vol.51 水引


 ショーケースにピアスが並んでいる。

 手を繋いだ佐田が選び、ひとつを取った。


「これが似合うよ」


 香坂の耳に当てる。笑顔を久しぶりに見た気がした。

 場面が変わる。


「……え、受けたのか?」

「うん」

「なんで」


 責めるような声色を感じて、香坂の中の琴線に触れた。


「あたしが書いた小説だし」

「五月ちゃん、脚本書く余裕なんてあんの? 今だって連載と単行本で一杯だろ」

「じゃあ仕事辞める」

「は? そんな簡単に」

「在原に言われたくない」


 苛々は感染する。在原と香坂は映画に関して言い合うことは多いが、日常生活はそこまで対立することはない。固より穏やかな在原と、他人にあまり干渉しない香坂は、仲直りをするほどではない小さな喧嘩をすることはあっても、今回は違った。

 在原の中でどう感じているのかは分からないが、香坂の中で在原は年上という認識だ。一応年上の意見は聞き入れるという根本的なものがあった。

 しかし、こうして在原という前例が使われる。何も反論はできない。


「仕事も辞めるし、収入も安定しないから、一緒には暮らさない」


 きっぱりと香坂は言った。



 目を開くと、太陽の光が差し込んでいて眩しい。香坂は目を細めながら寝返りを打った。その正面に、眠る在原がいる。

 ああ、そうだ。状況が色々とぐちゃぐちゃしていて……二度寝をした。

 最近、色んなことが面倒に思ってしまう。関わる人間が増えて、気を遣う相手も増えて、やることも増えて……。映画、脚本、小説、好きだったものは傍に置かない方が良いと思っていたのは誰だ。

