第39話 宮廷魔法師団長の災難

 下層四五階、薄く植物が散らばる魔導工場を思わせる配管の入り組んだ廃墟。何を製造していたのかまったく不明なその場所で、宮廷魔法師団は次々に現れる不定形の魔物に苦戦していた。


「殿下、引き返しましょう。予想よりリキッドクリスタルが多すぎます。ここを抜けるのは難しいかと」


 宮廷魔法師団のトップである師団長の言葉に第二王子のミシアは不満気な顔で答える。


 しかし、師団長の判断は正しい。


 魔法耐性が異常に高いリキッドクリスタルを相手にこのまま粘るのは全滅を意味している。

 この階層の探索を始めて数時間、元より魔力の回復が中途半端だった団員たちは、かなり消耗しているのだ。


「分かった。スピ――」

「殿下!」

「む、すまない。師団長が言うなら仕方ない。そうしよう」


 ミシアはいつもと別人のような師団長に少し戸惑っていた。守ってやりたくなるような、それでいて滅茶苦茶にしてしまいたくなる雰囲気がまるでないのだ。


「全員いったんガガロ地区D-193まで戻れ!」


 師団長の命令に素早く行動する団員たち。


 氷河の巨壁グレイシャーウォールという特級氷魔法を数人がかりで効率よく放ち魔物の追撃を防ぐと、疾風の如く退却していった。


 それからしばらく、巨大な氷壁は宝石妖精柄の卵となり、塞き止められていた魔物たちが主と共に後を追い始めた。


 そんなことになっているとは知らない宮廷魔法師団たちは、ガガロ地区D-193にて休息をとっていた。


 そこは大きな駅舎のような場所で、中央には大きなドラゴンの像が地面から生えており・・・・・、魔力の回復を早める小さな泉や、物々交換も可能な図鑑型食料自販機がある。

 ここは魔物が入ってこない場所でもあった。例の決まりにより、どのダンジョンにも必ず存在する安全地帯。通称、慈悲の部屋だ。


 宮廷魔法師団はこの場所を下層四五階探索の拠点にしている。

 やたらと規律に煩い中央魔法騎士団と違い、緊張と緩和が極端な宮廷魔法師団。見張り以外はほぼ完全に気を緩ませ、くつろいでいる。

 ダラけながら魔力の回復や腹拵えをしているどころか、中には酒盛りをする輩もいた。

 一方で泉や自販機に興味津々な団員は真剣で、どうにか持ち帰れないか相談している。


「兄上が今どの辺りか分かるか?」


 中央のドラゴン像からやや離れた位置に張られた天幕の中、機嫌を戻したミシアが師団長の耳元で囁いた。

 反対に今度は師団長が少し不機嫌な顔になり、ミシアから距離を取り、懐から黒い葉で作られた地図を取り出す。


「ヴァロ殿下は上層四〇階のドラス地区F-35で止まっている模様です」

「こちらの方が先を行っているか。それはなによりだが……その地図は本当に便利だな」


 師団長が確認していた地図を見るミシアの目は物欲しそうだ。


「これは差し上げられませんよ。それに私以外が使ったところで何も示さないですし」


 ミシアの視線に気付いた師団長は、地図を見せびらかすようにしてから懐にしまった。


「騎士団長も同じものを持っているのだろう? それはどうだ? 俺の物にできないか?」

「無理ですよ。妹が持っている地図も本人以外には使えない物です」

「はぁ、狡いではないか。どうしてお前ら兄妹ばかりそんな面白そうなものをたくさん持ってるんだ。俺は王子なんだぞ? 一つくらい献上してもバチは当たらないと思うんだがな」


 口を尖らせ文句を言うミシアに師団長は苦笑いする。これまでも何度聞かされたかわからない台詞だ。

 自分たちが持っている魔道具や装備品等は、どうやっても他人には使えない特別仕様。無理なものは無理なのだ。


 本当言うと師団長はこれらを使いたくない。

 だがこれら以上のものに未だ巡りあえていないのだ。だから癪に思いつつも使い続けている。

 

 師団長はむくれるミシアに微笑んで、何か食べるものを持ってきますと天幕から出て行った。

 入れ違いで見張りから天幕に連絡が入った。声だけが聞こえるのは風魔法で届けているからだ。


『ソロ冒険者のアルフと名乗る者が来ております。休息を取りたいとのことですが、いかがいたしましょう』

「確かに冒険者なのか?」

『殿下でありましたか。失礼いたしました」

「よい、続けろ」

『セイアッド帝国の仮面を付けていますが、ギルドカードは本物――え、あ、え? ま、まじか……お、おおおおお! 殿下! 砂使い・・・のアルフです! あの暴食の大樹海グラトニーフォレストのアルフですよ!』


 興奮した見張りが「すげぇ」だの「やべぇ」だの言い始める。本来なら罰せられる行動だが、そこは緩めの宮廷魔法師団。ミシアも咎めたりはしなかった。というより、ミシアも興奮していてそれどころではなかった。


