第8話 今日もお出かけダンジョンさん

 人気のない氷樹森の奥深く、腰に付けた布袋を擦りホクホク顔でサキュバスのような使い魔とおやつを食べている男がいた。


 一六、七歳ほどだろうか。少年とも青年とも言い難いその男は、美しい瑠璃色の髪と均整のとれた顔、吸い込まれそうな青紫の瞳を持ち、よく見れば片方だけ違う色が混じっている。


 その完璧な風貌の、かつて見目麗しい王族格付けなるもので三年連続一位を獲得しことが自慢の男、アルフである。


 辺りに充満する植物の濃密な魔素をにして、サキュバスっぽく擬態した使い魔のグルフナと摘まみながら微笑んでいる。


 親兄弟を恨み、国を憎み、世界までも滅ぼさんとダンジョンになったというのに、その雰囲気はずいぶんと穏やかで、怒りや憎悪なんてものは感じられなかった。


 それは何故か。


 なんとアルフの復讐は、生まれもった意思の弱さと空腹の前に、あっけなく終了していたからだ。


 たまに思い出してイライラすることはあれど、そんな時代もあったねと今日の風に吹かれて笑っている。

 ダンジョンとは無闇矢鱈に破壊や殺戮を行っても腹は膨れないのである。


 とはいえ、自分を裏切った瑠璃色の髪の召喚師を許す気など微塵もないのだが。


 今思えばダンジョンになった当初は、怒りのままに暴れまわっていたアルフだが、当時のクランバイア王をあと一歩まで追い詰めた時、小さく鳴った腹の音にふと思った。


 この怒りは復讐心ではなく満たされぬ空腹からきているのではないのか、と。


 ひとまず空腹に耐えきれなかったアルフは姿をくらまし、腹ごしらえの方法を思案しているうちに、王は妃たちとその子供らの企みによってあっさり殺害されてしまったのだ。


 加えて、続けざまに勃発した王位継承を巡る王族同士の殺し合い。そのすべてを見届けたアルフは悟った。

 イライラしていたのはまぎれもなく空腹のせいだったのだと。


 新たな王の治世になっても、というよりそうなったからこそ、擦り付けられた大規模な破壊と王族殺害の罪、その尋常ならざる悪評、さらに人を体内ダンジョンに引きずり込めない未熟さのせいで、アルフはいつも腹ペコだった。


 このままでは永遠に餓えてしまうと恐怖し、脱腹ペコを掲げ、全く別の善良なダンジョンとして生きることを決めた。


 そこからは早かった。

 隠れて覗き見ばかりする幼児もどきのストーカーである緑色の子供アイツを引っ張りだして愛を囁いた。


 緑色の子供ヤツの名はアドイード。


 アルフの了承も得ず、いつの間にか勝手に融合していた恐るべきストーカーである。


 だから心は痛まなかった。


 さらにアルフはダンジョン名をアルコルトルと変更し、人が来ないならこっちから出向いてやると移動し始め、手当たり次第に人々を自分の体内ダンジョンに誘い込んでは空腹を満たすようになった。


