社会人

vol.38 残酷に正直


 キーボードを叩く音。慣れた手付きで数字を入力し、紙を捲っていく。

 某商社の経理部に、営業部の建沢が現れる。香坂の机まで近付き、話しかけた。


「香坂さん、これお願いします」

「はい、どうも」

「ちなみに今日予定ある?」


 香坂は紙を受け取り、その持ち主を見上げる。建沢は香坂と同期であり、社会人三年目。


「今日は学生のときの友人たちと約束があって」

「あ、そうなんだ。じゃあまた誘うね」

「早く仕事戻らないと怒られるんじゃない?」


 苦笑を見せて香坂は上を指差す。営業部は上の階にあるからだ。建沢はそのやんわりとした断りには気付かず、その笑みに答えて「はいはーい」と軽く言って経理部を出た。

 香坂の隣に席を持つ二年目の瀬高がぐっと回転椅子を近づける。


「懲りないなー建沢さん。てか気付いてないですね」

「他人の機微に疎いんだろうね」

「また難しい言葉を……顔は悪くないですけど」

「顔より仕事ちゃんとして欲しいんだけど」


 厳しいことを言う香坂に、次は瀬高が苦笑いをした。建沢が持ってきた書類は一昨日期限のものだった。一昨日指摘したのにも関わらず、今日持ってくるとは良い度胸だ。そして謝罪のひとつもない。

 無表情で読み取るのは難しいが、香坂は静かに怒っていた。瀬高はそろりと自分の席に戻る。

 トントン、と書類をまとめて香坂は立ち上がった。







 元ランダムが集まる場所は、いつもの居酒屋だ。半年に一度ほど、誰がやろうと言うわけでもなく何となく開催されている。勿論メンバーも揃わないことが多いが、それは元からだ。