「あのSSランクのか!? すぐに連れてこい!」

『は!』


 このネダラケンガ大陸初のSSランク冒険者パーティーの暴食の大樹海グラトニーフォレストの一員だった砂使いのアルフ。

 近年は引退したと噂されていたが、まさか対面できるとは。各国で作られた手に汗握る冒険譚は、老若男女問わず憧れを抱かせている。それはミシアも例外ではなかった。


「そんな顔してどうしました……ん?」


 軽食と冷した紅茶を持ってきた師団長が、伝令魔法の残滓を感じ取ったらしい。

 魔法の残滓などそうそう感じ取れるものではないが、師団長はその名に相応しい実力を備えているようだ。


「見張りから何か?」


 師団長は言いながら宙に浮かせたカップに紅茶を注いでいく。


「驚け! あの砂使いが来たんだ! 暴食の大樹海グラトニーフォレストのアルフだぞ! そうだ、探索に加わってもら――」


 ガチャン! っという音にミシアは黙った。

 珍しいこともあるもので、師団長が操作を誤ったらしくカップが地面に落ちている。


「す、砂使い? アルフ……?」

「どうした? 大丈夫か?」


 急に青ざめた師団長にミシアが立ち上がって近付く。


『作戦マンドラゴラ発令! 敵は仮面の冒険者、砂使いのアルフ!!』


 ミシアの心配をよそに師団長は鬼気迫る表情で伝令魔法を使い、団全員に緊急時作戦を告げた。

 突然のことだったが誰一人狼狽えることなく、作戦通り然り気無くを装って迅速に行動を開始する。

 唯一、ミシアだけがもたついていた。


「お急ぎください殿下。作戦マンドラゴラ、覚えてますね?」


 師団長の気迫が物凄い。


「あ、ああ……敵には決して手を出さず、然り気無さを装って全力でリターンスペルの使える階層または帰還装置まで撤退し、脱出」


 まさかこんな浅い階層で出ばってくるなんて。いったい何をミスった? と、思った師団長だったが、今は殿下を生きたままダンジョン外へ逃がすことが最優先だとミシアの守りに徹することにした。


『駄目です師団長! 外はいつの間にかリキッドクリスタルに囲まれています!』

「クソッ!」 


 いつになく焦っている師団長に、ミシアはようやくただ事ではないと察した。だがわからなかった。なぜあの砂使いが敵なのか。


『仕方ない! 全力で中央のドラゴン像を破壊しろ! 中に隠し通路がある! 破壊には魔力がかなり必要だがリキッドクリスタルと戦うよりはましだ!』


 的確な指示を飛ばした師団長は、さっとミシアを下がらせ天幕を魔法障壁に変換する。それはドラゴンのブレスにも耐えられる極めて強力な障壁だった。


 次の瞬間、団員たちが魔法を放ち始めた。


 師団長命令にあった全力・・、その言葉通りすべての魔法が通常では考えられない威力。いくら頑丈な像でも一瞬で破壊できるだろうと思われた。


 しかしそうはならなかった。魔法はすべて怪しい光を放つに防がれ消失してしまったのだ。


「いやぁ、こんなカッコいいドラゴンの像を壊すなんてよくないですよ~」


 師団長が声のする方を睨む。

 ドラゴン像の前に仮面の男が浮かんでおり、光りの失せた砂が引き寄せられていく。

 あのヘラヘラした声。それに極小サイズの――


「殿下、申し訳ありません。私たちが全力で時間を稼ぎます。その間になんとか自力で逃げきってください」

「皆を置いて逃げろと言うのか!?」

「そうです。今この場所より危険な所などこの世に存在しません。留まっては必ず死にます。この部屋を出てもそう変わりませんが、ここよりはましでしょう……」


 師団長の決死の覚悟が伝わったようで、ミシアは「分かった」と返した。しかし本心は違う。残って共に戦いたい。だが自分は王子なのだと言い聞かせ下唇を噛んだ。

 死ねば大切な片思いの相手師団長とその妹だけでなく、様々な人が責任を問われるのだ。


「これを妹に」


 わざわざ大きめに声を出した師団長がミシアに託したのは、目の覚めるような鮮やかな緑色のアミュレット。


「これはずっと大事にしていた……分かった。必ず届ける」


 自分が生き残れば師団長も彼の妹である騎士団長の名誉も守られるだろう。何がなんでも移動式ダンジョン屋の外へ出るとミシアは誓った。

 同時に下らない兄弟の競い合いのせいで命を捨てさせてしまうことを後悔しながら、ゆっくり移動し始めた。


「ぷっ! アハハハハ!!」


 何か堪えきれなくなったというように仮面の男が笑い始めた。師団長が顔を真っ赤にして叫んでいる。


 しかしミシアと宮廷魔法師たちがそれを聞き取ることはなかった。

 一瞬にして蔓に絡まれ、外へ転移していたからだ。

 人々の往来する王都の大通り、何が起きたか分かっていないミシアの手には、何も握られていなかった。

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