vol.24 涙の輪郭
二日目夜、リビングで飲み会が始まる。酒が足りないことが発覚し、買い出し班が近くの酒屋に行き帰ってくると、既に飲み会の準備は万端だった。
一日目は女子がカレーを作った。その圧により料理は殆ど男子たちが作っており、様々な男飯やつまみがテーブルに乗っている。
「クランクインと、初合宿に、乾杯」
在原が音頭を取る。近くのメンバーと紙コップをぶつけ合う。香坂は昨日ぶりにドニの顔を見た気がした。
「ドニさん、焼けました?」
「昨日の海と今日の撮影で焼けました」
「昨日今日と晴れて良かったよね。明日雨予報だし」
テレビから流れる天気予報でも、明日は全国的に雨だと言っている。もうすぐ台風も近付いてきている。濡れたら大変なので、在原の指示で機材は先に車に積まれた。
佐田はいつも通りだった。昼に香坂へ抱きついた後、笑って一緒にコテージへ帰った。ドニはその様子を見ていたが、帰ってきた二人に何か言うこともなく昼食を取った。
香坂は注がれたビールを飲み干し、近くに置かれた杏酒を水で割る。
「ドニっていつ結婚するの?」
ふと思い出したように佐田が言う。驚いたドニが持っていた箸を落とした。香坂も静かに驚いていた。
「ドニね、大学から付き合ってる彼女いるの。卒業したら結婚するんだって言ってたんだけど」
「……しますよ、来年」
「プロポーズしたんですか?」
「しました。仕事が落ち着いたら、式を挙げる予定です」
近くで聞いていたメンバーが口々に「おめでとう」と言っていく。
「おめでとう。ドニってちゃんと人生歩んでるよね」
「おめでとうございます。佐田さんも知ってる人なんですか?」
「見たことある。ほわほわーってしてる子」
「ほわほわ……」
「ランダムにはいないタイプの女子」
確かに、ランダムに所属する女性は大体自分を強く持っており、"ほわほわ"はしていない。
急にドニの横にいた演者二人が立ち上がり結婚式でよく流されると有名な曲を歌い始めた。既に出来上がっている。歌い終わりに、全員からの拍手が起きた。
「五月ちゃんって彼氏いないの?」
「いないです」
「ドニに紹介してもらえば? 紹介所だから」
ワインをドボドボと紙コップに注ぐ佐田が笑う。確かに歴代の在原の彼女を紹介してはいるが、紹介所と言って良いものなのか。
「いや、遠慮しときます。真澄くんに怒られるんで」
「なんで在原に?」
「脚本書く邪魔すんなって、怒られてる人をこの前見たばっかりでして」
初耳だ。香坂は首を傾げ、杏酒を飲む。佐田が唇を尖らせる。
「やだー束縛系はお断りでーす。ねー」
「はい」
「全部聞こえてんだけど」
「こっわ」
けらけらと笑う佐田。肩を竦める在原。ドニはそれを聞きながら静かにビールを飲んでいた。香坂はそれを見て、三人はきっとこうして一緒に居たのだろうと考えた。
人との距離を保つのは難しい。一緒に居れば、居るほど。
テーブルに突っ伏して寝ていた香坂が、むくりと起き上がる。周りは催眠術にでもあったかのように倒れ、リビングで眠っていた。そうか合宿中だ、と眠気の残る頭で思い出す。
ふと横を見ると、佐田がきちんとクッションを頭に敷いて眠っていた。七歩袖が捲り上がり、上腕が少し見える。
最初は、引っ掻いた時にできる跡だと思った。虫刺されにでもあったのだろうと。横に、五センチほどの赤い線。数本ある。
瞬きを何度かして、それは違うことが分かった。香坂は手を伸ばして、袖を戻す。傷跡だ。きっと、自分でつけたもの。
寂しさと闘った痕なのかもしれない。血が滲み、綺麗には治らないほどの深さを負い、今まで生きてきたのか。
