第1話  彷徨うダンジョン

 疎らに草木の生える山道を瑠璃色の髪の若い男が歩いている。

 一人で何日も山を彷徨いようやく見つけたこの道は、多少なりとも人の往来がありそうな雰囲気で、このまま進めば人里へ辿り着きそうに思えた。


 男が止まり、くたっと座り込んだ。どうやら疲労と空腹で眩暈がしたらしい。それが落ち着くとため息をつき、天を仰いだ。


「くそっ、人も魔物も動物も全然いない……」


 げんなりした様子で腰袋に手を突っ込み小さな粒を一掴み分取り出し、心底嫌そうな表情で口に放り込んだこの男こそ、一〇〇前、厄災のダンジョンと恐れられた、のアルファド=アドイード・アンドロミカである。現在は色々あってアルフと名乗っている。


「うぅ、不味いなぁ」


 元々腰袋に蓄えていた食料などとっくに底をついており、新しく工面したそれらは無味に近く腹にも溜まらない。


 その嘆きは木漏れ日や森の香を含む湿った風をも、とことんつまらないものに感じさせる。

 いつもなら不味いもの食べると途端に不機嫌になるのだが、今はため息をつくだけだった。深い深いため息を。


「ていうか皆して追い出すなんて酷すぎる」


 事の発端を思い出すのはこれで何度目か。その度に舌打ちが大きくなっていく。


 皆で均等に分配するはずだったお祭りのメインディッシュを我慢しきれず摘まみ食いしたのは悪かった。

 でもその残りをまるっと平らげたのは、味を共有すると暴走した緑色の方もう一人の自分

 普段から別迷宮として生活しているのだから、罰もそれぞれに見合ったものでいいじゃないか。そう思っている。


「まあ、あっちは帰宅禁止に加えて芋虫の刑も追加されてるんだろうけど……」


 いつもウザいくらいひっついてくるもう一人が、得意の転移魔法で飛んで来ないのはそれしか考えられなかった。


 久しぶりの一人・・は解放感に満ちている。

 しかし一〇〇年前より孤独を嫌うようになったアルフには、あまり嬉しいものではなかった。きっとそれも含めて罰なのだろう。


 もちろん帰ろうと思えば速攻で帰れる。

 だが、罰の期間お勤めが終わってないのにそんなことしても余計な罰が増えるだけで、良いことなんて何にもない。


「あ~あ、せめて拷問牢獄都市トルメントポリスとか、とんでもない秘境とかに放り出してくれればまだましだったのに」


 それでは食べることが大好きなこいつらの罰にはならない。むしろ御褒美。

 そのことをしっかり把握している側近たちは、人も魔物も少ないが自然は順調に破壊されている土地を選んで罰を実行していた。


「あいつら覚えてろよ。絶対、『初めての使い魔第一巻アホでもわかる従の心得編』を投げつけてやる」


 それはベテラン使い魔や従魔にとってこの上ない侮辱行為。

 そんなことをするから、度々このような仕打ちを受けるのだ。忠誠や尊敬は日々の積み重ねであるのに。


 今度は周囲の木々から小さな粒を作り出して食べた。

 いくら圧縮しても薄すぎる魔素はやっぱり腹の足しにならなかった。

 今日は昨日より調子が悪い。そのくせ腹の虫だけは相も変わらず元気にくぅくぅと催促してくる。


「はあ、虚しい」


 よろよろ立ち上がり再び歩きだした途端、ごうっ、と風は向きを変えて正面から行く手を阻みだした。

 それは追い討ちにも感じられ、心底うんざりする。


「ん? この匂い……」


 だが違った。

 風が運んできたのは人の香り、生活の匂い、それはつまりご飯の居場所。その道標。

 力を振り絞り風上に向かって進み始めたアルフの目はバキバキにキマッていた。


「もう少しだ。もう少しでまともな食事が……」


 徐々に濃くなっていくご飯の香りに、アルフの足取りは速くなっていく。


「きゃぁぁぁぁ!!」


 風上で悲鳴が上がった。瞬間、アルフは駆け出していた。

 やっとご飯が食べられると思ったのに、その提供者・・・に何かあっては一大事だ。


「あれは……」


 悲鳴の現場まであと少し。ここからでも、何があったのか見てとれた。

 へたりこんだまま胸の辺りまで石化している蛇獣人の女と、角にも目を持つ鹿が対峙している。


四つ目鹿ゴルゴンディアーか!」


 アルフはすぐに腰袋から粒を取り出し投擲。と同時に固有スキルを発動して粒を元の大きさに戻す。

 粒はすべて植物柄の卵だった。

 不思議なオーラを纏うそれらから、やけに鮮やかな緑色の蔓が生えてくる。卵同士で円を形作るように連結すると、そのまま一気に加速して四つ目鹿ゴルゴンディアーを潜り抜けさせた。


「え、消え……た?」


 四つ目鹿ゴルゴンディアーがいた場所にはやや抉れた地面だけが残されている。蛇獣人には何が起きたかわからなかった。


 そこへ、飛んでいった卵を手元に戻し、腰袋に入れながら走るアルフが到着した。


「もう大丈夫だ。それも元に戻すからじっとしててくれ」


 息切れもそこそこに、安心させるよう微笑むと、石化した部分と柔らかな部分の境目に軽く触れる。


「あっ……」


 流れ込んできたじんわり温かい何か。あまりにも心地よいそれは蛇獣人の口を半開きにさせた。

 石化が解けていくに従ってその温もりは下へ下へと流れていき、未知の期待が胸に込み上げていく。

 代わりに何かが抜けていく感覚に襲われるも、そんなことはどうでもよかった。

 目の前にある命の恩人の顔をただただ見つめていたかった。


「よし、これで心配ない。石化の後遺症もないから安心してくれ」


 無事ご飯を確保できた喜びに笑みがこぼれるアルフ。今すぐ食べたいところだがグッと堪えている。

 村集落か、そこまで案内してもらった方が住人たちにすんなり受け入れてもらえると考えたらしい。

 警戒された状態だと味が落ちるのだ。


「それにしても、こんな死にかけの山に四つ目鹿ゴルゴンディアーがいるなんて……運が悪かったな」


 何も言わない蛇獣人。アルフは他にも怪我してるのかと思い、じろじろ確認する。特に問題はなさそうだった。

 

「家まで送ろう。立てる?」


 差し出された手と笑顔。それが蛇獣人には幼い頃から読んでいた勇者物語に出てくる憧れの主人公に見えた。いや、それ以上だった。


「あ、ありがとう……」


 夢見心地の蛇獣人と飢餓からの解放を歓喜するアルフ。互いにその手を取ろうとしている。


 だがその瞬間――


 頭を貫通したかと思うほどの衝撃がアルフに襲いかかった。

 白目を剥き顔から蛇獣人の胸に突っ伏したアルフは、そのままピクリとも動かなくなってしまった。

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