vol.2 関わりたくない


 入学前のオリエンテーションで、大津と香坂の席は隣だった。大体同じ歳の揃った周りに、大津は少し斜に構えており、香坂はそんなことにも構わず小説を読み耽っていた。

 気付いた時にはもう学部内でぽつんとしていた二人が顔を見合わせ、仲良くなるのに時間は要らなかった。


 怪我で、高校三年のときに一年間休学した。次にクラス替えがあった頃には後輩たちと同じ教室で授業を受けることになり、周りは皆年下だった。

 それが当たり前だった大津にとって、穏やかで静かな香坂が年下には見えなかった。



「大津じゃん」

「おかえり」

「五月からは・な・れ・ろ」


 大津は顔を顰めて言うが、在原には通じない。小説をとじて、香坂は大津の方を見た。


「何買ってきたの?」

「え、俺の存在無視?」

「卵サンド! トマトと交換しよ」

「良いけど……良いの?」

「え、俺は?」


 卵サンドイッチを香坂に渡し、トマトを貰う。満足そうにトマトを頬張り、大津は買ってきた親子丼を開けた。


「てかなんで五月に声かけてんの? あんたは本当に見境がない」

「すげー辛口じゃん、なに怖いんだけど」

「佐奈と他の女股にかけてた奴は五月に近寄るな、このクズ」


 滑らかに動く大津の悪口に香坂は関心しながら聞いていた。周りのテーブルで各々喋っていた学生たちも、その声に視線を集める。

 その標的となっている在原は特に気にもせず、輪郭に親指と人差し指を寄せて考える。


「いや、俺大学に入って彼女居たことねえんだけど。かけられる股がねえな」

「それはもっと最低だわ」

「香坂に声かけてんのは、いてえ!」


 ぎゅう、と在原の足は香坂のローヒールに踏まれた。横目で睨まれ、どうどうと宥めるように手を挙げる。

 その視線に『言ったら全て終わる』を感じ、在原は立ち上がる。


「またねー五月ちゃーん」

「または無い!」


 けらけら笑ってテラスを出ていく背中に、香坂は少し感心を覚えた。あれだけ罵られて終始笑顔で居られるとは、メンタルが強いのか鈍いのかドマゾなのか。どれにしろ、関わるのはやはり御免だと再認識する。


