vol.30 ゴースト
ドニと二人は駅で別れた。
違う路線の電車を待つ。ドニは一緒に棲んでいる彼女に早退の旨を伝えるメッセを打った。
佐田のことを彼女にも伝えなくてはならない。
中学の頃、佐田はよく学校の非常階段に座っていた。ドニはそれに気付いていたが、素行の良くなさを聞く佐田に近付こうという気は起きなかった。
外見の違いで只でさえ目立っている自分が傍にいたら迷惑だろうという考えも、その逆もあった。
佐田はそこで音楽を聴いたり、目を瞑っていた。
「何を聴いてるんですか?」
何故その日、話しかけたのかは正直覚えていない。成長期なのにちゃんとしたものを食べていないのだろう。細い腕をずらして、佐田はドニを見上げた。
綺麗な大きい黒い瞳。真っ直ぐにドニを見るそれに、自分の顔が映っているのではないかと錯覚するほど。
「映画のサントラ」
「サントラ……」
「場面の後ろで流れてる音楽とかあるでしょ、ドラマでも」
サウンドトラックか。ドニは頷きながら納得する。
「よくここで音楽聴いてますよね。好きなんですか?」
「ここ静かなんだもん」
好きかどうかではなく、ここである理由。
確かに、大事だなと思う。映画もどこの映画館で観るかによって違うし、食事だってどこで取るかによって変わる。佐田はこの場所が好きなのだろう。
「それによく音が聴こえる」
目を瞑った。
グラウンドの掛け声、吹奏楽部の音合わせ、正門近くではしゃぐ生徒の声。
佐田の耳は、音に愛されていた。
夕暮れ時だが、日はすぐに落ちる。香坂と在原は一緒の電車に乗り、揺られていた。
「……あたし、何も知らなかった」
ずっと頭の中がぼんやりしていた。しかし、佐田が『親はいない』と言ったときや、男と歩いていたとき、合宿であの傷を見たときに、何か聞くことができたのではないか、という無念さが胸に増えるばかり。
分岐点はどこにあったのだろう。何かを変えることは出来なかったのか。
変えられなかったから、ここに立っているのに。
「五月ちゃんにはそういうの知られたくなかったんだろ。だからドニも、さっき教えた」
「……聞いても?」
「俺は聞かれたくねえんだろうなと思って見てたけど、ドニは結構心配して聞いたりしてたな。いつも門前払いだったけど」
いつか、パトロンの男の話を尋ねたドニに対して不機嫌になった佐田を思い出す。
「……どこにも正解なんてねえよ」
在原はそれを自分に言い聞かせた。先程のドニの言葉もそうだ。理由があったとして、正解があったとして、自分がそれに納得できるわけがない。
最寄り駅でおり、香坂の家の方面へと歩く。家の前で立ち止まり、香坂はぼんやりと空を見つめた。
「五月ちゃん、大丈夫?」
「……うん。お茶でも、飲んでく?」
「いや、コーヒーあるし」
そういえば在原に買ってもらった缶コーヒーが飲まれずに鞄に入っている。在原も同じだった。
一緒に階段まで上ってくるので、怪訝な顔を向ける。
「鍵閉めるの見届けてから帰る」
「酔ってないけど」
「俺の習慣」
肩を竦めるのを見て、香坂は反論するのを止める。どうせここまで来たのだから。
じゃあ、と言って香坂は扉を開けて中に入る。在原も軽く手を挙げた。
ぱたんと扉が閉まり、鍵をかける。チェーンもかけた後、扉の外にいた在原の足音が聞こえ、遠ざかっていった。
香坂はそのまま、扉に肩を寄せてしゃがみこんだ。鞄が肩から落ちる。中に弁当も入っていたことを思い出し、手で額を覆った。
佐田の訃報が広がり、葬儀は佐田の祖父の遠縁が仕切ることになった。祖父は佐田が幼い頃に亡くなっていた。
佐田鞠絵。鞠は魔除けの意味がある。香坂はそう伝えた。
大津や野皿も式に参列し、涙を流していた。高校のときの友人も多く、勿論ランダムのメンバーもいた。
在原は通夜の後、震えるスマホと向き合っていた。
「彼女ですか?」
「知らない番号。最近多いんだよな、この前は記者だった」
「……佐田さんですか」
丁度廊下を通りかかったドニが立ち止まる。
その通りだ。佐田の死をどこからか聞きつけ、学生映画コンクールで最優秀を取ったランダムのメンバーだと知り、ランダムのHPから在原にアポを取ってくる。
「死の真相なんて、こっちが知りてえよ」
画面に触れ、拒否する。
それを黙ってドニは見ていた。
「仕方ねえけどHP一旦下げるか」
「……真澄くんは、どうしてだと思いますか?」
ドニは廊下の壁に背中を寄せた。奥の会場では通夜振舞いが行われている。
「死ぬことに理由なんてあってたまるかって、お前が言ったんだろ」
スマホを見ながら在原が返す。過去にかけられてきた電話番号を着拒に設定する。
その横顔から目を逸らす。
「佐田さん、香坂さんのこと好きだったと思います」
「ああ、知ってる」
「恋愛感情で」
在原がドニを見る。特に驚いた様子もなく。
「うん」
それは知っていた。あれは慕うというより、執着に近かった。香坂本人は気付いていないだろうが。
「……香坂さんが男だったら良いのにって言ってました」
佐田の恋愛対象は異性だから。
在原はドニの肩を掴んだ。指先に力が込められ、視線に暗い色が宿る。
ドニは息を呑んだ。
「それ、香坂に言ったら」
「言うわけないです」
「ドニのことぶん殴るかも」
「真澄くんって、香坂さんのこと好きですよね」
「俺は香坂の立ち位置が楢でも百瀬さんでも枕崎でも同じこと言ってるっつーの」
漸く手が離れた。呆れたように笑って、在原がスマホをポケットに仕舞う。
「行こーぜ、寿司食いたいだろ」
「……僕は天ぷらを」
棺桶に入った女は、佐田とよく似ていた。
色のない頬と、薄い化粧をしていて、別人だった。在原はそれを一度しか見ることが出来なかった。
佐田と在原は似ていた。そして、佐田は香坂を連れてきた在原を呪っていたのだろう。一度「真澄くんはずるいよね、男だしモテるし」と言われたことを思い出す。
映画なら、今頃在原の後ろで恨めしそうに睨む佐田がいるはずだ。幸い、現実ではそんなことは起きない。
佐田の執着を見て見ぬ振りをした。人は嫌でもいつか死ぬのに、佐田はそちらを選んだ。
後ろに立っていたら良い。そして、胸ぐらを掴んでふざけんなと正面から言ってくれ。
在原は振り向く。そこには誰も居なかった。阿呆らしい想像だ。
通夜振舞いの会場に進むと、見知った顔が沢山いた。ランダムのメンバーと高校の同級たちが殆ど。
諦めていた。
佐田に、どんな小言を言われようと。
「五月ちゃん、寿司うまい?」
大津の横で静かに座っていた香坂に声をかける。
「煮しめおいしい」
「まじで? 筍食いたい」
香坂を手放すことは出来ない。
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