 そして約三〇年前、ちょっとしたことをきっかけに、かねてより目を付けていた海域にダンジョンの一部を開放して島を作り出しフェグナリアと名付けた。


 今では各地に町や村が作られ、島に住まう人口は一万を超えている。さらに解き放った魔物や動植物もいい感じに増えており、豊かな生態系を築いていた。

 お陰で味はともかく、楽して暴食できるようになったアルフたちは、島民に紛れてのんびり生活しているのである。


 今日はフェグナリア島から遥か北に位置する大陸に居を構える先輩ダンジョンの様子を見に行っていたらしい。

 先輩が新種の魔物を作り出したとの情報を得て。


「いや~相変わらずブルネルド先輩はチョロいな。新種はともかく魔物の卵をがっぽがっぽだ」

「またダンジョン集会で糾弾されたって知りませんからね」


 そう言いながらおやつのおかわりを要求してくるグルフナだが、こいつもノリノリで先輩ダンジョンで暴れまわっていたのだ。


「平気平気。俺たちはちゃんと冒険者として先輩ん家氷塔のブルネルドにお邪魔したんだから。魔物を倒したりお宝をパクったって文句言われる筋合いはない」

「いつまで容認されますかね~、その言い訳」


 とか他人事のようなグルフナは知らない。

 最悪、すべてグルフナのせいにしようとアルフが思っていることを。


 なにせブルネルド本体に危害を加えたのはグルフナなのだ。例えそれがアルフの指示で、先輩を誘惑しハスハス言わせていたことだとしても。

 ユトルの件はまだ許していないらしい……。


「よし、そろそろ行くか」

「ええ~? 僕もっと食べたいんですけど」

「お前はこの森を枯死させたいのか? 後ろを見てみろ。グルフナが魔素を食べ過ぎたらからあ~んな向こうまで枯れ木になってるじゃないか」


 振り向いたグルフナは、「僕じゃなくてアルフ様せいでしょ」と悪びれもせず歩き始めた。


「……一応、苗だけでも生やしとこうか」


 さすがにこの惨状を放置するのは気がひけたらしく、森を一時的に自分のダンジョンとすべく浸食したそのとき、遠くで子供が襲われていることに気付いた。


「助けるぞ!」

「ええ!?」

「いいから元の姿に戻れ!」

「知らない子なんだから放っときましょうよ~」


 ◇


 少年は理不尽に涙していた。


 優しい両親と可愛い妹と共に川辺の家でまったりしていただけなのに、突然襲われたのだ。

 家は破壊され、両親は自分たちを逃がすために犠牲となった。


 自分もまた、妹のために囮となり、妹が走る方向とは逆へ駆け出した。

 死に物狂いで逃げ、やっとの思いで身を隠すことに成功したのに、突如木々や草花が枯れ始め丸裸になってしまったのだ。

 しかも、妹の姿まで……結構な距離を走ったと思ったのにさほど離れていなかったことに悲しくなる。しかし更なる悲しみが待っていた。

 賊たちは二手に別れ妹に短剣を突き立てたのだ。

 少年は目の前が真っ暗になり、自分にも迫りくる短剣をただ眺めていた。


「やめろ!!」


 そこへ救世主が現れた。瑠璃色の髪を振り乱し細身の戦槌・・で短剣を薙ぎ払うと、彼は賊と少年の間に立ちはだかった。


「なんだテメェ!」

「横取りか!? ふざけんじゃねぇ!」

「ぶっ殺すぞ!」


 賊たちの威嚇を無視する救世主の背中から伸びてきた蔓が、少年を包み込む。

 それが終わると救世主はパッと駆け出し、もう一ヶ所の方へ向かった。


「っ!?」

「きゃっ!」


 そのまま戦槌で不届者のを軽く殴り倒し、血まみれの妹を抱き上げる。


「可哀想に……」


 何度も刺されたとわかる傷と吹き出す血、なによりビクビクと痙攣する妹に心を痛めたのだろう、救世主は優しい手つきで妹の顔を撫でた。すると不思議なことに、妹は卵になってしまった。


「ええ? そこまでするんですかアルフ様。絶対面倒なことになりますよ」


 戦槌の頭部がぱかぱか動いて喋ることにも驚いたが、アルフと呼ばれた救世主の、こちらに走ってくる賊どもを睨み付けるその顔にもっと驚いた。


「いいかグルフナ。ここは今、俺の中・・・だ。勝手な真似は許さない。それにあいつら、くそ不味いんだよ。それだけでも万死に値する」


 自分だってついさっきまで先輩ダンジョンで勝手な真似をしてたくせに、とか、馬鹿舌のくせに不味いとかなに言ってんだ、とグルフナは思ったが言わないでおいた。

 ただ浸食しただけの土地でなにかが死ぬのは困ると思い出したからだ。

 代わりに頭部から出した触手ベロを伸ばし、拘束ついでに白目を剥いている賊の懐をまさぐることにした。


「あ、こいつらの腕、冒険者ギルドのカードと融合してます。犯罪者認定されたお尋ね者の元冒険者ですよ……カードはパイセンシルバー製……うわっ、カードの石も真っ黒ですね」