 健やかに眠る在原の頬に人差し指を押し付ける。整った顔だ。一緒に歩いていて、モデル事務所からスカウトを受けていたこともあった。

 前に演じる方はやらないのか、と尋ねたことがある。


「自分が台詞喋ってるところを撮影されてチェックするなんて、ぞっとする」


 と、怯えていた。全演者に謝れと思った。


 香坂は起き上がり、リビングにてテレビをつけた。最近起きた事件やスポーツ誌の一面が紹介されている。年俸六億……本棚がいくつ買えるだろう。

 ぴ、ぴ、とチャンネルを回す。昼のワイドショーの一枠で在原の熱愛報道が取り上げられていた。蓮藤ほのかって誰だ、写真から若いことは分かる。


「おはよ」


 気配なく後ろに立たれ、香坂は驚いて固まってから振り向く。


「……昼飯なに食う?」

「え、お腹空いてない」

「じゃあ夕飯」

「作ってくれるの?」

「向こう一か月は五月ちゃんの下僕やるから」


 若干引いた表情を浮かべ、それより、と話を変えた。


「写真、在原を張ってた記者が撮ったの? それとも蓮藤さん?」

「俺だと思うけど……去年ノミネートされてからランダムとか佐田のとかいくつか出てんだよな。なんで?」

「この角度、店内から撮ってる気がする」


 リモコンで静止を押す。向かって道路側。確かに、店側から撮られている。

 在原は香坂の隣に腰を下ろした。


「関係者がリークした?」

「蓮藤さんから連絡きてるの?」

「……連絡先知らねえです」

「寝言は寝て言ってもらえますか?」

「怖くて携帯の電源が入れられない」

「あなたって変なとこで繊細」


 その評価に反論する余地もなく、在原は携帯を出して電源を入れた。途端に鳴るバイブ音。

 嫌そうな顔をして立ち上がり、在原はそれに出る。


「もしもし……はい、お世話になってます、すみません……」


 リビングを出ていく背中を見送った。香坂はテレビを見る。


『蓮藤さんは過去に俳優のナツメさんとも熱愛報道が出ていますよね』

『在原監督も男前だから絵になりますね』

『こういう映画出したら良いんじゃない?』


 ケラケラと笑う声が入る。香坂はそれを消した。楢と熱愛報道って、三年前にあったやつか。

 電話から戻らない在原を見て、香坂は寝室まで携帯を取りに行く。何件かメッセージが入っている。主に在原に関すること。

 それに返信しようか考えていると、着信がきた。守谷聡子だ。


「もしもし」

『在原監督一気に有名人だね』

「ね。今日仕事は?」

『有休消化中。今日空いてる? 飲みに行こうよ』

「……んー」


 言い淀みながら在原の出ていった扉を見る。それを察知して、電話の向こうの守谷は先に口を開く。


『在原くんいるの? 一緒に連れてくれば良いじゃん』

「騒ぎになったら嫌だ」

『いつものとこで予約取っておくね』


 どこで了承と得たのか、聡子は話を進める。まあ自分が行く分には問題ないだろうと、香坂は了解した。

 通話が終わると在原が戻ってくる。疲れ切った顔をしていた。


「プロデューサーにすげえ怒られた、こんなに怒られたの中学の時に兄貴の煙草盗んで吸ったのばれた時以来かも」

「多方面から怒られて当たり前でしょ」

「しかも一か月の休みが半分減った……」


 何よりそれがショックだったらしく、香坂の隣に座って項垂れる。下僕期間が減ってしまったのがそんなに悲しいのか。

 まあこんな様子だと外に出ようとも思わないだろう。


「あたし、夜に聡子と飲んでくる」

「俺も行く」


 すっと項垂れた体勢から戻り、主張した。じっと香坂はそれを見る。


「そういえばずっと思ってたんだけど」

「ん」

「記者の人、ここまでつけてきてないよね?」









 メニューを見ながら守谷は友人を待った。どういう順序で酒を飲むのか考えるのが、守谷は好きだった。それに合わせたつまみもチェックする。

 ずっと仕事をしていると休み方が分からなくなる。昼ご飯を食べ忘れていると、食べる習慣そのものがなくなるような感じで。

 妙齢も過ぎたのに恋人もいないのかと、親に見合い話をされたが勿論断った。本当に地元を出た判断は正解だったと思う。こちらで働いていると自分がいない場所で自慢している両親には腹は立つが。


「ごめん、お待たせ」


 在原も来るかもしれないというので、個室を取った。守谷の同僚ともよく来る店なので、個人情報管理はばっちりだ。

 現れた香坂は在原を連れていた。キャップを目深に被っている。


「……指名手配犯?」

「実質そんなもんでしょ」

「一応訊いとくけど喧嘩はしてないんだよね?」


 連れてくれば、と言ったのは守谷だが、その可能性を考えなかったわけではない。

 香坂は在原を先に座らせ、メニューを取った。


「喧嘩? してないよ」

「守谷さん、五月ちゃん俺のそういうのに殆ど関心ねえから」

「何のフォローなの。てかそれで良いの」


 大学の頃の爛れた女関係を目にしていればそうなるものだ。香坂はその会話も聞いておらず、「あたし黒霧島」と酒を決めた。


「俺はジンジャーエールで」

「飲まないの?」

「今日車で来たから。二週間、五月ちゃんの下僕することになってるんで」

「なにそれ」


 ケラケラと守谷が笑った。香坂は呆れた顔をする。


「在原が勝手に言ってるだけ」

「面白い。てか熱愛報道本当なの?」

「いや、本当だったらここ来てるわけないだろ」

「蓮藤さんだっけ? どんな子なの?」

「確かにスキンシップは多いけども」


 視界の端で香坂を窺う。興味すら持っていない様子である。確かにこれは在原が可哀想かもしれない、と守谷は思い始める。

 注文した料理が届き、近況を話し合った。お開きになる頃には良い時間だったが、香坂は守谷に「もう一軒行こう」と誘った。珍しいことだ。


「明日仕事なんだけど」

「聡子と会うの久しぶりなのに」


 しゅんとした表情が可愛らしい。う、と守谷は心臓に手を当てるが、明日の二日酔いで気持ち悪くなりながら出社する自分は諦めきれない。


「また今度にしよう」

「……うん」

「そういえばさ、言おうかどうか迷ってたんだけど」


 香坂はその言葉に顔を上げる。反対に、守谷が視線を下げた。

 本当はこれを言う為に香坂に会いたいと思ったのだ。


「この前、うちの祖母、息を引き取ったよ」


 春は腐臭がする。





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