vol.27 怒りはどこへ行く


 雨音に声をかけた青年は、先ほど視聴覚室の前で受付をやっていた男子学生だった。背が高いと見上げたのを同時に思い出す。

 ナンパだったら最悪な声掛けだったなと思い返す。仲間の母親をナンパするなんて、どんな状況だ。


「さっきの映画の監督をしてた在原と言います」

「……どうも、香坂五月の母です」


 挨拶をすれば挨拶が返る。

 合宿のときに香坂が言っていた"物語が嫌いな母親"だ。それを聞いたとき、香坂が映画制作に関わっていることを母親に告げてはいないのだろうとは考えていた。


「五月さんをランダムに……映画制作に誘ったの俺です」


 そんな言葉は何の効力を生まないことは分かっていた。選ばせたのは在原でも、選んだのは香坂だからだ。

 書いて欲しいからだ、と言ったのに、それは香坂を守る意味は持たない。

 今更、か。


「あなた、五月の彼氏?」

「いや、違います」

「じゃあそんなこと言う為に追いかけてきたの? ここまで?」


 もう殆ど駅に近い。映画の方の撤収は終わっているだろうな、と頭の隅で思っていた。

 香坂はまだあそこにいるのだろうか。

 あの時、駆け寄った方が良かったのは香坂の方だったのだろうか。


「大事な仲間なんで」

「……そう」


 いや、大丈夫だろう。香坂は強い。そして、香坂の原動力は。


「映画、どうでしたか?」

「え?」

「あの映画の脚本、香坂が書いたんです」


 怒りだからだ。








 機材をサークル室まで戻し、いつもの居酒屋で打ち上げとなった。

 面接を終えた佐田が遅れて合流する。


「……五月ちゃん、なんかペース速くない?」

「そうですか?」


 顔色ひとつ変えず、ビールを飲み干す香坂。佐田はドニの横に腰を降ろし、酒の注文をする香坂を見る。

 香坂の隣に座る楢とドニへ、佐田は尋ねる。


「なんかあったの?」

「いや……」

「さあ……」


 使えない男どもめ、と佐田は返答を聞いて小さく溜息を吐いた。唯一知っていそうな在原は演者たちのテーブルに入って盛り上がっている。


「反響はどうだったの、イベント」

「良かったですよ。最後の回は殆ど満席でした」

「それって結構入ったんじゃない?」

「最初の方で見てくれた人たちの口コミで来た人もいたみたいです」


 さすが地域の力だな、と佐田は感心する。


「佐田さんはどうだったんですか、面接」

「絶好調」

「信じがたい……」

「なんか言った?」


 ドニはニコニコと笑って誤魔化した。


 宴も酣。

 解散し、それぞれの電車に乗る。


「秘書も良くない? 秘書検定いるのかな」


 突発的に佐田が話し始めた。


「佐田さんが秘書……」

「秘書検定取るより免許取った方が使えるって聞きますけどね」

「そうなの? 楢情報信じるからね?」


 圧をかけられた楢が苦笑する。佐田の隣に座った香坂が身を乗り出す。


「秘書って秘書課とかになるんですか?」

「あ、そうじゃん。じゃあ一般職でまず就職しないとかー」

「そもそも最初から秘書になれるんですかね?」


 ドニが首を傾げる。皆が黙るのは、近くに秘書という職種についている人間を見たことがないからだ。想像力は尽きた。

 香坂は最寄駅で降りて、皆と別れた。改札を抜けて駅を出た先にあるベンチに座り、スマホを出す。


「五月ちゃん、寝てんの?」


 前に立ったのは在原だった。香坂はそれを見上げる。


「……寝てません」

「じゃあ帰ろうぜ、寒いし」


 上着のポケットに手を入れ、在原は首を竦める。星は殆ど見えないが、寒い夜だった。すぐそこに冬が待ち構えているような。

 誘われたものの、香坂は動こうとしなかった。固く持ったスマホは暗いまま。


「気持ち悪い」

「え、傷つく」

「気持ち悪い……」


 ぐっと背中を丸め、鞄を膝に抱いた。そっちかよ、と在原は背中に触れようとして、躊躇う。


「吐く?」


 ふるふると力なく首を横に振る香坂。

 どうしたものか。無理やり動かして吐かれても困る。


「……先帰ってください」

「いや危ないだろ、何時だと思ってんの」


 先程乗ってきたのが終電一本前。またホームからアナウンスする声が聞こえたので、今来ているのが終電だ。

 前も危ないから、と在原が着いてきたことがあったな、と思い出す。合宿のときだ。ホラーがどうのこうのって、色々言いながら香坂の行く先についてきた。