「いつからアイツに付きまとわれてるの?」

「んーと、一昨日かな……」

「ナンパされたの? 連れ込まれたりしてない? 警察行く?」

「大丈夫」


 大津からの嫌われ具合に香坂はついに笑ってしまった。無表情から一変、笑うと幼く見える。その笑顔で在原のことが頭から一掃された。


「もしかして二人、仲良いの?」


 その言葉を聞くまでは。


 朗らかな気分は一変。大津は目を細めて、溜息を吐いた。


「仲良いわけないじゃん、同じ高校なだけで……」

「あ、そうなんだ。じゃあ後輩?」


 在原の行った方面を指で示し、香坂は尋ねる。大津は高校で一年ダブっている。在原がストレートで来てるのなら、先輩と後輩ということになる。


「ううん、アイツは一浪してるから同級」

「じゃあ二人とも年上だ」

「高校のときもふらっふらしてたから、取り敢えず良い印象はない。セフレばっかいるし、年上の女のヒモしてたとも聞くし、他校から女来てよく揉めてたりした」


 そんなに女癖悪くてよく死なないでこれたな、と香坂はまた感心する。いや、明日にでも殺人沙汰で新聞に載るかもしれない。

 だから、と大津は続ける。


「変なのに巻き込まれないようにね」


 その忠告を、この時きちんと聞いておけば良かったと、深く後悔することとなる。








 バイト帰りにスーパーへ寄り精肉コーナーを見てから、乾麺のコーナーへ行くと、そこに品出しをする香坂の姿があった。


「ここでバイトしてんの?」


 急に話しかけられ、香坂は在原の方を見た。初めて一度目の会話で目が合った瞬間だった。


「……ストーカー?」

「誤解。すぐそこの映画館でバイトしててさ、よく帰りここに寄ってんの」

「……そうですか」


 若干引き気味な香坂は大学にいるときよりも警戒心が解けているような気がした。


「映画、好き?」

「え、まあ」

「来週末公開する『古鳥』観に行かね?」


 香坂が顔を上げた。それは観に行こうと思っていた作品だった。在原にも瞬時にそれは伝わった。


「……行かない」

「え、なんで。今すげえ行きたそうな顔でしたけど」

「一人で行く。あなたとは関わりたくない」


 ばっさり断る。断ることにも心情を使うのだと、香坂は実感した。しかし、断られた当人は「えー」と不満そうな声をあげるのみ。


「大体、なんであたしに」

「香坂の書いた小説に感動したから」


 その感想に、なんと返したら良いのか分からなかった。


「お前の書く話は展開が面白いし、何より会話の構成が良い。中盤の主人公が警備の男を説得するシーンとか、特に」

「小説が好きなの? 映画が好きなの?」


 よく他人の書いたものをそこまで覚えている。香坂は品出しの手を止めて訊くと、在原は明確に答えた。


「大きな括りで言うと物語。小説も映画もどちらも好きだけど、俺は小説は作れない」

「……うん?」

「つまり、香坂に脚本を書いてもらいたい。俺がそれを映画にしたい」


 目を三度瞬かせる。在原の言葉に、香坂の思考が乗る。

 と、思われた。


「香坂さーん、品出し終わった? 次こっちお願いしても良い?」

「あ、はい。すぐ行きます」


 段ボールを持って、香坂はそちらへ返事をする。


「じゃあ行きます」

「ん、また明日」

「はい、またあし……」


 途中ではっと我に返る。振り向くとニコニコ笑う在原の姿に、憎らしさすら感じる。


「明日はこない」

「次の映画のタイトルか」


 ツッコミが入った。






 人生は一度きりだ。誰と出会うのか、何を好きになるのか、どこに向かって歩くのか。

 それが全てを左右することがある。


 在原は二限を終え、立ち上がった。隣に座っていた友人がそれを見上げる。


「最近なにやってんの?」

「スカウト。原石が見つかった」

「へー、後輩? 可愛い?」

「二年。顔は美人……? けど役者じゃねえから」


 答えて、香坂が書いた物語を読んだときの熱さを思い出す。確かに、あれは熱かった。熱くて、冷たくて、文章から映像が見えた。


 在原には無いものを持っている。


 どこかの誰かに捕まる前に、手に入れたい。


「まー頑張れ。応援だけしてる」

「さんきゅ」


 講義室を出ていく在原に友人が言葉をかける。応援だけでも、されないよりはずっと良い。


 経済学部の必修科目は今日は三限まで入っている。香坂の思った通り、確かに在原の交友関係は広く、その中に経済学部の友人もあった。

 その友人に三限の講義室の場所を教えてもらい、たどり着く。後ろから入って香坂の姿を探した。その間に顔見知りの女子たちと会話を挟み、男の友人に礼を述べた。

 香坂は一人だった。隣に大津の姿も、荷物もない。一人で小説を読んでいる。

 邪魔になるだろうな、という考えが過ぎったが、今しかないという決断に押された。在原はその隣に忍び座る。


 気配で察知したが、香坂は視線を小説に落としたままだった。


「よ、香坂」


 無視を決め込む。“関わりたくない“と言った手前、無駄に会話をする意味もない。

 既に昼食は済ませた後らしく、机の上には空になった弁当箱代わりのタッパーが置かれていた。


「そういやさ、結局『アン・ハッピー』は観たのか?」

「……」

「五月ちゃーん」

「……」

「まあ今日が駄目なら、明日も来るけど」


 そのタフさは、何か別のものに向けるべきだろう。香坂は隣に座る男に向けて思う。


「そして、これはプレゼント」


 在原はメッセンジャーバッグからチケットを取り出した。ちら、とそれを窺う。


「え」

「じゃじゃーん、ここに映画『古鳥』の前売りチケット大学生二枚ございます」


 怪訝な顔をして、在原の方を見た。


「プレゼントフォーユー」

「……なんで?」

「良い映画は観て欲しいから」


 純粋な返答に、言葉を探す。


「……いらない」

「じゃー金券ショップにでも売って金にしてくれ」

「え、引き取ってよ」

「俺と行くって手もある」


 なんて強引な。いらない、という言葉からどうしてそんな会話に繋げられるのか。香坂は酷く困った。

 事実は小説より奇なり。人間の脈絡の無さには末恐ろしいものがある。


「……なんで?」


 色んな意味を含めた“なんで?“だった。それに気付いてか、気付かずか、在原は朗らかに笑って答える。


「気が変わるまで待ってる、って言ったろ」



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