閑話 ダンジョンは風邪を引く
子供たちは川遊びに忙しく、若者は恋人と湖へ出かけ木陰に戯れる。
太陽に鼓舞された火精霊たちがお祭り騒ぎで駆けて行き、氷精霊がぱったりと姿を消すこの季節。
アルフは風邪を引いていた。
「う、うぅ……」
夏風邪を引くのはなんとやら。異世界から召喚された勇者が残した言葉にそんなものがあるらしい。
「アリュフ様はアドイードが看病してあげりゅかりゃね。心配せずに寝てていいよ」
「なに言ってやが――ゲホゲホ」
「咳が酷くなってきたね。アリュフ様可哀想。
台に乗り背伸びをしてアルフの頭をなでなでするアドイード。その顔は労りの表情でいっぱいだった。
「はい、こりぇ飲んで。アドイード特製の咳が止まりゅかもしりぇないポーションだよ」
どこからともなく取り出したどす黒い液体の入った瓶の栓を抜き、溢さないよう注意深くアドイードが手渡してくる。
ぼこぼこと泡立っているそれは、なぜか液体からかすかな悲鳴が聞こえてきた。
「誰がそんなもの。さっさとまともな薬をよこへ」
「アリュフ様の風邪には安静とアドイードの看病が一番のお
アドイードはにっこり笑ってポーションをベッドサイドに置くと、お粥を作りゅねと部屋から出ていった。
「ぐ、ぐぞう……頭が……割れ………そうだ」
安静という名のもとベッドに縛り付けられているアルフの意識は朦朧とし始めていた。うわ言なのか、なにかボソボソ呟いている。
風邪といってもアルフが引いているのはただの風邪ではない。ダンジョンインフルというダンジョンのみが罹患する非常に危険な病なのだ。
症状は高熱に咳、頭痛や関節痛に悪寒と鼻水、酷くなると嘔吐や意識障害まで現れる。
ただ、危険なのは
なぜなら、高熱は
ちなみに
ついでにいうと嘔吐はスタンピードのことなのだが、それについてはあまり心配はいらない。
現に今も、
「グ、グルフナ……治療薬……もらって来て」
「え~? でも僕、今は休憩中ですし」
ベッドの隣に置かれたソファでお菓子を食べていたグルフナが振り返る。
「俺が苦しんで……のに寛ぐとか……薄情者」
「前に僕が悪魔錆に冒されそうになったとき、大爆笑してた人に言われたくないです」
「うぅ、そんなこと言うなよぉ。頼むよグルフナぁ……」
「はぁ、まったく。本当にしょうがないですね」
残りのお菓子を一気に飲み込んだグルフナは、情けない顔を向けてくる主のためにちょっぴりやる気を出した。
「確かダンジョンインフルの治療薬は
行き先を思い浮かべてお出かけ――しようとしたが、それは飛ぶように戻ってきたアドイードに邪魔されてしまった。
「ダメだよグリュフナ君。アリュフ様はアドイードがお世話してりゅでしょ」
「そのお世話係がアルフ様を苦しめてるくせに」
「……なんのことか分かりゃないね」
しらばっくれるアドイードだったが、グルフナの言うとおり。アルフがダンジョンインフルで苦しんでいるのはアドイードのせいだった。
いつだったか冬にアルフがダンジョンインフルに罹ったとき、アドイードは魔法で治療してあげた。
だが実際は秘密裏にダンジョンインフルの時間を止めて、治さず留めておいたのだ。
いつか弱ったアルフを見たくなった時のために、と。
しかし、すぐに忘れて放置していたそのことを、昨晩寝る前に突然思い出した。
そして躊躇うことなく目を爛々とさせながら即実行。
先に寝ていたアルフはあっけなくアドイードの手に落ちてしまった。
「とにかく、アリュフ様はお
「悪いけど僕は君じゃなくてアルフ様を優先することにしてるんだ」
「グリュフナ君はいけない子だね。アドイードちょっと怒りそうだよ」
じりじりと間合いを詰め始めた二人を見て、アルフは口元を布団で隠した。
実はグルフナに治療薬を頼むより先に、アルフは暇そうにしていたクインにこっそり治療薬をお願いしておいたのだ。グルフナを囮にしていればアドイードに気づかれないだろうと考えて。
普段はツンケンしているが、本当にアルフが困っていたり苦しいときは全力で助けてくれる。それがクイン。アルフはそう信じている。
アルフは魔力で牽制しあう二人を尻目に、布団の下で計画どおりだとほくそ笑んでいた。
「冷っ!?」
突然布団が剥ぎ取られ、アルフの顔にびちゃびちゃに濡れたものが落ちてきた。
「ぶわっ! く、くっさぁぁぁ!」
それはクインがアルフのために取ってきたダンジョンインフルの治療薬……に浸された、
クインはニタニタ笑ってる。その横にはDネットゲイザーを従えた生き人形たちが浮かんでいて同じくニタニタ笑っている。
最近、正体不明のダンジョンチューバーなるものを始めたクインの緊急企画。ダンジョン
しかも生配信。
今、この瞬間も世界中のダンジョンにベッドから落ちて悪臭に転げ回るアルフの様子がお届けされているのだ。
こと、先輩ダンジョンたちからヘイトを集めているアルフ。視聴者数は鰻登り、
「えっと、なになに?
治療薬の注意書を読み上げるクインがいっそうニタニタ顔になっている。
『ほらほらアルフ様、早く雑巾絞って治療薬飲まないと』
自分の音声が入らないようクインはきちんと念話を使っている。
あまりにも悪質な行為だったが、クインは新しく見つけた趣味の編集作業を暇そうだと思われたことに腹を立てていた。
それにアルフが牛乳雑巾をずっと自分の部屋に放置していたこともだ。むしろこっちの恨みの方が大きい。
今アルフの顔にへばりついている牛乳雑巾は、何年か前にアルフが酔っぱらってクインの部屋に投げ入れ、アドイードに魔法で空間固定させ逃げた時のものだった。
長年、悪臭と戦いながらようやっと最近アドイードの魔法を解除したクインは復讐の機会を伺っていたのだ。
「ううぅ……信じてたのに」
みるみる悪化していくアルフは牛乳雑巾の隙間から涙を浮かべてクインを見つめる。どこかにあるだろう罪悪感を刺激するために。
しかし、なんの効果もない。クインは悪魔のような笑顔で撮影を続けている。
「チッ……はぁはぁ、く、苦しい。アドイード、グルフナ……」
アルフはクインのことは諦めて二人に助けを求めた。が、二人は既に喧嘩を始めており、アルフの悲痛な声が届くことはなかった。
激しさを増していく喧嘩はダンジョンのあらゆる建造物を破壊していく。
「も……だめだ………」
十数日後、元気を取り戻したアルフは三人に鬼のような仕返しを企てる。
こうして今日も不滅のダンジョン、アルコルトルではトップ陣による、どうでもいい負の連鎖が続いていくのだった。
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