vol.26 帰る場所


 秋口。薄いコートを引っ張ってきて、羽織る。

 空は高く、薄い青に目を細める。頬にかかった髪の毛を払おうと頭を振れば、耳に飾った大きなピアスがパラパラと音を立てて揺れた。

 玄関の鍵を閉め、部屋を後にする。







 会場となっている民間施設は最近改修工事が終わり、地元の人々も多く利用している。在原は運営のスタッフに説明を聞き、駐車場に屯するメンバーの元へと戻ってきた。


「場所は視聴覚室で、出力の仕方は学校とかと一緒。受付に一応二人、誘導三人、機材二人くらい。あとのメンバーはイベント本部の方手伝ってください。何かトラブルが起こったら在原の携帯か、件によっては本部まで。他に質問ある人」


 すっと百瀬が手を挙げる。


「終わった後はどこに集合とか決めてる? とりあえずここら辺に戻ってくれば良い?」

「あー、きっと撤収は映画の方が早いと思うんで、終わり次第イベントの方の片付け手伝ってから終了にします。どっかで逸れたら連絡してください」

「りょーかい」


 年上相手にリーダーシップを発揮できるのは、在原の長所だ。香坂は団体の後ろの方でぼんやりと考える。

 本日、佐田は企業面接で休み。大津も来たがっていたが、丁度バンドの二次審査と被ってしまったので来れない。

 近くにいた楢がひらひらと目の前で手を振る。


「寝不足ですか?」

「いや、緊張からの眠気」

「そんな激しい批判は貰わないと思いますけど」

「それでもなんかこう、緊張するの」


 生理でもないのに腹の底が重い。

 恒例のジャンケンが始まる。皆で手を挙げて、ジャンケンをする。









 香坂雨音は東京に来ていた。

 店には臨時休業の紙を貼ってきた。娘がチャリティーイベントの手伝いをしているらしいと常連客に言うと「偶には見に行ってくれば良い」と返され、それもそうだな、と考えたのだ。

 友人と楽しくやっているその姿をちらと見られれば良いと思っていたので、本人には連絡しなかった。

 思えば、娘が大学に入ってから初めて東京に足を運ぶ。入学前に一度、部屋の内見や大学を見に来たことがあったくらいだ。

 地元に比べて、当たり前なのだが人が多い。雨音も前はこちらで働いていたはずなのだが、その頃よりも人口が増えている気もする。

 人が多いと思いながらも器用に人混みを抜け、娘の言っていたチャリティーイベントを行っている場所の最寄り駅へと向かう。スマホの地図を見ながら会場についた。

 そういえば主に何をしているのか、詳しくは知らない。売ったり出し物をしたり、と言っていたか。


「どうぞ、視聴覚室では映画上映も行っています。最後の上映が十分後に始まるので、ぜひ」


 イベント全体のチラシと共に配られたフライヤー。雨音はそれを受け取り、白黒の紙へと視線を落とす。

 タイトル、主演役者たちの名前、監督と、脚本の名前。

 思わず、立ち止まる。後ろを歩いてきたカップルがぶつかる寸前で避け、怪訝な顔をしながら横を抜ける。


 どうして。

 どうして、その名前があるのか。

 "脚本・香坂五月"


 思いと反して、ふらりと施設の方へと足が向く。中へ入ると視聴覚室は二階にあるのがすぐに分かった。


「映画やってるって」

「午前中見た友達が言ってたけど、めっちゃ良かったらしいよ」

「行ってみよー」


 前を行く中学生ほどの女子たちが話している。雨音は顔を上げた。

 視聴覚室前には受付をしている男女の学生。こんにちは、と入ってくる人々に挨拶をしている。男子の方は背が高い。

 目が合い、朗らかに笑む。


「どうぞ楽しんで行ってください」


 入るとすぐに辺りが暗くなった。近くの椅子に座り、前のスクリーンを見る。大学の講義室のように席に段差がついており、前の人間の頭でスクリーンが見えないことは起こらない。雨音は何年ぶりかに、スクリーンを見た。そして、映画を。






