を埋めた。というかもう今日は香坂を持ち帰って好き勝手したいくらいだ。飲み屋の前で誘ってきた女では話にならなかった。そのくらいには香坂に溺れている。
「うん」
すん、と鼻を啜りながら答えた声に、安堵の溜息をもらす。そのまま身体を抱きしめた。
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