第79話 ダンジョンは騙される

 アルフはだらっと深緑色の椅子にもたれかかり天井を見上げていた。この状態になってから、かれこれ二週間は経っているだろうか。


「あぁ~、暇らぁ~」


 上層九四二階の大きな家、今や開かずの間になってしまった憩いの部屋リビングに敷かれた、アルフと一部同化している美しい緑色の絨毯には、アルフの口から零れた涎の跡が刻まれている。


 独身の子供たちと無職のキールが家族ごと体内ダンジョンに引っ越してきてから早数ヶ月。子供らは皆、できるだけアルフと関わらないようにしていた。


 理由は簡単。


 ここ数年の寂しさを晴らすようにアルフが構い倒したからだった。最初は仕方ないなと相手をしていた子供たちだが、すぐに限界がきてしまった。


 職場参観だの友人査定だのと言って四六時中付きまとわれては、たまったものではなかったのだ。当然アルフが大人しくしているはずもなく……結局、ファザコンのフェインですらちょっと引くくらいにはウザかったらしい。


 皆、ダンジョン探索や遠征、長期護衛の依頼だったりを引き受け家を空けている。


 但し、キール一家だけは少し違った。

 七人兄弟の孫たちはいつもお菓子をくれて遊び相手になってくれるアルフに懐きまくっている。特に自分たちが魔物に乗って滑っていく、ギミック満載の巨大ビー玉転がしのようなアトラクションを作ってくれたことにおおはしゃぎだった。


 義娘のファビナも子供たちの面倒を任せられるから、キールの代わりに働きにでられて嬉しいと感謝していた。


 しかし、ここ一ヶ月ほど皆と同様に不在。


 キールがファビナの実家へ寄生……もとい帰省を提案したからだ。ことあるごとに聞かされる「働け」というお小言に相当鬱憤が溜まっていたとみえる。妻の父に土下座した方がよっぽどましだと考えたのだろう。


 毎日アドイードに送り迎えさせるとか、ファビナの実家と体内ダンジョンを繋ごうとか言うアルフの申し出をそれはそれは丁寧にお断りして、彼は家族を連れて行ってしまった。


 アルフは再び訪れた寂しさと、永遠にも感じられる暇をもて余していた。


「あの、そろそろ働いてくれませんかアルフ様。手入れ不足で崩壊した地区とか、魔物同士の喧嘩で荒れた場所とか色々あるんですよ。キールに言ってましたよね、働くことは義務であるとかなんとか偉そうに」


