vol.4 断言と満点


 おやつ時、少し過ぎ。駅のバスターミナルに学生たちの姿が見え始めた。部活の大会終わりだろうか。香坂がサラサラと紅茶にスティックシュガーを入れる音に、在原は正面を向いた。

 店内は昼食から二度目のピークらしく、二人が入店してから客が増え始めた。

 ヤレアハと名前のつけられたクマと目が合う。ヤレアハはヘブライ語で"月"という意味だ。


「原作に忠実だったな、やっぱり」

「うん。最近ではあんまりみない」

「面白さが半減するって思われてるからな、特にミステリーは。何が起きて、誰が起こしたっていうネタバレを食らうと、観る気は起きなくなる」


 アイスコーヒーの氷がカランと音を立てる。


「でも、その過程が好きかも。どうして起きたのか捜すのか、求めたのか、解ったのか」


 砂糖の溶ける様を見ている香坂の睫毛が長い。

 在原は大学の友人に香坂のことを「美人だ」と称したが、それは間違っていたと感じた。これは"美しい"というのだ。"美しい"という言葉以上に"美しい"ものはない。


「俺の書いた脚本、読んでほしいんだけど」

「脚本書いたの?」

「前に、短編やったときの。これはすげー不評だったやつ」


 それなら好評だったものを持ってこい。呆れた顔を隠さず、在原は躊躇わずスマホを差し出した。


「携帯で見るの?」

「今時ノートに書き連ねてんの香坂くらい」

「データは、消えるでしょう」


 香坂はそれを受け取り、拡大して読み始める。


「紙だって火点ければ燃えてなくなるだろ」

「書いたものは無くならないよ」


 純粋な目で見られて、在原は初めて香坂に対して怯んだ。


 確かに、そうだ。書いたものは無くなることはない。

 香坂は静かにスマホに目を通して、紅茶の湯気が消える頃にスマホを在原に返した。複雑そうな顔をしている。何か言いたいことがある、のだろう。


「うん、不評だったってことはきっと色々貰ったと思うから、感想は控えさせていただきます」

「ご配慮痛み入ります」

「もう別に見たくないかな」


 控えると言った感想が、口から出る。一番重たい一言に、在原は遠くを見た。

 あーあ、と心の声が聴こえてくるようだ。


「映画も小説も、もう一度読みたいと思われるものが手に取られる。そうじゃないものは捨てられる」


 その言葉に在原の方を見る。遠かった目がこちらに戻ってくる。

 やがて、二人は見つめ合った。


「俺と、もう一度見たいと思える映画を一緒に作って欲しい」


 香坂がバイトしているときに言われた言葉の続きだ。


「……お断りします」

「なんで」

「あなたが書けるように努力すれば良い」

「お前の感性が必要」


 必要だと言われても。

 その必要に、応えられるのか。


「私には、出来ないと思う」











 秋が過ぎていく。赤くなった紅葉が降ってきて、香坂は思った。日本人は四季を大事にする傾向がある。そのひとつひとつに意味を求めるからだ。

 足元に落ちた紅葉を暫く見つめていると、「よ、香坂」と声が聞こえた。


「何見てんの」

「……え、なんで来たの」

「気が変わったかなーと思って」


 大学のチャイムが響く。在原は涼し気な顔をして現れた。


「変わってない」

「今日の昼飯は卵サンドか」

「隣に座らないで」

「あれ、今日大津は?」


 きょろきょろと周りを見回す。香坂はベンチの端に寄って答える。


「サークル行った、冬の合宿の打ち合わせがあるとかで」

「そういえば五月ちゃんはサークル入ってねえの?」

「入ってない」


 二つのバイトの掛け持ちと授業とで手一杯だ。友人がいなくて、新歓の時期にサークルに入り損ねたこともあるが、特に興味の湧くサークルもなかった。

 在原の所属する映画演劇部の存在も目には入らなかった。

