vol.25 なんでも屋


 夏休みが過ぎていく。

 バイト、大津のバンドが出るライブ、帰省、ゼミ、撮影、打ち合わせ。

 あっという間に夏休みは終わり、香坂は久しぶりに大学の図書館にいた。去年の夏は大抵ここで過ごしたのに、今年の夏休みは一度も足を運ぶことはなかった。

 ノートに小説を書くこともなくなったな、と振り返る。殆どPCかスマホに書き入れている。


「五月さん」


 声をかけられ、立ち止まる。振り向くとマスクをした楢がいた。


「え……棗?」

「髪染めただけでそんなに疑われます?」

「正直棗は最初に髪色で判断してたとこあるから。黒いのも似合うね」


 さらりと褒められ、楢はぐっと声を詰まらせる。何気に香坂は褒めるのが上手い。

 灰色だった髪は黒く染められ、後ろ姿では判断する材料が無くなった。年がら年中マスクをしているという特徴はあるが、ランダムに居る時はしていないので、パッとは見つけにくくなる。


「これから授業?」

「はい。さっき真澄さんに過去問貰ってきたところです」

「十年分くらい持ってそう」

「それすごい分かります」


 ちなみに香坂は大津と、過去問と配布プリントの交換をしている。大津もサークルの先輩から過去問を入手しているらしい。

 授業に向かう楢と別れ、香坂は食堂へ向かった。入口近くに座った大津がひらひらと手を振る。


「ライブ、すごかった」

「第一声にそれって、超嬉しいんだけど」

「あんな風に音楽が出来たら楽しいんだろうなって思いながら聴いてた」


 ライブ会場には佐田と一緒に行った。同じ大学の友人のバンドが出ていたからだ。佐田も大津たちの演奏には甚く感動していた。


「レコード会社が主催のオーディションに応募したらね、一次審査通ったの。動画審査なんだけど」

「すごい。二次審査は何するの?」

「スタジオで演奏。四年は就活するから記念として応募したら通っただけだから、二次は無理だと思うけど」


 大津は肩を竦めて言う。


「なんか、五月たちに触発されてさ。野皿と、何か残したいよねって」

「それはあたしじゃなくて、在原でしょ」

「五月が脚本書いてなかったら、私ら行かなかったもん。少なくとも私は」


 失うものばかりな人生で、あといくつ得ることが出来るのだろう。

 指折り数えても、足らないかもしれない。

 香坂はふわりと笑った。


「ありがとう」










 チャリティーイベントを考えながら、学生映画コンクールの方も進めなければならないことを頭の隅で考える。


「在原ー、飯だって」

「腹減った」

「校長が出前取ってくれた」

「鰻?」

「いやラーメンと半チャーハン」

「いつも思うけど、半チャーハンってなんだよ。何の半分なんだよって思うの俺だけ?」

「食わねーの?」

「食うよ食いますよ」


 腹減ってんだって。在原は作業を止める。

 校舎に入り、手を洗う。手についた泥が洗い流されていく。冬の水は冷たい。

 何故中学の水道は水しか出ないのだろうか。冷たくなった指先を拭いながら思った。

 職員室に入ると、中は温かい。来賓ソファーに河地が既に座っており、在原はその向かいに座る。給食の時間らしく、机にいる職員は給食を食べていた。


「おつかれさま、今日中に終わりそうだね」

「すいません。出前まで取ってもらって」

「いやいや、労働の対価だから。午後もよろしく」


 校長がそう言って去っていく。

 労働の対価、とは言ったが、今対価を支払っているのは在原の方だ。映画コンクールの際にこの学校の教室を借りた。同じ学部学科の河地の遠縁が理事長をやっている、というので、そのツテで借りることが出来た。

 河地は幼い頃からサッカーをやっており、大学にもサッカー部に所属している。よくこの学校の生徒たちにも教えに来ていて、今日は在原と共に紹介した者として対価を払いに来てくれた。


