vol.37 コスモス


 桜が吹雪く。

 あんなに固かった蕾が嘘だったかのように、綻ぶ。白い花びらが集まり始めると、きっと太刀打ち出来ない。

 早朝のファミレスに在原は居た。映画館バイトの出勤前だ。

 入口から来た香坂はそれを見て、近付く。


「おはよう」

「はよ」

「読んで」


 正面の席に座りながら、香坂はプリントアウトした紙を裸のまま差し出した。

 在原は最初の文章に目をやり、そのまま読み始める。香坂は呼び鈴を鳴らし、在原と同じくホットコーヒーを注文した。

 ゆっくりと時間は過ぎた。






 泣いている香坂と在原の部屋に、ノックが響く。というより、開きっぱなしの扉が一応叩かれた。

 在原が振り向くと兄――葉澄が帰っていた。幼い頃、在原を映画館に連れていき、映画監督になるという夢を作った一人である。


「お邪魔、してます」

「弟が世話になってます。兄です」


 ティッシュを丸めながら香坂は頭を下げる。それに従い、葉澄も返した。


「おかえり」

「お前も。母さんがお茶は飲むかって」

「飲む、持ってくる」


 在原は箱ティッシュを香坂に預け、立ち上がった。一緒に葉澄と下の階に降りる。

 リビングに入り、キッチンへと向かう。


「何したのお前」

「ちっがう。あれは前の、佐田が出てた動画観て泣いてたんだよ」

「あー……なるほどね。佐田とも知り合いなのか」

「一緒にサークル作ってる。脚本家」


 グラスを並べ緑茶を注ぐ。廊下から恵が入ると、兄弟二人がキッチンに並んでいた。それを掻き分け、在原の用意したグラスを目にする。


「ちょっと壁二人、邪魔! 真澄、それ飲ませる気なの!?」

「それって、緑茶」

「出すなら煎茶とか紅茶とか……」

「熱いとすぐ飲めねえじゃん」

「このバカ息子、あんたが彼女と長続きしない理由がよくわかるわ」


 葉澄は電子煙草を吸いながら、それを鼻で笑う。在原が何も言わずとも、一緒に住んでいなくとも、母親には全てバレているのだ。親は欺けない。

 痛いところを突かれ複雑そうな顔をした在原を退け、恵は「これとこれ、持っていって」と緑茶のグラスにお盆を敷き、そこへいくつかの茶菓子が乗せられる。

 キッチンに長居すると他にも小言を受けると予想し、在原はさっさと二階へ退散した。

 部屋に戻ると、香坂はじっと動画を観ていた。もう泣いてはいないが、その手にティッシュが握られている。


「お茶アンドお菓子です」

「あ、どうも」

「ちなみに常温の緑茶」

「うん。わ、マカロン」


 先程まで泣いていたのでは。

 と思ってしまうほど輝いた顔に、在原は目を丸くする。確かにバラバラと乗せられた茶菓子の中にはマカロンが入っていた。きっと貰い物の寄せ集めだが、香坂にとっては宝なのだろう。