 三年も経つと殆どが社会人になっており、中にはまだ演劇を続ける者も居た。

 ドニは隣に座る娘が急に立ち上がり、入口の方へ走って行ったのを追いかけようとした。娘がある人物の足に抱きつく。


「アリサちゃん、久しぶり」


 香坂はその手を取り、しゃがんで挨拶をした。ドニの娘――アリサはニコニコと笑って挨拶を返した。

 手を繋いでドニの居るテーブルへと来た。


「お久しぶりです、ドニさん。アリサちゃん大きくなりましたね」

「お久しぶりです。成長が止まらなくて」


 笑いながら言う幸せそうなドニ。アリサは香坂の隣を陣取り、舌足らずな声で話しかける。


「さつきちゃん。ありさ、おねーちゃんになった!」

「え」

「この前二人目が産まれました。女の子です」

「おめでとうございます」


 拍手をして祝う。アリサは真似をして手を叩く。香坂と目を見合わせた。それから掌をアリサに向け「タッチ」と言うと、目一杯の力で叩かれる。

 うん、強く育っている……。じんじんと痛む掌を見てやはり成長を感じる。前回会ったのは半年ほど前だ。佐田の命日に。


「アリサ、ちゃんと座って。良きプリンセスになるには」

「よきしせいから!」

「よく出来ました」


 大人しく座るアリサ。香坂は漸くドリンクメニューを見た。とりあえずビールが飲みたい気分だったのを思い出す。

 注文を取りにきた店員に頼み、会場内をぐるりと見回した。懐かしい顔ぶれが揃っている。

 やはり、ランダムのメンバーと一緒にいると、佐田を探してしまう自分がいた。


「最近どうですか?」

「最近は、未だに期限を守らない同期に苛々する毎日です」

「どこにでもいますね、そういう人。仕事の方もそうなんですけど」


 ビールが届く。ドニは烏龍茶を飲んでいたのを見て、控えるべきだったかなと止まる。それに気付いたドニが「まずその苛々を流し込んでください」とグラスをぶつけた。

 言葉に甘えて、ビールを飲む。ジョッキをテーブルに置いて、漸く苛々が治まる。


「治まりました」

「それは良かった」

「ねーパパ! ポテトたべたい!」


 はいはい、と良きプリンセスへポテトが運ばれる。

 入口が開き、ドニの視線がそちらへ注がれた。アリサはポテトに、香坂はビールに夢中だった。入口を背にする香坂はそもそも開いたことにすら気付かなかった。

 すとん、と隣に座るときまで。


「あーますみくん!」


 アリサの大きい声に驚き、香坂は目を少し見開いた後、隣を向いた。


「お、アリサ良いもん食べてんじゃん」

「ポテト!」

「俺にもください」

「だめ!」


 マジかよ、と少しショックをうける顔。子供は平等に残酷に正直だ。


「アリサ、断るときは理由も一緒に述べないと駄目だよ」

「アリサのポテトだからだめ!」

「そりゃそうだな」


 在原は上着を脱ぎながらビールを注文した。その応酬に笑いを堪えるドニと香坂。

 すぐにビールが届き、アリサのオレンジジュースと三人で乾杯をした。


「五月ちゃんの長編はもうすぐ終わんの?」


 枝豆をとりながら在原は尋ねた。

 香坂は卵焼きを箸で割りながら、何かを考える。


「……再来月号で最終回」

「うわー悲しい」

「読んでるの?」

「当たり前だろ」


 報せていないのに何故知っているのか。香坂は在原の情報網に若干引いた顔を見せた。

 ケチャップでベタベタになったアリサの口元を拭い、ドニは笑った。


「真澄くんはどうなんですか、仕事」

「社畜よろしく働いてる。この前局で楢見た」

「元気でした? 今クールもドラマやってますよね。深夜枠に」

「うちの後輩が毎週内容を詳細に話してくれます」

「健康だろうけど疲れてた」


 何せ今をときめく俳優、富山悠介に次ぐブレイク俳優だ。月9の主人公の弟役で出演後、あれはどこの誰だとネットで話題騒然。

 その後、朝ドラなどにも出演が決まり、現在は深夜枠で主演をやっている。


「飲み会に行きたいって言ってたけど、今日も撮影らしい」

「真澄くん以上に社畜……」

「この前熱愛報道出てたし、あんまり来ねえ方が良いのかもな」


 香坂は唐揚げをアリサに渡しながら、それを聞いた。熱愛報道はデマだと相手の女優の事務所とも表明を出していた。

 他の卓から呼ばれ、在原は立ち上がりそちらへと移った。相も変わらずフットワークが軽い。


「もうあれから三年経つんですね」


 あれ、が学生映画祭を示すことは香坂にも分かった。ドニはその月日が何を育んだのかと考え、アリサを見る。

 きょろりと青みがかった瞳がそちらを向く。



 第一回学生映画祭は、ランダムがこれまで応募したどのコンクールよりも大きいものだった。全国の学生たちが制作した映画が集まり、競った。あの鶴舞大もいた。

 ギリギリもしくはアウトのスケジュールで出来上がった脚本で撮影、演出編集を終えた。ランダムの応募も間に合った。

 そこで、ランダム最後の昨品『コスモス』は最優秀グランプリ、どことも同列でない正真正銘の一位を取った。

 選評をした審査員から「君たちの作品をもっと観ていたかった」と言われ、在原と香坂は顔を合わせて泣いた。もうそれは叶うことはない。

 そうしてランダムという映画演劇団体は解散し、ただの学生となった香坂は就活に勤しんだ。六月にドニの結婚式が終わるとすぐに在原は「俺、ちょっと海外行ってくる」と言い、秋まで海外観光に明け暮れた。

 大津は大手メーカーに、香坂は商社に、在原はどこのコネを使ったのか秋も終わりの頃に某テレビ局の一般職に内定が出た。

 三月には揃って卒業できた。






「奥さんは今お家ですか?」

「いえ、実家にいます。今は次女をお義母さんに見てもらっているので、帰ったら交代です」

「良いお父さんですね……」

「どうなんですかね」


 戸惑う表情を見せるので、香坂はアリサを見た。唐揚げを頬張っている。


「アリサちゃん、パパ好き?」

「うん、大好き!」


 好きか、と聞かれて、大好きだと返す。

 香坂はふふ、と笑みを零した。

 子供は平等に残酷に正直だ。



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