昼間に抱きしめられた体温を思い出す。香坂がその寂しさを知らないのは、母親がいたからかもしれないし、物語があったからかもしれない。それが不幸なことなのか、幸せなことなのかも、分からない。
もし救えるなら、と思った。
自分の書く物語で、少なくとも自分一人を救済してきた香坂が、これから物語を書き続けることで誰かを救えるなら。
あなたは、一人ではないことを、伝えたい。
キッチンカウンターの裏側で、在原はタブレットで映画を見ていた。テレビで観たら誰かが起きてしまうだろう、と考えた結果だった。あと、この少し狭い空間が落ち着く。
きちんとベッドで眠っているメンバーも居れば、雑魚寝するメンバーもいた。先程香坂が起き上がり、佐田の袖を戻していた。
在原もドニも、その傷跡を知っていた。長い付き合いだ。しかし、それを言及することは無かった。二人が、在原の女癖の悪さについて悪態をつくことはあっても、深い理由を尋ねないのと同じように。
そうして三人は一緒にいたのだ。
香坂は、そこにちょんと入って、違和感なく座った。
包み込むような優しさも一緒にいて笑わせるような温かさも特に無いのに、居心地は良い。佐田もそこに懐いているのだ。
がた、と物音がして、そちらを見上げる。香坂が紙コップを持って水を出した。ふと視線を在原の方に投げ、驚いたように一歩下がった。
「……びっくりした」
寝起きの頭でキッチンに座り込む男を見るのは心臓に悪かった。物音で皆が起きていないかとリビングの方に顔を向ける。誰一人として動いてすらいない。四時。
「はよ、寝んの?」
「いやもう朝だから……何観てるの?」
動画を観ているということは、大抵映画だ。在原はとんとん、と隣の床を叩く。
香坂は水を飲み干すと、在原の隣に座った。
「燦燦」
「夏映画だ」
そして八代篤紀監督の作品。
在原はイヤホンを外す。
「五月ちゃん、もしかして酒強い?」
忘年会や新歓でも最後まで同じペースで飲んでいたが、全然酔っ払うことはなかった。今回も寝ていたが、普通に眠気からだろう。
「多分」
「最初の飲み会の時、潰れたのなんで?」
「……緊張してたから?」
在原が香坂を家まで送った日のことだ。久々に二日酔いで目が覚めたあの日。
緊張していたのか、と喉元まで出かかったが、それを口にするのは止めた。確かに、今の様子から見れば、あの日はきっと緊張していたのだろう。
「観る?」
言いながら、在原はイヤホンを差し出した。香坂はそれを受け取る。
「こうやって去年もファインディング・リーモ一人で観てたの?」
「何故それを……ドニだな?」
「泣いてたって聞いた」
「あれは親子愛に溢れてんだろうが」
「まあそうだけど」
香坂は少し笑い、イヤホンを耳に挿す。
燦燦も、親子の話だ。ある事件をきっかけに、親子が離れ離れになり、そして再会する。
序盤まで観ていたので、一番最初に戻す。
タブレットを床に立て、在原はキッチンカウンターに背中を預けた。香坂は膝を抱いて、その画面に集中した。
物語は進み、再会するシーン。溢れた涙を香坂は拭い、横を見ると在原も泣いていた。立ち上がり、カウンターに置いてあったティッシュボックスを取る。在原へ差し出すと二枚取った。
二人して涙を拭っている中、物音がしてキッチンの入口の方を見ると、ドニが立っていた。
朝の六時。ドニはキッチンの中に座り込み、泣いている二人を見つけ、若干引いた顔をしていた。
「……おはようございます」
「いや映画観てるだけだから」
「お邪魔しました」
「こちらこそこんな所に居座ってすみませんね!!」
うるうると泣く香坂は映画に集中。弁解をする在原の声に雑魚寝集団が起き始めた。
合宿最終日のことだった。
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