「んあ~」


 ぐうの音も出ないグルフナの小言にまたひとつ、呆けているアルフの涎が絨毯へ零れていく。それは絨毯に触れるやいなや、どこかへシュルリと消えていった。


「アドイードもですよ。アルフ様の汚い涎を無限に入手できるチャンスだかなんだか知りませんけど、いつまで絨毯になってるつもりですか」

『アリュフ様のよだりぇは汚くないよ。愛おしいものだよ』

「はぁ……理解できませんね」


 飛んできたアドイードの思念に何度目か分からない溜め息が漏れた。


『グリュフナ君は気に入りゃないみたいだけど、別にサボってりゅわけじゃないよ。無秩序に茂りゅ植物と崩りぇた遺跡を演出してりゅんだよ』

「ものは言いようですね」

『冒険者たちの間では神秘的って言わりぇてりゅんだかりゃ、このままでいいと思うの』

「はいはい、じゃあもういいですよ。なら僕たちも好きにさせてもらいますからね」


 グルフナはプンプンした様子で姿を消し、その後しばらくしてクインがやって来てアルフに蹴りを入れた。


「上層一〇三階が吹き飛んだ。今すぐ直せ」


 それは可愛らしい中性的な人形という外見にそぐわぬ底冷するような声だった。


「どうせ生き人形同士で戦争ごっこでもしたんでしょ。そういうのは自分たちでどうにかして欲しいな。アドイードたちは今忙しいんだかりゃ」


 代わりに返事をしたのはアドイードだった。

 絨毯の一部が顔に変わっており気味が悪い。対応がグルフナの時と違うのは、やはりアドイードもクインがちょっぴり怖かったからだろう。


「んあぁ~」


 一応、アルフも反応を示した。が、目も当てられない壊れっぷり。廃人のお手本がここにある。


「ほ、ほりゃ。アリュフ様もそうだって言ってりゅよ。さっさと帰って自分たちで直して」

「あ、そう。じゃあアドイードの専用・・宝物庫から色々もらっていくから。あのパンツとかあの寝間着とかを――」


 背を向けて飛んで行こうとしたクインに蔓が巻き付いた。それは凄まじい早さであり、絨毯から伸びた蔓だった。


「なに?」

「アドイードの宝物やかりゃもの泥棒どりょぼうすりゅつもりぃ?」

「だって上層一〇三階が吹っ飛んだ原因は、グルフナがストレス発散だって暴れたからだし。つまりグルフナのストレスを生き人形とワタシたちが肩代わりしたわけだわ。てことはだ、オレたちもストレスを発散しなくちゃいけねぇだろ?」


 クインがコロコロと口調を変えながら喋っている。これは普段、分裂して活動しているすべてのクインが一つなっているからだった。

 そういう時はたいていキレる寸前だったりする。それぞれの人格をコントロールできぬほどの怒りを抱えているのだ。


「……分かったよ。しょうがないかりゃ、アドイードが直してきてあげりゅよ」


 苦労して集めたアルフコレクション財宝たちがクインたちの手に渡れば、永遠に返ってこないどころか、何か後ろ暗い取引や脅迫の材料とされるに違いない。


 アドイードは渋々といった様子で絨毯から元の姿に戻り部屋から出ていった。


 だがその判断は失敗だった。


 なによりも卑劣な心の持ち主生き人形のボスの罠は見事に作動しアドイードを捕獲。そのまま対アドイード用隔離施設へ放り込んだ。


 聞こえてきたアドイードの悲鳴にクインはニヤリと笑う。そして蔓を引き千切りながら再びアルフに話しかけた。


「情けねぇなぁ、子供たちに無視されただけで廃人みたいになりやがって。いい加減目ぇ覚ませよ、オラァ!」


 クインは椅子ごとアルフを蹴飛ばした。


 その小さな体のどこにそんなパワーが秘められているのだろうか。アルフは部屋の壁を突き破り、家の壁をも突き抜けて、遥か彼方の巨壁に激突したところでようやく止まった。


「痛ててて……はっ!?」


 顔を上げたアルフは咄嗟に体を翻す。高速で突進してきたクインから逃れたのだ。


「あ、危ないじゃないかクイン!」

「目は覚めたか?」


 アルフの文句は無視された。


「最近アドイードを甘やかしすぎ。付け上がるだけだぜ。そもそも……」

「えっと、もしかして相当怒ってる?」

「怒ってる」

「そ、そっか。一〇三階を壊しちゃったもんな、ごめん。でも助かったよ。これでやっとアドイードの拘束から逃れられた」


 そう、アルフは捕まっていたのだ。


 最初は暇すぎてグデグデしていただけのアルフだが、うたた寝で零れた涎にアドイードが反応。レアな涎を大量に入手するチャンスだと閃いた。

 アルフが体液系をくれることはまず無い。アドイードにとって、それらは花の密や樹液とさして変わらないのだが、不思議と拒まれる。

 自らを絨毯にすることでアルフをあの場に縛りつけ、零れ落ちるアルフの涎を延々と収集していたのだ。

 

「ありが――」

「一〇三階、前よりもっと遊びやすくて便利にしてくれたら許してもいい」

「あ、当たり前だろ! そう言おうと思ってたんだ!」


 感謝の言葉を遮られ、睨まれたアルフはやや語尾が上擦ってしまった。嫌な沈黙が漂っていく。


 そこへ、ヘトヘトになったグルフナがやって来た。


「はぁぁ、アドイードを締め落とし寝かし付けてきましたよ。なんだか芋虫に耐性ができ始めてませんか? 大変だったなぁもう」


 実はアルフの救援信号にいち早く気付いたのはグルフナだった。哀れな主を救うため、同じ立場のクインに協力を要請。見事にやり遂げて今に至る。


「御褒美が欲しい」

「あ、僕もです」


 頼りになる使い魔二人のおねだり。アルフは奮発しようと思った。

 とりあえず頷いてから、しばし考えて口を開く。


「よし、お披露目会へ行こう」


 アルフは首を傾げるクインとグルフナをよそに、いそいそと支度を始めるのだった。

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