vol.7 こない船


 まばらな拍手に、歓迎されている気がしない。当たり前か、香坂としては映画を作りたくてここに来たわけではない。物語が作りたくて来たのだから。


「とりあえず紹介してく」


 演者と裏方チームで大体別れて集まる面々を見て在原は言う。分かりやすい方から、と演者から紹介していく。

 名前、歳、特技趣味好きなことをすらすらと喋る様子を見ると、演技をする人間らしいなと香坂は思った。

 自分をどう表現したら良いのか、知っているのだ。


「ならなつめ、です。よろしくお願いします」


 最後の一人、髪色がブルーグレーの男が紹介を終えた。顔の美醜で言うと、演者の中でもずば抜けて綺麗な顔をしていた。先程の香坂のような自己紹介だ。

 きょとんとした顔を香坂は向けた。


「どういう漢字ですか?」


 年齢も分からないので敬語を遣う。男は宙で指を動かす。


「コナラの楢に、植物の棗です」

「素敵な名前ですね」


 言いながら、香坂は棗の花言葉を思い出していた。言われた楢の方が今度はきょとんとした顔を見せ、下手くそな愛想笑いを浮かべた。

 香坂は自分と同じものをその内に感じ、どうしたら良いか分からなくなる。


「楢は今年大学一年で、俺の高校の後輩。この春入って、演劇経験なし」

「特技はどこでも寝られること」

「趣味はヴァイオリンです」


 横で在原が楢の紹介補足をした後、他の演者たちが情報提供した。その連携の取れ方に、香坂は目を丸くする。


「です」

「です、じゃねーよ。もっとちゃんと喋りなさい」

「あ、すみません」


 周りの演者たちに小突かれている。その性格は周りに受け入れられており、楢は先程よりずっと柔らかく笑った。



 制作陣は演者たちより落ち着いた自己紹介をした。


「佐田鞠絵です、21歳、趣味は音楽鑑賞、特技は」

「ドニ・ランベールです。22です、写真撮るのが趣味です」

「まだ言い終わってないんだけど!」

「佐田さんの紹介長いから」


 香坂の隣を陣取っていた佐田が、香坂の顔を覗いて「よろしくね」と笑った。


「佐田は音響、ドニは撮影担当。二人とも中学から一緒」

「幼馴染?」

「腐れ縁です」


 ドニがにこやかに訂正する。佐田もそれを否定しなかった。


「ざっとこんな感じ。挨拶終了」

「じゃあ、あたしはこれで……」

「え、帰っちゃうの? どんな脚本書くのかとかどんな音楽好きなのかとか話したいんだけど」

「僕もそれ聞きたいです」


 立ち上がろうとした香坂の腕を掴み、佐田とドニは言った。なるほど、こういうことか、と香坂は実感する。"帰して貰えないに一票"。

 助けを求めるつもりは無かったが、反射的に在原の方を見る。しかし、在原は既に演者たちの方へ行き、何か打ち合わせをしていた。船を出してくれる者はここにはいない。

 すとん、とその場に戻った。諦めた。


「真澄くんになんて言われて誘われたの?」

「ますみ……? ああ、脚本書かないかって」

「それで断ったんでしょ? 聞いたよ、めっちゃ凹んでた」


 香坂は佐田の言葉に、形容できない表情をした。凹んでたとは、考えにくい。あれだけしつこく誘ってきたのに。


「……嫌だったので」


 素直な気持ちだ。その言葉に佐田とドニが肩を震わせて笑う。ツボが浅すぎる気もする。


「真澄くんのどの辺りが嫌なんですか?」

「私も聞きたーい。真澄くん、女には大抵モテるからさ」

「いや、あの人が、というより」


 間違えないように、言葉を選ぶ。


「自分が、他人に読まれる物語を書くのが、嫌で……」


 言い終えた後に、合っていただろうかと考える。暫しの沈黙の後、佐田が心配そうな声をだす。


「え、大丈夫? 真澄くんに騙されてついてきたんじゃない? それともエロい写真とか撮られて脅されてる?」

「そんなクズなんですか」

「いや、真澄くんはそんなことしませんよ。プライベートがクズなだけで」


 それはクズと変わらないのでは。

 佐田は五月の肩を持った。