 サンドイッチを口に運ぶ。その前を一人の女学生が通った。


「ますみ、さがしたんだけど!」


 舌足らずな喋り方が、全て平仮名で変換される。在原の知り合いらしい。彼女か、と考えたが、大学に入って彼女は作っていないと言っていた記憶から、オトモダチだろうか。

 香坂は他人のふりをして、サンドイッチを食べ続けた。


「何?」

「最近全然連絡くれないんだもん、河地のとこにもいないし」

「忙しかったから、落ち着いたら連絡する」

「ぜったいだよ」


 ちゅ、と不意打ちに唇へのキス。目の当たりにしたわけではないが、香坂は背中を震わせた。

 満足したのであろう彼女は、横目で香坂の方を一瞬だけ見る。香坂はそれに気づかなかった。にこりと笑んで「ばいばーい」と在原から離れていく。


「……彼女じゃありません」

「……そうですか」

「いや、距離取ってんだろ」

「取ってないです。百合香が言ってたの、本当だなと思って」


 サークルで揉めたとか、学校に他高の女が押し寄せたとか。ここまで"その通り"の人間を見たことがない。香坂はサンドイッチを食べ終えて立ち上がる。

 在原はそれを見上げて、香坂が行く方を見た。図書館へと行くのだろう。ここ数週間で大学の中で香坂のいる場所を大体把握した。しかし、感情の起伏が顔に出ないので、考えていることは口に出すまで分からないことが多い。

 人から好まれたいのなら、分かりやすい人間でいることだ。

 その意味でいくと、在原の方が好まれやすい人間ではあるのかもしれない。反対に、香坂に人は寄ってはいかない。確かに香坂が大津以外の友人と一緒にいるのを見たことがなかった。




 活動は週に一度、木曜日の午後。制作の進行によって活動時間が変わることもあり、それは臨機応変に。代表者は勿論、在原真澄。

 高校で演劇部を経験し、大学で映画を作る場所を立ち上げると決めていた。一浪してそれが一年ずれたものの、各方面に声をかけて制作陣、演者たちが揃った。在原が苦労して集めた逸材たちだ。


「うける、真澄くんでも説得できない相手っているんだね」


 音響担当の佐田が肩を震わせて笑っている。その隣でカメラを弄るドニもニヤニヤと話を聞いていた。


「皆、真澄くんの口車に乗せられてきちゃったから、僕はその子には頑張って欲しいです」

「その気持ちちょっとわかる」

「お前ら、とても良い脚本が欲しくないのか」

「それは欲しいけどさ」

「真澄くんは結構感動しいだからなー。見る目は確かにあるんですけどね」


 ドニの言葉に佐田が一応頷いた。そうでないと、自分たちは皆、ガラクタの集まりになってしまう。ここは、ただの玩具箱ではない。

 在原が目を光らせて、顔を上げた。


「だろ!?」

「あーあ、真澄くんを調子に乗らせた」

「いやそれは佐田さんもでしょ?」


 そろそろ三月に行われる学生映画コンクールに応募する作品を決めなくてはならない。去年は在原の書いたもので制作したが、結果は演出賞のみ。いや賞を貰えるだけ良かったと喜ぶ者もいる中、在原は一人、絶望と嫉妬と悔しさに支配されていた。

 あれからもう一年が経つ。


「そういえばこの前、スタジオの外うろついてたよー。真澄くんのオトモダチ」

「友達? 誰」

「セフレでしょ。マコちゃんでしたっけ」


 佐田はドニの記憶力に感心する。よく監督のセフレの名前まで覚えている。しかも、セフレの中の一人だ。

 監督としては脚本を除いて満点、人間としても貞操観念を除いては満点なのに。そう、その一点においてクズなだけで。


「刺されて死んだ後に、映画が注目されたりしてね」

「ゴッホかよ」

「いやゴッホに謝ってください」


 佐田だけがケラケラと笑っていた。





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