 秘匿されているギルドカードの素材と、殺人等の犯罪に応じて徐々に黒くなる石の色を味でつきとめたグルフナがアルフにチクる。


「へぇ、じゃあどんなお仕置きしても問題ないな。グルフナはこの子たちを頼む」


 アルフは再びサキュバス姿に擬態・・したグルフナに卵と少年を預け腰袋を開く。

 中からは砂のような物体が止めどなく溢れ、そして賊めがけて発射された。


「「「えっ?」」」


 アルフを追いかけていた三人は、なにかが通りすぎたような気がした直後、地面に転がっていた。

 何事か理解できていない彼らだが、その四肢はまるでミンチ肉のごとくグチャグチャになっていた。


「ぎゃああああ!!」


 数秒後れで上がる悲鳴に心底不愉快な表情を見せるアルフは、無言で彼らに近付き雑な止血をしてがっちり拘束する。


「やっぱちゃんと戻そう」


 辺りから無数の生命が遠ざかる気配を感じ呟いたアルフが緑色の光り放つ。と同時に見るも無惨に枯れ果てていた森があっという間に元の――いや、より一層植物と魔素で満ちた森となって甦った。


「さて、君たちはどこから来たの? 家まで送るよ。カーバンクルなら……岩場のある草原かな?」


 賊に背を向け、グルフナの腕の中で卵を守るように震えている少年、もといカーバンクルの幼獣にアルフが優しい笑顔を向けた。


「……その前にこっちが先か」


 笑顔のままアルフが卵に手を伸ばす。

 どんなに手を引っ掻かれ、噛みつかれても気にせず、卵に触れた指先から魔力を流していく。


 それはカーバンクルの幼獣には数秒、もしくは何時間にも感じられる長さだったが、ぴきぴき音が鳴り割れた卵からきょとんとした妹が出てきたのを確認した彼は、攻撃を止めて妹に抱きくとアルフを見上げた。


「父さんと母さんが……」


 しかしすぐに泣き出してしまった。


 アルフは彼が落ち着くのを待ってから詳しい事情を聞くと、もう一度賊の方へ行き荷物を漁り始めた。

 薄汚れた背負い鞄の中に見付けたカーバンクル兄妹の両親は、乱暴に押し込められたせいで直視するには憚られる見た目で……せめて体だけでも元の状態にと思い、両親を妹と同じように復元し、幼い兄妹の前に寝かせた。


「よかったら俺のとこに来るか? こう見えて俺、けっこうすごいダンジョンなんだ」


 しくしく泣き続ける兄妹に提案するアルフには、カーバンクルの妹がズタズタにされ兄が恐怖を味わった原因は自分たちにもあると罪悪感があった。

 まあそれとは別に、体内ダンジョンに魔物が増えてくれるといいなぁなんて思いもなくはない。言わないけど。


 一方でグルフナは、絶対やめた方がいいという表情でアルフを見ている。


「ダンジョンの魔物になれば強くなれる?」


 先に口を開いたのは妹だった。


「え? う~ん、それはなんとも。少なくともこの土地にいるよりはその可能性があるとしか……」

「なら行く。わたし強くなって人間いっぱい殺す」

「あ~……まあそうなるか。とりあえずその話は追々しよう。で、君はどうする?」


 無邪気だった妹の憎しみに満ちた発言におろおろしていた兄だが、妹が行くなら自分もとダンジョン行きを決断した。


「じゃあ帰ろうか」


 アルフは浸食した領域を放棄して、カーバンクル兄妹の両親を再び卵にすると歩き出した。

 兄は妹のように生き返らせてくれるのかと期待していたが、完全に死んでしまった後ではどうすることもできないと言われ俯いてしまった。


「ところでアルフ様、あいつらどうするんですか?」

「ああ……万が一もなくしておくか」


 アルフが賊に触れると卵がぽこぽこ現れ、そいつらの体や周囲に固定される。

 さらに植物から溢れ出る魔素も卵に圧縮し、ひびを入れておいた。


「わぁ美味しそう」

「お前が食ったら意味ないだろ。撒き餌なんだから」

「ちぇっ。ところで勝手に二人を連れ帰ったら監禁中のアドイードが怒りませんかね」

「平気だろ。ていうか監禁て言うな、外出禁止だ。聞こえが悪いだろ。それにあれは正当な罰――ってこら!」


 話題を反らした隙に卵へ飛び付こうとしたグルフナを制止して、アルフは駄目押しとばかりに肉食魔物を寄せつける植物をいくつか生やすと、静けさを取り戻した森の影へと姿を消していった。

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