vol.34 懐かしき君へ捧ぐ
寝る部屋は別よ、と目を細めて雨音に言われた。当たり前だ、と苦笑する二人。
「たぶん、寒いと思うけど」
「いや外で寝るよりマシだから」
外って。本当に店に辿り着かなかったらどうしたんだろうか、と香坂は心配を通り越して呆れる。
在原は店の座敷に布団を敷かれていた。押入れから引っ張り出した電気毛布と電気ヒーターの両方をつけると寝られる程には暖かい。
暗くなった店内で、在原は疲労からすぐに眠りについた。
地元のレンタルビデオショップで、佐田と最初にちゃんと話した。同じクラスだったが、不良だとか親がいないとかでよく呼び出しを食らっている生徒だった。
一方で在原は、映画を作りたいと思いながら野球をやっていた。身長が高いのでよくバスケ部の助っ人に誘われ、パソコン部に動画編集を教わった。
「あ、在原」
「おお」
イヤホンを耳に突っ込んでいた佐田は片方それを外し、身体を在原へと向けた。
「AVでも借りるの? 背高くても18以上には見えないけど」
「借りねえよアホか」
軽口を叩けるくらいには、二人の感覚は合っていたのだろう。佐田は笑いながら映画を棚に戻す。
在原が借りようと思っていた映画だった。
「これ超面白かった」
「へーそうなの? 私あんま邦画興味ない」
「一回で良いから観てみろって」
えー、と面倒くさそうな顔。というよりは、野球少年が何を言ってるんだ、という顔だったのかもしれない。
その後、在原の家で映画上映をすることになり、佐田がそこへドニを連れて来て、三人は出会った。
映画を一緒に作ろう、と決めたのもこのときだ。
がらり、と引き戸が開く音。在原はそれに起き上がり、香坂の実家に泊まったことを思い出した。とても、懐かしい夢を見ていたような。
ザッザッと音がして、そちらに目を向ける。朝日の色が濃い。
布団を出て、コートを羽織る。扉を開くと香坂が雪かきをしていた。驚いたように振り向く。
「おはよう」
「はよ」
「眠れた?」
「眠れた、ありがと」
一歩外へ出ると、朝日が眩しい。目を細めて在原が顔を上げた。
なるほど、雪に太陽の光が反射して一層煌めいているのだ。
「ちょっと散歩してきて良い?」
「一緒に行く」
「いや、一本道だろここ。大丈夫だって」
「熊に遭っても知らないから」
すぐに香坂は雪かきを終え、自分の部屋に戻っていく。熊に遭っても、香坂には撃退できないと思うが、在原は香坂を待った。
カメラを持ってくれば良かったと後悔する。日帰りする予定だったので、景色を見る余裕もないと考えていた。
香坂が店の鍵を閉めて、並んで歩き出す。
「夜より寒くね……?」
「日が出てるから暖かいと思ってただけじゃない?」
「あ、確かに」
「午後からまた雪降るって」
雪が降る前には帰ろうと誓う。
歩いてきた橋を見つける。ここで芳賀の主人に出会い、香坂の実家へ行くことが出来た。それまで人が歩いてすら居なかったので、文明でも廃れたのかと疑っていた。
橋の上で立ち止まる。澄んだ水が流れている。
「……綺麗だな」
柵から雪を落とし、手をつく。冷たい。
それを香坂は横で見ていた。
「良いところばかり見られても」
「この寒さと毎年闘うのは無理だけど」
「自然が綺麗なのは地球上どこも同じでしょ」
暴力的な正論。在原はスマホを河に向け、シャッターを切った。
香坂はこの場所で生まれ育ったが、一度もこの風景を写真に収めようと思ったことはない。美しさは、汚さを知って初めて分かるものだ。しかし、知った今も、きっと愛することは出来ない。
「でもここは、五月ちゃんの帰る場所なんだろ」
在原が香坂を見る。
それは、そうだ。変えることのできない事実。ここから出たから、ここに帰ることが出来る。
「……言うの、忘れてたんだけど」
「ん?」
「来てくれて、ありがとう」
在原が来なかったら、香坂は今も毛布に包まり、物語に浸かっていただろう。
佐田への後悔とぐるぐる回る悲しみに心を蝕まれ、どこへも行けなかった。