 最後の上映が終わり、出入り口で混雑が起きないように誘導する。出口付近には募金箱や感想用紙を置き、テーブルが設置されていた。何人かがそこで鉛筆を取っている。小さい子から、高齢の夫婦まで。

 香坂はその様子を見て、安堵していた。上映回数を追うごとに人は増えていた。

 ふと、視線を感じた方へと顔を向ける。最初は在原かと思った。後ろの席近くに立つ、その姿。

 母がいた。

 視線が絡み、母は出口へと歩いて行ってしまう。


「ま……、あの、ちょっと、母に声かけてきます。すいません」

「はい、行ってらっしゃい」


 一番近くにいたのは機材を触っていたドニだった。反対側の出入り口から入れ違いに在原が入ってきた。室内に客は居らず、機材の撤収をするドニへと近づく。


「お疲れ」

「お疲れ様です。今、香坂さんがお母さんに声をかけに行きました」

「え、来てたのか」

「みたいですね」


 在原は機材に手をかけたが、何か考えたように止まった後、手を下ろした。


「ごめん、ちょっと行ってくる。楢、機材よろしく」

「あ、はい」


 ドニと共に機材係に入っていた楢にそう言い、また視聴覚室から出て行った。落ち着きのない男である。

 いや、過保護なだけか。







 階段をおりて、その姿を目で探す。外に出たのなら、道はひとつだ。

 人の多い場所で母を探すなんて、高校の卒業式以来だ。香坂が大学に入学してからこちらに来たことは無かった。


「……待って」


 しかし、すぐに分かった

 自分の母親だ。


「お母さん」


 施設の外に出ると、客が出口へと流れていた。雨音は振り向いた。香坂は呼び止めたものの、何と声をかけるのかは考えていなかった。


「来てたの、知らなかった」


 店は今日休みなのか。映画を見ていたのか。どうして今日来たのか。

 尋ねたいことはたくさんあった。


「……言ってたら、あなたどうしたの?」


 小さく首を傾げて雨音は尋ねた。その視線に非難が含まれている。


「本当のことなんて言わなかったでしょう。嘘は吐いてないけど、ずっと隠したまま」

「言ったら、怒ると思って」

「こっちで楽しくやってるならそれで良いじゃないの」


 静かな怒りの色。香坂はそれを前に、何も言えない。


「帰ってこなくても良いわよ」


 そう言われるのが、分かっていたからだ。

 二人だけの家族だ。一緒に住んでいた頃、喧嘩をすると母によくそう言われたものだ。香坂も香坂で、対抗するようにして家を出た。友人の家に行ったりして、何日か帰らない日もあった。

 しかし、今は違う。

 帰ってこないも何も、香坂は雨音のいる家に帰らずとも東京の家はある。それは雨音も分かっている。

 一緒にいない二人を、時間は解決してくれない。離れたまま離れてしまうと、時間に比例して関係は離れていく。

 反論できない香坂をおいて、雨音は行ってしまう。その足を止める術を持たない自分が酷く無力だった。子どもは一生、親の子どもだから。


 俯いたままの香坂の横を在原が通ったことには、気づかなかった。


――帰ってこなくて良いわよ。


 香坂とその母親の会話の最後がそれで終わったのだけは分かった。俯く香坂と、背中を向けて行ってしまう母親。

 こんなエンディングは嫌だな、と心のどこかで思った。香坂はこういう結末を書きそうだが。

 考えるより先に足が動いていた。香坂の母親を追う。追いかけるのが遅れたのと人混みとで、その姿を見失いかけた。

 駅へと向かう道で、後ろ姿を捉えた。


「香坂さん」


 何と呼ぶのが最適か分からず、在原は声をかける。確かに香坂さんなのは間違いない。香坂さんは呼び止められ、在原の方を振り向いた。

 その所作が香坂に似ていた。

 在原を見上げて、不審がる。知らない男に名前を呼ばれたのだ。その反応は正しい。


「さっき、映画観てくれましたよね」




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