vol.5 覚悟はあるか
大学に入ってバイトをすることは決まっていた。実家からの仕送りは家賃と水道光熱費。食費や雑費は稼がなくてはいけなかった。
スーパーのバイトは結構自給が良い。夜十時をすぎると深夜料金になり、更に良い。
その一方で、
「香坂ちゃん、この新作読んだ?」
「読みました。すごく面白かったです」
「ポップ書いて欲しいんだけど、お願いしても良い?」
「はい」
文庫担当の社員、曽我部からポップ用の紙を受け取る。「ありがと!」と言われて、悪い気はしない。香坂はレジに立ちながら、何を書こうかと考えた。
本屋バイトはどこも、大体最低賃金だ。今はみんな電子書籍、わざわざ本を買いに行くことも、本を保管する場所もない。色んな要因が相まって、本屋は少しずつ無くなっていっている。
上京したら、絶対に本屋でバイトをすると決めていた。地元とこっちでは野菜の値段が違うことに驚き、地元に比べれば良いと思っていた自給はやはり最低賃金だった。慌ててスーパーのバイトを入れて、どうにかやっている。
「香坂さんって一人暮らしだよね。地元どこなの?」
ブックカバー折りをしながら隣のレジに立つ学生バイトの田幡が尋ねる。大学四年で、就活が終わっている。今年の四月に入って今年中に辞めるのが決まっていたが、日中働けるのならばと店長が雇った。
「東北の方です。田幡さんはこっちですか?」
「うん、生まれも育ちも。冬休みとか、帰るの?」
「はい。うち母しかいないので、でも自営業やってて大晦日まで仕事なんですけど」
香坂の家は小料理屋を営んでいる。ちなみに母親に本屋で働いていることは話していない。週一回で定休日はあるものの、その休みに母親が東京に来ることもなく、物語で溢れかえった香坂の部屋も今のところばれてはいない。
急に来ても大丈夫なように、小説は全て押し入れとベッドの下に押し込んでいる。開けられたら一発で嫌な顔をされるだろうが。
「じゃあ就職も地元帰るの?」
そう言われて、そんなことは一度も少しも考えたことが無かったのを思い返す。
「まだ全然、考えてないです」
「そっか。二年だもんね」
そのフォローは、フォローだったろうか。田端は言いながら考えたが、口から出た言葉はもう戻ることはない。
香坂はポップの白い紙を前にして、読んだ小説のことよりも、将来のことが頭にあった。無難な学部に入って、何になるつもりだったのだろう。何になれるのだろう。
――映画監督になるって決めた。
在原の言葉を、ふと思い出す。あんな風に自分の夢を他人に話すことができる人間に、なれる気がしない。実際、これまで誰にも、物語を書いていることを話したことは無かった。
香坂にとって、物語は箱庭だ。誰にも侵せぬ庭。そこを暴かれることはされたくない。
ただ、覚悟が無かっただけではないのか。
在原の話に乗って脚本を書くとなれば、それを演じる人間と、それを観る大勢が存在することになる。その覚悟が、無いだけなのではないか。
脚本を読ませて貰ったとき、香坂は感想を言う重さを自覚した。在原は何でもなく差し出したが、その勇気の少しでも自分にあれば違うのかもしれない。
違わなかったら、どうすれば良い。
「訊いてみれば良いのか」
一本終わってすぐに清掃に入る。観客と入れ替えにスクリーンを出た。
もうすぐ休憩だ、と腕時計を見て思う。
「在原くん、休憩行っちゃって」
ちょうど先輩から告げられ、在原はそれに従った。
裏口へと向かう途中、見知った顔が視界の端に映った。二度、いや三度その顔を見る。
「香坂、何してんの」
「あなたに会いに来た」
はっきりとものを言う。いやずっと、最初話した頃から香坂ははっきりと言葉を喋る人間だった。
言葉を知っているから出来ることだ。自分の気持ちをきちんと言葉に置き換えることが出来る。
「今から休憩だから、ちょっと待ってて。あそこで」
指差されたのは映画のCMが延々と流れている液晶画面の前に並ぶ椅子。先程大きいスクリーンが開場した為、一気に人が空いた。
言われた通り、香坂はそこに座って待つ。この前ポスターで見たアルポルト3の予告が流れる。吹き替えを担当した俳優が笑顔で番宣をしていた。
すぐに在原は戻って来た。スタッフのシャツを脱いで、白いTシャツを着ていた。半袖だ。
「寒くないの?」
「上羽織ってきた。下行こうぜ」
ここの施設は二階建てで、上は映画館が占めており、飲食店とゲームセンターが一階に入っている。
「ここでいい。すぐに終わる」
「姫、俺の腹拵えに付き合ってください」
今日公開の映画が何本かあり、朝から混雑していて休憩が先延ばしになっていた。やっと昼食にありつける大変さを香坂もスーパーで経験しているので、立ち上がりついていく。
ファーストフード店の隣、ファミレスに入った。
「昼飯食った?」
「食べた」
「五月ちゃん、ケーキある。林檎だって」
「いらない」
と言ったものの、紅茶と林檎ケーキを一緒に注文された。在原の下手に出つつ、相手を操作する場面を何度か見た。というより、実際、香坂が"操作されている"。
注文したものが来る前に話を終えようと、香坂は口を開いた。
「あたしには覚悟が全然ない」
「脚本を書く?」
何の、とは聞かず、在原はその穴を埋める。頷いて肯定を示した。
「あなたが映画監督になるって聞いたとき、あたしは漠然と小説を書いていくんだって今までもこれからもずっと考えてたことを思い出してた。でも、それはずっと、自分より不幸な誰かを生み出す作業だった」
これまで聞いたことのない香坂の長文に、在原は耳を澄ませる。
「だから覚悟がないの。脚本を書いて、誰かの為になる、覚悟が」
書いてきたのは自分の為だ。
では、これから書くのは、誰の為か。
「覚悟なんていらねえよ、お前が書くのは俺が書いて欲しいから。そんだけ」
なんでもないことのように、在原は答えた。
「じゃああなたの為に書くってこと?」
「お、それ良いな。なら、ひとつ注文」
「追加でよろしいでしょうか?」
傍に来て在原の注文した昼食と林檎ケーキを持ってきていた店員は流れるように会話に入った。ぱっと顔を上げた香坂が何か言おうと口を開く。
「この林檎アイスも追加で」
「食べるの?」
「見てみ、ケーキに合うらしい」
さらりと在原は追加の注文をした。店員がハンディに入れて、にこりと笑ってテーブルを去っていく。在原と香坂と同じくらいの歳のバイトだろう。
「あ、本当に注文したかったのは香坂の書くものの方」
「え?」
「幸せな話が読みたい」
それは酷く、気安く傲慢で、大きな注文だった。
香坂はカトラリーの中から、フォークをひとつ取り、突き刺す。
林檎ケーキへと。
「書く。その代わり、脚本通りやってよね」
宣言した。そこに、香坂の覚悟が見えた。
在原の顔から笑みが零れる。
「もちろん」
それ以外の言葉が見当たらない。
「お待たせしました、林檎アイスです。ご注文のものはお揃いですか?」
「はい」
「伝票いれさせて頂きます。ごゆっくりどうぞ」
綺麗にお辞儀をして、テーブルから去っていく。その背中をみながら、香坂は思い出した。
「そういえば」
「ん?」
「脚本の書き方、分かんないんだけど」
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