「別に、危ないことに遭ったって、誰もあなたの所為になんてしないのに」


 表情は見えない。在原はその言葉の意味を、深く考える。

 それはそうだろう。香坂は在原の子供でもなければ、家族でも恋人でもない。大事な仲間であることには変わりないが、それは言ってしまえばどこまでも他人だ。

 香坂の隣に座る。冷たい空気の座っていた左側が温かくなる。

 スマホは何も受信しない。

 負い目がある。自分が原因で、香坂が酷い目に遭った。香坂は『あなたは何もしてない』と言ったが、それはその通りで、在原は本当に何もしていなかった。だから香坂がそんな目に遭ったのだ。


「普通、他人のノートの中身勝手に読んだりしないと思うんだけど」

「急にそこに飛ぶ?」

「あの時は本当にムカついたから」

「その節はすみま……」」

「それで『辞めなさい』ってなんなの? あなたは神様か」


 在原は漸く、自分にではなく、違う人間に香坂が苛ついているのに気付いた。


「それって五月ちゃんの母親のこと?」

「そうだけど」


 それ以外に誰がいるのだ、という表情。香坂の顔がようやくこちらを向いた。

 スマホを握った手が白い。


「怒ってんの? 凹んでるんじゃなくて?」

「あたし、凹んでるって言った?」

「いや言ってねえけど、行間を読み取ったらさ」

「はあ? 何の行間」


 確かに苛ついている。もしやと思い、在原はスマホを指差す。


「それ、連絡待ってんじゃねえの?」

「ムカつくから小説書こうと思ってた。連絡ってなに?」

「いや、なんでも」


 堪えきれなかった。

 顔を伏せ、肩を揺らす。最終的に噛み殺すことは出来ず、声を出して笑った。

 急に笑い始めた在原へ気味の悪いものを見るような顔を向ける。実際、ケラケラと笑い始めた在原は薄気味悪い。


「気持ち悪い」

「あ、なにが?」

「あなたが」

「え、傷つく」


 そこで香坂の記憶は途切れている。





 寝返りを打ち、目が覚める。後ろ姿が見えた。在原のだ。

 カーテンは開けられ、朝日が差し込んでいる。自分の部屋だろうという予想はついていた。


「あ、起きた」

「送ってくれたんでしょ、ありがとう」


 皆まで言うなと、香坂は起き上がりながら言う。在原が持っていたものをテーブルに置いた。


「どーいたしまして。気持ち悪いのは?」

「全然気持ち悪くない」


 二日酔いもない。香坂は毛布を手繰り寄せながら答える。


「なんか、駅前のとこから思い出せない」

「歩いて自分の家まで行って、気持ち悪いって言いながら玄関に蹲ってた」

「……考えてた文章、忘れちゃった」

「スマホは手放さなかったけどな」


 指差した先に、香坂の枕元。放置された携帯が転がっていた。画面を明るくすると、電池が減っているだけだった。

 在原からの視線を感じて、そちらを見下げる。


「何ですか?」

「五月ちゃん、腹減った」

「うち、今コーヒーしか無いんだけど」


 元々他人を呼ぶ性格でもない。香坂は毛布を連れてベッドから下りてキッチンへと歩いていく。在原も立ち上がり、その後を着いていく。

 暖房はついているが、香坂が毛布をずるずると引き摺って来た理由がよく分かった。キッチンは寒い。

 もう温かいコーヒーを飲めればそれで良い、と在原は思い始めていた。


「ナムルならあった。昨日の朝ごはん」

「朝飯にナムル食ってんの?」

「正確に言うと一昨日の夕飯。具はもやしときゅうりと……」

「食べます、食べさせてください」


 香坂は注文通り、コーヒーとナムルをテーブルに出した。ぱん、と手を併せて在原は箸を持った。

 頂きます、とそれを食べ始める。香坂はコーヒーを飲み、テーブルに放置された紙の束を少し纏めた。


「これは、うまい」

「良かったね」


 普通、自分の手料理を他人に食べられるなんて緊張するのでは。在原はそう考えながら、それは今まで会った女のことだと思い直す。

 香坂は在原の反応なんて見向きもせず、テレビを点け始めた。毛布を被りながら。

 もやしをしゃくしゃくと咀嚼しながら、在原はどこか腑に落ちない気持ちになった。

 小説や脚本を見せるときと、この違いは一体なんだ。

 そう考えながらもナムルを平らげた。美味しさの秘密はわからないまま。






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