「改修っていつから?」

「一月って聞いた。冬休み明けから三学期いっぱいじゃね」

「ああいう教室、どんどん減ってくのかね」

「このまま少子化が進んでいけば」


 校舎の改修工事に向けての軽い作業を二人は頼まれていた。在原が使わせて貰った教室も、扉や壁が取られてワンフロアが繋がるらしい。つまり、教室という概念が殆どなくなっていく。

 教室がたくさんあっても、子供が少ないのなら意味がない。最近作られる新しい学校は開放的な空間を売りにしていたり、廊下がなかったりするらしい。


「昔、教室の生徒たちは皆西向いて授業受けてるって聞いたとき、感動したわ」

「あーそんなんあったな。あれだろ、右利き用にできてるっていう」


 ふと河地の手元を見ると、左で蓮華を持っていた。


「もしかして怒ってた一人?」

「いやそんなに勉強してねーし」


 けろりと河地が笑う。同じくだ、と在原も肩を竦める。


「サッカー少年か」

「在原ってなんかスポーツしてた? 文化部に見えねーよな、体格良いし」

「中学まで野球してて、バスケの助っ人によく呼ばれた」

「うわ、そういう奴いるよな。なんでも屋みたいな」


 在原は半生を振り返る。

 演劇部のときも今も、色んな人間に協力してもらったし、協力した。スポーツも音楽も雑務も、自分が出来ることなら何でもした。


『あたしには真似できない。尊敬する』


 その声が、蘇る。


「履歴書の特技に、人脈づくりって書こうかな」

「マジかよ、こえーよ」

「そうか?」

「面接官とも連絡先交換し始めそうじゃん。ナンパだろそれ」

「俺、そういうのは卒業したから」

「あーはいはい」


 言ってろ、と河地は麻婆豆腐をかき込む。

 しかし、在原の女関係が去年からパッタリと落ち着いたのは確かだった。他大の女に誘われたり、逆ナンされているのを何度か目撃したが、ばっさり断っていた。半分くれよ、と河地はその度思う。


「好きな女でも出来た?」

「は?」

「お前一応彼女いるときは女と遊んだりしねーんだろ」

「いや、今は映画作るのが楽しいから、邪念がねえというか」


 女と遊ぶことは邪念なのか。河地は呆れたように溜息を吐く。


「心に、隙間がないっつーか」


 香坂には"寂しさ"と説明した。その隙間に、何かを誰かを置きたがっていた。

 今はそれがない。


「なんかリア充じゃねーのにリア充っぽくて腹立つ」

「なんでだよ」


 スープを啜った。






『五月、彼氏でもできたの?』

「え?」

『最近よく出かけてるでしょう。土日の昼とか、前は電話したら家に居たのに』


 そう推理するのは香坂の母親――香坂雨音だった。

 最近の土日は撮影などでよく外に出かけていた。確かに夏前に比べれば、土日はよく外に出るようになった。バイトが無い時はいつも小説を書いたり本を読んでいた。

 香坂は、見当外れなその推理にどう返したものかと考える。


「最近、チャリティーイベントの」

「イベント?」

「うん、その手伝いをしたりしてて」


 目に入ったチャリティーイベントのチラシから、咄嗟に言葉を紡ぐ。雨音は電話の向こうでチャリティーイベントの想像をするが、上手く出来なかった。


『何か売ったりするの?』

「売ったり、出し物したり……。大学の友達に誘われてね」

『そうなの。楽しくやってるなら良いのよ、身体に気をつけてね』

「うん。お母さんも」


 会話はそこで終わった。

 イベントのチラシの下に置かれたもう一枚のフライヤーがある。香坂は捲ってそれを見た。今回のイベントで上映される映画だ。白黒だが、よく出来ていると思う。

 もしも、母に"映画を作っている"と伝えたら、何と言うだろうか。どんな顔をするだろうか。

 もしも、「良いじゃない」と呆れながらも言ってくれたら。

 なんと返そうか。




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