「どういたしまして」
朗らかに笑う在原。
今だって、どこにも行けてはいないが。
「……あたしはあたしのやり方で、佐田さんを救おうと思う」
「ん、了解」
「書けないと、何も出来ないけど」
「俺も書けねえし、そんな気にするこたないって」
じろりと在原を見る。なんだ、と視線で問うた。
「一気に心配になってきた」
「なんでだよ」
香坂が少し笑った。
目を覚ますと、木目の天井が見えた。起き上がり、店内の布団の中にいた。在原は一瞬、今までの全ては夢だったのかと思った。
近くに投げ出されたコートとスマホを見て、夢ではないことを知る。帰ってまた寝ていたのだ。
店内は暖かく、ストーブが焚かれていた。視線を少し動かすと、雨音と目が合った。
「お、はようございます」
「おはよう。朝ご飯食べる?」
「頂きます」
驚きすぎて心臓が口から出そうになる。在原は布団を畳み、靴を履いてストーブの近くに行った。
すぐに朝ご飯は並べられ、テーブルに着く。雨音は隣のテーブルで仕込みをしていた。
「五月は図書館に本返してくるって。すぐ帰ってくると思うけど」
「図書館……近いんですか?」
「バスで20分くらい」
そうだよな、と在原は頷く。温かい味噌汁が美味かった。
「それ、何してるんですか?」
「もやしの下処理。根切りしたことない?」
「根っこ切るんですか?」
「しゃきしゃきして美味しくなるの」
ふと、前に香坂の家のナムルを食べたことを思い出す。確かに、あの時感じた美味しさはこれだったのかもしれない。
感動する。在原はそれを覚える度、自分の世界の狭さを知る。
こつこつと山盛りのもやしを折っていく雨音を見て、在原は思う。
「香坂さん、五月ちゃんに似てますね」
「……五月が私に似てるんでしょう?」
「あ、そうか」
気の抜けた返事に、雨音が苦笑する。でも確かに、在原からすれば香坂の方を先に知っているので、順番からすれば間違ってはいない。
俯いた長い睫毛や輪郭が香坂とぼやける程に似ていた。
「映画は作ってるの?」
「……はい、次が最後になります」
それが娘の先輩が自殺したことと関係あるのかどうかは分からないが、どこか決意した顔の在原に、雨音は何も尋ねることは無かった。
「父親が監督なのは知ってるの?」
「知ってます。八代監督の大ファンです」
さくさくと答える。在原は朝ご飯を完食していた。
知っていたことに驚き、雨音は在原を見た。
「だから五月を誘ったの?」
「いや、まさか」
「あの子のコネなら会えるかもしれないじゃない」
「五月ちゃんの書いたものに、感銘を受けたんで。あと監督には自分で会いに行きます」
香坂にした返事と同じ。
雨音は何か言おうと口を開いたが、足音が聞こえたので閉じた。がらり、と店の扉が開き、香坂が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
香坂は店の時計を見上げてから在原を見た。
「寝起き?」
「え、今何時」
「あと30分でバス一本行っちゃうけど」
在原は慌てて朝ご飯の皿を下げ、顔を洗いに行った。香坂は仕込みをする雨音へ向く。
「あたしも帰る」
「そう。また来なさいね」
「うん」
こっちへ帰ってきたばかりのような暗さはもう無い。雨音は内心、在原が来てくれて助かった。
香坂の顔を見る。耳元で大きなピアスが輝いている。
「……映画」
「うん?」
「あなたの脚本した映画、良かったと思う」
チャリティーイベントのときの。
香坂は驚いて、口が開いた。自分の母親が、物語を嫌う母親が、娘の作った物語を良かったと評価した。
在原の社交性は真似できない尊敬する点がいくつもあったが、香坂はこのときばかりは恐ろしさすら感じていた。
「ありがとう」
しかし、これは小さな一歩に過ぎない。
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