vol.32 逃避行


 ランダムの定例活動終了後、在原は楢を捕まえた。文字通り腕を捕まえ、自販機前まで連れてきた。


「五月ちゃんの連絡先知ってる?」

「知ってますよ」

「電話かけて、今すぐ」


 宛ら人質強盗だ。銃も何も突きつけられてはいないが、その圧に押されて楢は携帯を取り出す。


「携帯忘れたんですか?」

「俺からのは出ねえんだよ」

「喧嘩でもしました?」


 仲の良い二人だが、言い合っているのもよく目にする。それが原因で今日、香坂は欠席だったのか。


「違う、避けられてる」

「……え?」

『もしもし』


 耳にあてたスピーカーから香坂の声がした。


「あ、もしもし。今大丈夫ですか?」

『うん。どうしたの?』


 在原の方を見る。電話をかけたまでは良いが、その先の指示を聞いていない。


「返信しろって言って」

「真澄さんが、返信しろって言ってます」

『……そこにいるの?』

「しないなら行く」

「なんか、返信しないなら行くって言ってます」


 どこへ行くのか。香坂のバイト先か? と楢は呑気に考えた。

 電話の向こうの香坂は口を噤んでしまう。あまりに長い沈黙に、通話が途切れたのではないかと、一度画面を見た。


『来てみればって伝えて』


 一方的に電話が切られた。ツーツー、と無機質な音声。もしや面倒なことに巻き込まれているのでは、と楢は今更ながら思った。


「……来てみればって、言ってました」


 過去形なのは通話が切られたからだ。携帯を耳元からおろす。在原は長く溜息を吐いて、自販機に向かった。

 缶コーヒーを二つ買う。


「ん、サンキュー」

「どうも。なんか、大丈夫ですか?」

「五月ちゃん? どうだろうな」

「いや、真澄さん。怒ってるんですか?」


 楢と目が合う。え? と笑ってみせるが、笑顔にはなっていない。

 在原が怒っているのを初めて見た。

 ……苛立っているのか。

 なるほど、と自分に納得する。怒りの正体は分からず、それにも腹が立っている。

 日頃、ムカつくことはあっても怒りまでには達さない。況してやそれを他人に指摘されることなんて、今まで何度あったか無かったか。

 連絡を返さない香坂に怒っているわけではない。いや、苛立ってはいるが。返さないこと、というよりは。


「俺、ずっと後悔すんだよ」


 在原は続けた。


「お前が助けた香坂を助けられなかったこと」

「あれはすごい偶然で」

「だとしても、巻き込んだ身としては、知らないとこで悲しんだり泣かれても困る」


 話さないことに、怒っているのだ。









 在原はバスに揺られていた。三時間と少しほど新幹線に乗った後だ。映画を二本観て、目が疲れた。

 夜行バスの方が料金は安かったが、バイトの時間との兼ね合いで新幹線を選んだ。駅から市営バスが出ていたのは幸いだった。既に外は暗くなり始めている。

 香坂から返信は無かった。「私メリーさん」と駅の写真でも送ろうか迷ったが、そんな時間も惜しい。

 市営バスには高齢者が多く、途中のバス停でよく停まった。通りには『市民マラソン』の旗が出ている。ここがルートなのだろう。

 いつか、香坂が酔って降車ボタンを探していたことがあったなと思い出す。大きい移動手段は大体がバスだったのだろう。高校生の頃もバスに揺られていたのかもしれない。

 在原は目的のバス停で下りて、辺りを見回す。何もない。いや、道路沿いに林や河は見えるのだが、民家がぽつりぽつりとあるくらいで、あとは数メートルおきに並ぶ電灯だけ。そして、雪。