 マカロンをいくつか拾って香坂に渡す。


「ピスタチオ、バニラ、ストロベリー、しと……しとろん? って何?」

「知らね。黄色い食べ物じゃねえの」

「しとろん……」


 シトロンのマカロンに取り憑かれた香坂は、それを大事そうに開けて齧る。味わったが、いまいちシトロンが何なのかは分からなかった。

 今までの何よりも嬉しそうな顔をしている香坂を観察する。


「やっぱ紅茶淹れてくる」

「ううん、緑茶好き」


 グラスのお茶を取り、口をつける。立ち上がろうと中腰になった在原は、床に戻って息を吐いた。きっと一生敵わない。

 ふと顔を上げた香坂が、何かを吟味したうえで渋々とストロベリーのマカロンを在原へ差し出した。


「……これなら食べて良い」

「いやマカロン食いたいんじゃねーよ」


 笑った。それにつられてか、香坂も笑う。

 いつもの、香坂だった。






 窓の外にはどこからか桜の花びらが舞ってきている。ベビーカーを押す母親とそれに乗る赤ん坊。

 自分もきっとあんな頃があったのだろうと、ふと考える。母親がベビーカーを押し、その隣に父親が居た頃が……あっただろうか。

 在原が紙を揃えた。ホチキスすら留める時間が惜しくて、ページを並べたまま持ってきた。香坂はその動作をひとつも見逃さないように見つめる。

 それに気づいて、在原は大袈裟に溜息を吐く。


「……気になるとこ、そこかよ」

「え?」

「いやこっちの話」


 どちらなのか。

 それよりも。


「どうですか」


 学生映画祭の脚本の結末。撮影ギリギリのスケジュール。いや、寧ろ過ぎている。

 無表情の香坂から感情を読み取ることは難しいが、少しの緊張と不安が空気に乗る。在原は紙を置く。


「めちゃくちゃ良い」


 在原は続ける。


「何個か改善点はあるけど」

「……ですよね、まあそれは」

「お前、本当才能あるよな」


 在原はショルダーバッグから小さいホチキスを出して、その紙を留めた。


「そんなことを言うのは在原だけ」

「きっと書き続けてれば俺以外の人間にも言われるだろ」

「書き続けてれば……」


 枯れた泉が嘘だったように、ゆっくりと満たされた。何も書けなかったのが夢のようで。

 今、香坂の家のテーブルは片付けられたメモが出され散乱している。

 ぼやけた世界の輪郭がくっきりとする。


「ま、誰に何言われなくてもお前は書くと思うけど」


 からりと笑う在原に、香坂は一瞬泣きそうな顔をしてから少し肩を竦めてみせる。


「タイトル、何にする?」

「シンプルなのにしたい」

「それって何か意味あるの?」


 前回もシンプルなタイトルにしてくれと頼まれ、その通り決めた。


「長いと略されんじゃん」

「最近多いよね。長いタイトル」

「略せるなら、それにすりゃ良くね?」

「長いタイトルってことで覚えられてるってのもあると思いますけど。まあ気持ちはわかる」


 折角つけたタイトルを略され、そちらが有名になっていったのでは悲しい。香坂は鞄からペンを出し、持つ。

 考えていた候補を書き出す。

 在原は腕をテーブルに乗せ、それを覗いた。


「あめつち、森羅万象……なんで」

「宇宙に関連するところから取ってきた」


 宇宙に憧れる主人公の物語だ。お、と在原が一つのタイトルを示す。


「コスモス、良いな」


 在原はスマホを出し、その意味を深く調べた。カオスの対義語で秩序、あとは宇宙という意味もある。そして、花のコスモス。

 チョコレートコスモスの花言葉に目が留まった。


「移り変わらぬ気持ち、恋の思い出……と」


 恋の終わり。

 在原は佐田を思った。


――じゃあなんで映画作れるの?


 香坂からの質問が頭から離れないでいる。

 そうじゃない。

 “作れる“のではない。

 “作ることしかできない“のだ。

 佐田の自殺への悲しみも怒りも呑み込み、吐き出す先は作ることしかない。佐田が何を思ったのか、佐田がどうして死んだのか、佐田は何を愛したのか。もう誰も知ることはない。

 香坂も在原も長い時間、佐田のことを思った。それは恋と同等に。

 そろそろこの恋に目処をつけるか。


「どうしたの?」


 邪気のない顔で香坂は首を少し傾げ、尋ねる。在原は手で目元を払う。翳りはどこかへと消えた。


「コスモスにする?」

「ん、ぴったりだなって考えてた」

「移り変わらぬ気持ちか。良いかも」


 全然違うところへ目をつけていた香坂はそう言って、脚本の最初へ『コスモス』と書き込む。

 移り変わらぬ気持ち。在原は今度こそ笑った。確かに、これは絶対変わらないだろうな。


「……また意味わかんないとこで笑ってる」

「え、そう?」

「在原のツボってよく分かんない」


 怪訝な顔をする香坂。それを見返す在原。


 桜の花びらが舞った道を子供が駆けていく。その足跡を辿るように、小さな花弁がふわりふわりと舞う。

 それを追ったら、辿り着けるだろうか。

 あの人の場所まで。









 二人の学生時代は一旦ここで幕を閉じる。






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