「でも見る目は確かだから。ランダムへようこそ、五月ちゃん」

「入ってしまったからには楽しくやりましょう、香坂さん」


 まるで地獄へようこそ、と言わんばかりの挨拶。香坂は苦笑するより外なかった。


「よろしくお願いします」





 結局挨拶だけでは帰ることの出来なかった香坂と、演者数人、制作陣たちとで飲みにいくことになった。ランダムのメンバーで行く飲み屋は大体決まっており、その中のひとつ。

 駅裏のビルの二階。狭い階段を上ると、想像していたよりも広い廊下が現れた。


「どういう構造?」

「実はここ、隣のビルと繋がってるの」

「すごい」

「うそうそ。表からは分かりにくいんですけど、奥行があるんです」


 ドニの言葉に香坂は頷き、佐田は唇を尖らせる。二人はここまで来るときも常に近くに居てくれて、香坂は安心していた。連れてきた当人である在原は、演者たちに捕まっているから。


「五月ちゃんって二年だっけ。誕生日きてる? いや、五月生まれ?」

「六月生まれなので、二十歳です」


 個室へ靴を脱いであがり、襖を開けると座敷が広がっていた。隣にも客が入っているらしく、度々歓声が聞こえる。

 テーブルの端に香坂が座り、その隣に佐田、正面にドニが腰をおろした。


「え、六月? なんで五月って名前なの?」


 これまで何十回と同じ質問をされてきた。これからも同じであることは覚悟している。


「生まれた日が五月晴れだったらしくて。五月晴れって、梅雨時に見える晴れのことなんです」

「なるほどね……ちなみにあたしは祖父さんが鞠が好きだったから鞠絵らしいよ。安易じゃない?」

「良い名前だと思います。鞠って魔除けの意味もあるって言いますし」

「そうなの?」

「何事も丸く収まるようにって、佐田さんを一生守ってくれる名前ですね」


 テーブルの端に置いてあったドリンクメニューを取りながら香坂は言った。ドニは一緒にそれを覗き込む。

 佐田は言われた言葉を飲み込み、少し黙った後、香坂の腕に絡みついた。香坂の上体が大きく揺れる。


「今日は一杯飲むぞー! おー!」

「あーあ、佐田さんにエンジンがかかってしまった」

「かかるとどうなるんですか?」

「朝までコースです」


 香坂は言葉を失った。二十歳になってから酒を飲むことはあったが、友人同士の付き合いだけだ。大所帯で飲んだことはない。

 今日は木曜日、明日は金曜で授業もある……。遠い目をした香坂を見て、ドニはにこりと笑っただけだった。ここにも助けはいなかった。






 電車に揺られている。一番端に香坂、佐田の隣にドニがいる。香坂の前にいつの間にか在原が立っていた。


「来るのおっそ」


 佐田がそれを見上げる。


「香坂」

「あ、寝てる」

「マジかよ」

「ちゃんと送りなよ。連れてきたんだから」


 その言い分は尤もだが、在原はどこへ送れば良いのか知らない。

 そうこうしている内に、大学の最寄り駅へ近づいた。香坂はぱちりと目を開き、立ち上がる。


「あ、起きた」

「おります。ボタンはどこですか?」

「寝ぼけてんの? 酔ってんの?」

「停車ボタン……」

「バスじゃねえから」


 キョロキョロと周りを見回している。確かにこれを一人で帰すわけにもな、と在原は小さく肩を竦めた。

 停車ボタンを押さずともきちんと止まり、扉が開いた。


「五月ちゃん、ばいばーい」

「また会いましょう」


 ひらひらと手を振る佐田とドニを振り返り、香坂はきちんとお辞儀をした。寝ぼけても酔っても、礼儀正しさは残っているらしい。

 意外にしっかりとした足取りの香坂を前にして、ついていかなくても大丈夫か、と思い始めた。在原も明日授業がある。終電に乗れたのは幸いだ。


「おーい」


 駅を出た先にあるベンチに急に座り込んだ。歩いている最中も眠気と闘っていたのだろう、首ががくんと落ちた。

 ……寝よった。



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