 少し吹いた風が身の芯まで凍えさせる。脇に積もった在原を越えそうな雪が更に気温を下げている。

 寒い、けど、綺麗だ。

 都会だったらこの電灯では真っ暗であろう道も、雪があるからか少し薄暗く見える。

 閉塞的で、映画も小説も漫画もろくに目にすることができない。香坂が生まれ育った場所。

 吹雪じゃなくて良かったとそれだけに感謝しながら、在原は雪道を進む。頼れるのは意味のない根拠と、地図のみだ。








 小料理屋、さみだれ。

 店内は常連客で賑わい、ほくほくと温かい料理が並んでいた。客の殆どは近所に住む爺婆だった。

 着物の上に割烹着を羽織った雨音が、客へ酌をしつつテキパキと仕事をこなしている。


「そういえば五月ちゃん元気か?」

「ええ。今も上に」


 先日、娘から電話があった。秋からの冷戦がそこで止んだ。

 まるで泣くのを堪えているような声で「明日帰っても良い?」と聞いてきて、二人だけの親子だ、「来ないで」とは言うほど鬼にはなれなかった。

 今は便利だ。ネットでチケットを買えば、郵送することなく受け渡すことができる。

 空港についた娘がぽつりぽつりと、サークルの先輩が自殺したことを話した。


「部屋で本でも読んでるんじゃないかしら」


 がらり、と店の引き戸が開いた。見えたのは近所で旅館を営業している主人、芳賀だった。


「いらっしゃい、芳賀さん」

「やーこんばんは、そこでね、この店探してる少年と会ったんだよ」

「少年って歳じゃ……」


 その声には聞き覚えがあった。芳賀の後に入ってきたのはコートを着込み、スヌードを巻いた青年。あのときの、監督の。


「こんばんは、突然すみません」

「あら……あり……」

「在原です。五月さんと、同じサークルの」


 頭を下げながら店内に入ってきたのは、引き戸の方が低かったからだ。


「相変わらず背が高いのね」

「……急に縮むことはないんで」

「冗談よ」


 会ったのは二度目で、冗談を言われるとは思っておらず、暖かい店内とで、在原は一気に緊張が溶けてしまった。こんなところまで来て、追い返されると思っていた。


「なになに、雨音さんとどういう関係?」

「おめ、背高ぇな。一緒に呑むか」

「娘の友人です。五月は上にいますよ」


 あっさりと香坂の居場所はバレた。在原が佇んでいると、雨音は天井を示す。


「五月に会いに来たんでしょう?」


 全てお見通し、だ。

 在原が頷く。


「そこから入って、靴脱いでね」

「すみません。お邪魔します」


 トイレとは別の出入り口へと在原は入った。一つ段を上がれば、そこは普通の家の廊下に繋がっている。

 在原は靴を置き、すぐ傍にあった階段を上る。どこか懐かしいような、他人の家の匂いがする。

 二階には三つ部屋があり、二つの部屋の襖が中途半端に開いているのに対して、一つの部屋だけが後からつけたような開き戸だった。そこだけがぴしりと閉まっている。

 在原はとんとん、とノックをした。ここが香坂の部屋だという確信がどこかあった。

 「はい」とだけ返事があった。


「入って良い?」

「え?」


 返事を待たずに、扉を開けた。

 香坂の部屋は殆ど何も無かった。小さい本棚には過去の教科書が詰まっているだけ、机と小さなテーブルと小さなテレビがあるのみ。

 きょとんとした顔で、香坂は在原を見上げていた。


「……なんで」


 自分の部屋から持ってきたのであろうボストンバッグには小説が何冊か溢れ落ちている。香坂が座るすぐ傍に、これまた見知ったクマを見つける。ヤレアハ。香坂がゲーセンで取ったクマだ。

 香坂の部屋に行くと転がっているのを見たが、こんなところで会えるとは思わなかった。


「何してるの?」

「いや、それはこっちの台詞なんだけど」

「ここ、実家……」

「お前、逃げんの?」


 在原はしゃがんで、香坂と視線を合わせた。目を擦った後なのか、目元が赤く、隈もある。

 香坂は先に視線を逸した。


「……なんのこと」

「佐田から、逃げんの?」


 その名前が出て、香坂は持っていた小説を置いた。

 下から、在原を睨み上げる。


「何が言いたいの?」





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